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第24話 目前の壊滅、逃げることはできない

「どうしたの?」


 コレットは一度乱れた髪をまとめながら彼に問いかける。


「…いや、まだ向こうが明るいと思って」


 窓に腰かけながら、彼は答える。花火があちこちで上がっている。開けた窓に、ぽんぽんとひっきり無しに音が飛び込んでくる。


「そりゃあそうでしょう、祭りなんだから」


 当然の様に、彼女は手を広げた。

 そうだね、と彼は答えた。



 食事の後、コレットは広場で始まったダンス・マラソンにいきなり参加してしまった。大きな濃い色の花柄を振り回しながら、ボンネットを激しく揺らせながら、彼女は実にくるくるくるくるとよく動いた。

 思わずGは目を離せなくなってしまっていた。

 ふくらんだ袖からすっと伸びた、むきだしの腕が空を貫く。陽気な笑顔。

 気が付いたら、陽がずいぶんと傾き、ダンス・マラソンも終盤にかかった頃に、はあはあと息を乱し、首すじから胸にかけて、玉になった汗を浮かべている彼女が飛び出してきた。


「何まだ居たの!?」


 あはははは、と彼女は笑って、勢いのまま、Gに飛びついた。


「泊まっておいきよ」


 彼女はその勢いのまま、彼の首に腕を回し、言った。


「今日はクルティザンヌにも休日なんだ」


 だから、客でない相手と寝てもいいんだよ、と。



「明日は早いのかい?」


 彼女は問いかける。いや、とGは首を横に振る。

 この惑星に「明日」は無い。彼はそれを知っていた。

 ただ、どんな方法で「今日」この惑星が壊滅するのか、彼には予想がつかなかった。

 もう夜で、それももうかなり回っている。

 今日これから、いきなり爆撃があるとでもいうのだろうか。しかし空襲が普段からある様な地域には見られない。人々の余裕はその証拠だ。

 指導者キュレーの悪口を言っていても、まだ言う余裕がある。戦争はおそらく、この惑星の住民にとって、遠い世界の出来事なのだろう。ハンオク星域が大変なことになった、と言っても、それはただの事実の確認に過ぎない。


「これから何処へ行くんだい?」


 彼は首を傾げて、微かに笑った。まだそれは、彼にも判らない。

 Mが冒してしまった「過ち」。それが何であるのか、判らない限りは、次の移動はできない。

 彼はそれが都市である限り、日銭を稼ぐことはできるだろう自分を知っていた。戦場でも生き延びる術は学んできた。

 その他の場所に出る可能性が無い訳ではない。もしかしたら、恐ろしく平穏な農村に出てしまうかもしれない。工場地帯の真ん中に出てしまうかもしれない。きっとそんな所に出たら、戸惑ってしまうかもしれない。あまりの平和さに。

 出た所勝負ではある。そこにMの過ちが存在するなら、そこがそれまでどんな平和な所であったにせよ、その瞬間から、平和とは縁の無い場所になるのだろうから。


「何だい。決めてないの?」

「まだ、判らないんだ」

「ふうん。それじゃあ仕方ないね」


 そう言って彼女は、Gを引き寄せて、唇を塞いだ。柔らかで、穏やかなこの感触。久しぶりだった。悪くはない、と思う。


「やめた」


 不意に彼女は身体を離す。


「その気になっていない男とするのは商売だけで充分だと思わない?」

「その気に? なってるとは思わない?」

「身体はね、でも」


 ふわりとした褐色の巻き毛が、肩に滑り落ちる。


「あなた何か、ずっと気にしているわよ。何? あたしに言って済むことなら言ってごらんなさいよ」


 しっとりとした指先が、頬からあごにかけての線をたどる。どうしたものかな、と彼は苦笑する。

 言っていいものだろうか。君達の惑星は、今日で終わるんだ、と。

 もっとも、口にしたところで、信じられやしないだろうけど。


「…いや、戦争はここには来ないかなと」

「何、来て欲しいの?」

「そんなことは無いけど」

「どうかしらね。あのケチのキュレーがアンジェラスの軍にお帰り願うのに、どれだけ払うか、が問題だけど」

「え?」

「あんた新聞ちゃんと読んでいなかったの? 駐留してるのよ、アンジェラスの軍は。とりあえず政府がどケチだろうが何だろうが、それなりにあしらっているから、今のとこ何とかなってるけど」

「…軍が、居るのかい?」

「居るわよ。それも空にね」

「空」

「いつ爆弾落とされたって、おかしくは、ないわよ」


 頬を撫でる手が、そのまま髪をかきあげる。


「だけど、そこで下手に防空対策なんてとったら、向こうに敵対意識もってることが丸判りじゃない。だから祭りを、しなくちゃならなかったのよ」

「…本当に?」

「誰だって知ってることよ。ねえ、あんたはだあれ?」


 コレットは問いかけた。


「この時期、他星からの旅行者が、テロワニュに入れる訳が無いのよ。もうずっと前から、宙港は閉鎖されている。あんたの様に、そんな身軽な恰好で、換金してないお金持って、ふらふらとやってくる旅行者が入れる程、平和な時代じゃあないのよ」

「…俺は…」


 Gがそう言いかけた時、だった。急に花火の音が、激しくなった。

 窓の外が、明るくなる。色とりどりの、あくまで花火。勢い良い音が、これでもかとばかりに鳴り響く。火薬のにおいが、漂いだす。 


「な」


 窓の方を向こうとした矢先、彼女の手がそれを阻止する。


「花火でしょ」


 彼女はあっさりと、だけどきっぱりと答える。


「花火でも打たなくちゃ、気がおさまらないわよ」


 それにしても。Gは懲りずに窓の外を見る。

 花火、というには、それはひどく規模が大きかった。確かにそうだ。空には明るく、色とりどりの花火がぱっと一瞬開いては、消えていく。

 ただそれが、ひっきりなしなだけだった。

 息もつかせぬ程に、ばちばちと音を立てて次々と空に開いては消えてゆく。どんどん大きく、どんどん激しく…

 そしてどんどん高く。  


「でも、そんなこと、どうでもいいわ」


 彼女は続きを、とばかりに彼のうなじを撫でる。それを避けるでもなく、かと言って応えるでもなく、彼は


「…良くないだろ。あの軍を」

「だから表向きは、何もしていないじゃない。あれはただの花火。その中に、たまたま、本当の爆弾が入っていたとしても、今日は祭りだもの。知ったことじゃないわ」


 Gは首を横に振る。


「君達は、あの軍の怖さを知らないんだ」

「じゃあ、あんたは知っているというの?」


 コレットは真っ直ぐ彼を見据える。


「知っていると言ったら?」

「じゃあ答えて。彼らに何ができるの?」

「それは…」


 Gは言いよどむ。


「ほら、答えられないんでしょ」


 つ、と彼女は絡めていた腕を解く。

 そのまま、洗面台の方へ向かう。巻き毛がふわふわ、と歩くたびに揺れる。腰のあたりまである。結い上げていた時には判らなかったが、その長さは、あの旧友の相方を思い出させた。


 …そういえばこの時期に、彼はどうしていたのだろう? 


 不意にそんな問いが心に浮かぶ。コレットはそんなGの考えにはお構いなしに、化粧を落とす支度をしていた。あてつけだろうか、と彼が考えたかどうかは判らない。


「あら?」


 手にクレンジングクリームを少し取り、水道の蛇口をひねった時だった。


「どうしたの?」

「水が… 出ないのよ」

「壊れたのかな? それとも」

「断水は、この都市では滅多にないわ。郊外にまず枯れない貯水池があるのよ」

「見せて」


 手にとったクリームをどうしようか迷っている彼女を横にやると、彼は水道の蛇口をひねった。確かに水が出ない。


「ん?」


 蛇口に置いた手に、幾らかの振動が伝わる。出るのかな?

 ぷしゅ!

 反射的に彼は蛇口を締めた。固く、固く締めた。

 まさか。


「…あら、あんたコロンか何か使ってるの?」

「…使っていない…」


 ―――まさか。


 彼の中に、危険信号が走る。


「出てきたの? やっぱり駄目なのかしら?」


 ひょい、とのぞき込もうとした彼女を、Gは手で制する。


「何すんのよ」


 少しばかり、眉を寄せて彼女はGを見上げる。


「…コレットよく聞いて」

「…何よ」


 コレットは少しばかり、たじろぐ。Gは彼女の両肩を強く掴んだ。


「絶対、この蛇口をひねっては駄目だ。いや、ここだけじゃない」

「何なのよ、一体」


 手を払う。


「いきなりそういうこと言われて、はいそうですか、とあっさり言える程、あたしはできた人間じゃあないのよ? 何か変なの? 何かおかしなものが、蛇口から出てきたっていうの?」

「亜熟果香…」

「あじゅく…何ですって?」

「聞いたこと、ない?」


 彼女は首を横に振る。その可能性はあった。まだこの時代、それは広まっていない。

 …いや、それどころか。


「…麻薬の様な、香だ、と言えば、判る?」

「…麻薬?! ですって?」


 それが身体にさして影響が無い、という点はあえて彼は口にしなかった。強烈な習慣性。禁断症状。それだけで充分、それは危険なものなのだ。


「そう。今、それが蛇口から出てきた」

「って、今の甘い… くだものの様な、香り?」

「そう」


 ち、と彼は舌打ちをする。

 蛇口から出てくるとしたら。しかもこの香りは、ちょっと嗅いだだけでは、それこそ「くだものの香り」として認識されてしまうのだ。そのまま断水が終わるまで、と蛇口を開きっぱなしにする家も決して少なくはないだろう。

 …勢いにしたってそうだ。水とは違う。開いた蛇口から、圧縮された空気とともに流れてきたとしたら?

 Gは彼女の手を取った。


「逃げた方が、いい。この街から」

「どうしてよ。蛇口だったら、こうやって、閉じておけば…」


 彼女ははっとする。

 蛇口がぶるぶると震えている。開くのをこれでもかとばかりに待っている。圧力を上げたな、とGは思う。


「…逃げるって… でも、何処へ?」


 彼女は声を張り上げる。そして首を横に振った。


「できないわ!」

「コレット」


 彼は目を見開いた。そういう答えが返ってくるとは思ってもみなかったのだ。


「あんた行くなら、早く行った方がいい。今なら間に合う、とあんたは思ってるんでしょ? ここに今居る旅行者のあんたなら」


 何かしら、入ってきた時の様に、出ることができるのだろう、と。


「でもあたしにはできないわ。それに、あたしはクルティザンヌなのよ? この惑星に縛り付けられている。あたしが逃げたら、あたしを売った家はどうなるの?」

「そういうことを言ってる場合じゃ」

「そういうこと、じゃないわ。それが大切なのよ」


 とん、と彼女はGの胸を両手で押した。


「行って。今ならあんたは大丈夫なのでしょ?」


 扉はあっちよ、と彼女はすらりとした腕を伸ばした。

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