「どうしたの?」
コレットは一度乱れた髪をまとめながら彼に問いかける。
「…いや、まだ向こうが明るいと思って」
窓に腰かけながら、彼は答える。花火があちこちで上がっている。開けた窓に、ぽんぽんとひっきり無しに音が飛び込んでくる。
「そりゃあそうでしょう、祭りなんだから」
当然の様に、彼女は手を広げた。
そうだね、と彼は答えた。
*
食事の後、コレットは広場で始まったダンス・マラソンにいきなり参加してしまった。大きな濃い色の花柄を振り回しながら、ボンネットを激しく揺らせながら、彼女は実にくるくるくるくるとよく動いた。
思わずGは目を離せなくなってしまっていた。
ふくらんだ袖からすっと伸びた、むきだしの腕が空を貫く。陽気な笑顔。
気が付いたら、陽がずいぶんと傾き、ダンス・マラソンも終盤にかかった頃に、はあはあと息を乱し、首すじから胸にかけて、玉になった汗を浮かべている彼女が飛び出してきた。
「何まだ居たの!?」
あはははは、と彼女は笑って、勢いのまま、Gに飛びついた。
「泊まっておいきよ」
彼女はその勢いのまま、彼の首に腕を回し、言った。
「今日はクルティザンヌにも休日なんだ」
だから、客でない相手と寝てもいいんだよ、と。
*
「明日は早いのかい?」
彼女は問いかける。いや、とGは首を横に振る。
この惑星に「明日」は無い。彼はそれを知っていた。
ただ、どんな方法で「今日」この惑星が壊滅するのか、彼には予想がつかなかった。
もう夜で、それももうかなり回っている。
今日これから、いきなり爆撃があるとでもいうのだろうか。しかし空襲が普段からある様な地域には見られない。人々の余裕はその証拠だ。
指導者キュレーの悪口を言っていても、まだ言う余裕がある。戦争はおそらく、この惑星の住民にとって、遠い世界の出来事なのだろう。ハンオク星域が大変なことになった、と言っても、それはただの事実の確認に過ぎない。
「これから何処へ行くんだい?」
彼は首を傾げて、微かに笑った。まだそれは、彼にも判らない。
Mが冒してしまった「過ち」。それが何であるのか、判らない限りは、次の移動はできない。
彼はそれが都市である限り、日銭を稼ぐことはできるだろう自分を知っていた。戦場でも生き延びる術は学んできた。
その他の場所に出る可能性が無い訳ではない。もしかしたら、恐ろしく平穏な農村に出てしまうかもしれない。工場地帯の真ん中に出てしまうかもしれない。きっとそんな所に出たら、戸惑ってしまうかもしれない。あまりの平和さに。
出た所勝負ではある。そこにMの過ちが存在するなら、そこがそれまでどんな平和な所であったにせよ、その瞬間から、平和とは縁の無い場所になるのだろうから。
「何だい。決めてないの?」
「まだ、判らないんだ」
「ふうん。それじゃあ仕方ないね」
そう言って彼女は、Gを引き寄せて、唇を塞いだ。柔らかで、穏やかなこの感触。久しぶりだった。悪くはない、と思う。
「やめた」
不意に彼女は身体を離す。
「その気になっていない男とするのは商売だけで充分だと思わない?」
「その気に? なってるとは思わない?」
「身体はね、でも」
ふわりとした褐色の巻き毛が、肩に滑り落ちる。
「あなた何か、ずっと気にしているわよ。何? あたしに言って済むことなら言ってごらんなさいよ」
しっとりとした指先が、頬からあごにかけての線をたどる。どうしたものかな、と彼は苦笑する。
言っていいものだろうか。君達の惑星は、今日で終わるんだ、と。
もっとも、口にしたところで、信じられやしないだろうけど。
「…いや、戦争はここには来ないかなと」
「何、来て欲しいの?」
「そんなことは無いけど」
「どうかしらね。あのケチのキュレーがアンジェラスの軍にお帰り願うのに、どれだけ払うか、が問題だけど」
「え?」
「あんた新聞ちゃんと読んでいなかったの? 駐留してるのよ、アンジェラスの軍は。とりあえず政府がどケチだろうが何だろうが、それなりにあしらっているから、今のとこ何とかなってるけど」
「…軍が、居るのかい?」
「居るわよ。それも空にね」
「空」
「いつ爆弾落とされたって、おかしくは、ないわよ」
頬を撫でる手が、そのまま髪をかきあげる。
「だけど、そこで下手に防空対策なんてとったら、向こうに敵対意識もってることが丸判りじゃない。だから祭りを、しなくちゃならなかったのよ」
「…本当に?」
「誰だって知ってることよ。ねえ、あんたはだあれ?」
コレットは問いかけた。
「この時期、他星からの旅行者が、テロワニュに入れる訳が無いのよ。もうずっと前から、宙港は閉鎖されている。あんたの様に、そんな身軽な恰好で、換金してないお金持って、ふらふらとやってくる旅行者が入れる程、平和な時代じゃあないのよ」
「…俺は…」
Gがそう言いかけた時、だった。急に花火の音が、激しくなった。
窓の外が、明るくなる。色とりどりの、あくまで花火。勢い良い音が、これでもかとばかりに鳴り響く。火薬のにおいが、漂いだす。
「な」
窓の方を向こうとした矢先、彼女の手がそれを阻止する。
「花火でしょ」
彼女はあっさりと、だけどきっぱりと答える。
「花火でも打たなくちゃ、気がおさまらないわよ」
それにしても。Gは懲りずに窓の外を見る。
花火、というには、それはひどく規模が大きかった。確かにそうだ。空には明るく、色とりどりの花火がぱっと一瞬開いては、消えていく。
ただそれが、ひっきりなしなだけだった。
息もつかせぬ程に、ばちばちと音を立てて次々と空に開いては消えてゆく。どんどん大きく、どんどん激しく…
そしてどんどん高く。
「でも、そんなこと、どうでもいいわ」
彼女は続きを、とばかりに彼のうなじを撫でる。それを避けるでもなく、かと言って応えるでもなく、彼は
「…良くないだろ。あの軍を」
「だから表向きは、何もしていないじゃない。あれはただの花火。その中に、たまたま、本当の爆弾が入っていたとしても、今日は祭りだもの。知ったことじゃないわ」
Gは首を横に振る。
「君達は、あの軍の怖さを知らないんだ」
「じゃあ、あんたは知っているというの?」
コレットは真っ直ぐ彼を見据える。
「知っていると言ったら?」
「じゃあ答えて。彼らに何ができるの?」
「それは…」
Gは言いよどむ。
「ほら、答えられないんでしょ」
つ、と彼女は絡めていた腕を解く。
そのまま、洗面台の方へ向かう。巻き毛がふわふわ、と歩くたびに揺れる。腰のあたりまである。結い上げていた時には判らなかったが、その長さは、あの旧友の相方を思い出させた。
…そういえばこの時期に、彼はどうしていたのだろう?
不意にそんな問いが心に浮かぶ。コレットはそんなGの考えにはお構いなしに、化粧を落とす支度をしていた。あてつけだろうか、と彼が考えたかどうかは判らない。
「あら?」
手にクレンジングクリームを少し取り、水道の蛇口をひねった時だった。
「どうしたの?」
「水が… 出ないのよ」
「壊れたのかな? それとも」
「断水は、この都市では滅多にないわ。郊外にまず枯れない貯水池があるのよ」
「見せて」
手にとったクリームをどうしようか迷っている彼女を横にやると、彼は水道の蛇口をひねった。確かに水が出ない。
「ん?」
蛇口に置いた手に、幾らかの振動が伝わる。出るのかな?
ぷしゅ!
反射的に彼は蛇口を締めた。固く、固く締めた。
まさか。
「…あら、あんたコロンか何か使ってるの?」
「…使っていない…」
―――まさか。
彼の中に、危険信号が走る。
「出てきたの? やっぱり駄目なのかしら?」
ひょい、とのぞき込もうとした彼女を、Gは手で制する。
「何すんのよ」
少しばかり、眉を寄せて彼女はGを見上げる。
「…コレットよく聞いて」
「…何よ」
コレットは少しばかり、たじろぐ。Gは彼女の両肩を強く掴んだ。
「絶対、この蛇口をひねっては駄目だ。いや、ここだけじゃない」
「何なのよ、一体」
手を払う。
「いきなりそういうこと言われて、はいそうですか、とあっさり言える程、あたしはできた人間じゃあないのよ? 何か変なの? 何かおかしなものが、蛇口から出てきたっていうの?」
「亜熟果香…」
「あじゅく…何ですって?」
「聞いたこと、ない?」
彼女は首を横に振る。その可能性はあった。まだこの時代、それは広まっていない。
…いや、それどころか。
「…麻薬の様な、香だ、と言えば、判る?」
「…麻薬?! ですって?」
それが身体にさして影響が無い、という点はあえて彼は口にしなかった。強烈な習慣性。禁断症状。それだけで充分、それは危険なものなのだ。
「そう。今、それが蛇口から出てきた」
「って、今の甘い… くだものの様な、香り?」
「そう」
ち、と彼は舌打ちをする。
蛇口から出てくるとしたら。しかもこの香りは、ちょっと嗅いだだけでは、それこそ「くだものの香り」として認識されてしまうのだ。そのまま断水が終わるまで、と蛇口を開きっぱなしにする家も決して少なくはないだろう。
…勢いにしたってそうだ。水とは違う。開いた蛇口から、圧縮された空気とともに流れてきたとしたら?
Gは彼女の手を取った。
「逃げた方が、いい。この街から」
「どうしてよ。蛇口だったら、こうやって、閉じておけば…」
彼女ははっとする。
蛇口がぶるぶると震えている。開くのをこれでもかとばかりに待っている。圧力を上げたな、とGは思う。
「…逃げるって… でも、何処へ?」
彼女は声を張り上げる。そして首を横に振った。
「できないわ!」
「コレット」
彼は目を見開いた。そういう答えが返ってくるとは思ってもみなかったのだ。
「あんた行くなら、早く行った方がいい。今なら間に合う、とあんたは思ってるんでしょ? ここに今居る旅行者のあんたなら」
何かしら、入ってきた時の様に、出ることができるのだろう、と。
「でもあたしにはできないわ。それに、あたしはクルティザンヌなのよ? この惑星に縛り付けられている。あたしが逃げたら、あたしを売った家はどうなるの?」
「そういうことを言ってる場合じゃ」
「そういうこと、じゃないわ。それが大切なのよ」
とん、と彼女はGの胸を両手で押した。
「行って。今ならあんたは大丈夫なのでしょ?」
扉はあっちよ、と彼女はすらりとした腕を伸ばした。