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第21話 遠い過去――Mの迷い

「アンジェラス?」


 相手は微かに抑揚を加える。


「そんな星域は知らない」

「そんな訳は」

「この星域は、我々が発見したのだ。名前など、誰が知ろう」

「M…」


 思わずGは相手の名を呼んでいた。そうなのだ。

 目の前の相手は、自分の知る、あの反帝国組織MMの盟主であり、かつての「最強の軍隊」天使種の正規軍の総司令である人物。

 Mと呼ばれる、その人物、そのものだったのだ。

 だけど。

 この場所この時間がいつの何処なのか、Gの頭はめまぐるしく回転を始める。

 少なくとも、Mは自分を知らないのだ。

 だとしたら。彼は考える。あのレプリカの反乱の起きた時期よりも、ずっと前だ。

 ずっと前。アンジェラスという星域の名前も決まっていない程昔。

 それはいつだ? Gは考える。

 答えは一つしかない。

 植民直後だ。 


「しかしお前は見ない顔だ。それとも私が知らないだけか?」


 いやそんなはずはない。その言葉の裏にはそんな思いが隠されている。


「お前は、誰だ?」

「俺は…」


 Gは言葉に詰まった。他で出会った子供の様にはいかない。どう言ったものだろう。


「何だと、思います?」 


 それでも敬語表現になってしまう自分に、苦笑しつつ、彼は相手に問いかける。


「わからぬ」

「あなたでも、判らないですか?」

「皆が、そう言う。だが、私とて人間だ。判らぬこととて数々あるのだ」


 おや、とGは思った。その様な言葉をMという人間の口から発せられるとは思わなかったのだ。


「お前は私を知っているな」


 ああ、とGはうなづいた。


「だが私が集団の中の何であるのかは知らないようだ」

「集団?」

「そうだろう?」


 彼は再びうなづく。何の集団だと言うのだろう。


「少し、私につきあうがいい」


 Gはその言葉に逆らえない自分を知っていた。



 こんな所だったのだろうか。

 そこは彼の知っている故郷の惑星とは、似ている様で、異なっていた。

 自分の知っている故郷は、それでももう少し空の色は青かった気がするし、大地はもう少し黒みがかっていた気がする。

 あの頃、荒れた大地だ、と思っていたが、今目の前に広がる光景ほどでは無い。

 ついて来い、と短い言葉でうながされ、GはMの後から歩いて行く。

 彼が出現した状況について、Mは何も言わない。見なかったのだろうか、と考えもしたが、あの何も無い乾いた大地の上で、それは考えにくい。

 見なかった、としても、いきなりそこに知らない人物が居たら、警戒の一つでもするものではないか。そう思いはするのだが。

 何も無い、白茶けた大地。ほんの時々、淡い黄緑の草が、細い葉をうねうねと広げている。

 よくこんな所に根付いているな、とGは感心する。地表に手を広げ、ただ降り注ぐ強烈な光を草は受け止めている。

 何も言わず歩いて行くMの背中を追いかけていくうちに、周囲の風景がゆっくりと変化してゆくのが判る。遠くに見えていた岩場へと、彼は足を進めて行く。

 黒い、長い髪が背中に揺れている。

 昔から、このひとはこの姿だったのだろうか?

 ふと彼は、先日の、絵姿にあった金髪の巻き毛の姿を思い出した。あの姿をすることがあるのだろうか。それとも、自分が知らない時間の中で。

 岩場が次第に山に変わって行く。風もなく、ただ大地を岩を踏む音、砂を擦る音だけが、耳につく。手に触れる岩は、少し力を入れるとぽろぽろと砂に変わる。踏み外さない様に、と彼は足元に気をつける。

 やがてMは切り立った岩が、四方を囲っている場所へと彼を導いていった。

 その岩は、今まで通ってきた道と違い、砂質のものではなかった。濃い深い赤。半透明で、硬質のものだった。

 Mはその赤い岩の前で立ち止まり、平らな岩の上に座った。ちら、と視線だけを彼に送る。自分にも座れと言っているのだろうか、とGは思い、辺りを見渡すと、平らかになっている所を選んで腰掛ける。


「ここなら、聞こえないだろう」

「聞こえない?」


 何からだろう、と彼は思う。あの何も無い大地の上でも聞こえる聞こえないもないはずなのに。


「お前は、何だ?」


 改めて、MはGに向かって問いかける。誰だ、ではなく、何だ、と。


「お前は前触れも無く出現した」

「俺は」

「お前は、人間か?」


 Gはぐっと詰まった。この質問を、このひとから出されるとは、思ってもいなかった。自分が人間では無いことを、かつて突きつけたのは、このひとだと言うのに。


「俺は…」


 迷った。俺は人間だろうか。

 あの時。ユエメイに向かって、彼は自分を人間だと言った。その時、確かにそう思っていたのだ。だからその時、口からぽろりと出たのだ。言った自分自身が驚いていたとしても、思い返した時、それは自分の中で確かだった。

 なのに。

 この人物の前で、迷う自分が居ることを彼は感じていた。

 何故なのか判らない。ただ、このひとにそう問われることで、自分の信じている考えが揺らぐ。


「俺は… 人間だ」

「本当か?」

「そう、信じたいんだ」


 Mはじっと表情の無い目で彼を見据えたまま、微かに首を傾げた。


「それではお前は、人間ではない、と思っている自分も居る訳だな」


 それはあなたに問われたからだ、という気持ちはあったが、Gは黙っていた。


「あなたから見て、俺は、人間ではない?」

「人間は、少なくとも、空から降っては来ないだろう」


 それではそう見えていたのか。


「天使か?」


 Gは目を大きく広げた。その唇は、少し見過ごすと、動いているのすら判然としない。本当に、その言葉がこのひとから発せられたのだろうか。


「天使…」


 確認の意味も込めて、彼はつぶやく。


「空から降りてくるのは天使と決まってる」


 Gは苦笑する。


「…俺は… 天使じゃない」


 そうか、とMはうなづいた。


「どちらかと言えば、あなたのほうが、俺にはそう見える」

「私がか?」


 短い問いかけだった。Mの表情は、変わらない。


「冷たく、美しい」

「お前の天使は、そういうものなのか?」

「誰よりも、冷たく、恐ろしく、そして、強かった」


 なるほど、とMはつぶやいた。


「長い長い時間の中、俺を、振り回して、それでいて、俺には逆らう術が何一つない。そんな天使」

「逆らうことが出来ないのは、お前の弱さではないのか?」

「そうだ」


 Gはうなづいた。


「だったら、お前自身がそうされることを選択しているのだろう」

「あなたは正しい」


 自分のさんざ考え抜き、だけど直視したくなくて、いつも目隠ししていた答えだった。


「正しい、か」


 Mの唇が、開いた。


「それでは私のこれからすることは全て正しいのだろうか?」

「これから…?」

「私は一つの決断をしなくてはならない」


 決断。何の決断だというのだろう。戸惑った顔のGに、Mは言葉を続けた。


「見た通り、この惑星は、人がそのまま住むには適さない。気付いただろう? 日射し一つが、我々人間の脆弱な身体には命取りとなりかねない」


 そうだったのか、とGは思う。かつての母星の環境の厳しさは、単に乾燥であったり、土壌の貧しさではなかったのだ。


「それでも我々は、生きねばならない」


 Gはうなづいた。


「失ってきた仲間のために。皆命をかけて脱走してきた。無駄死にはできない」

「無駄死に…」

「このままでは、ここに居るだけで命が危うい。我々は決断せねばならない…」

「どんな、決断なの」

「お前はこれが何に見える?」


 Mは立ち上がると、背後の赤い岩に手を伸ばした。


「…岩… ではないのでは?」

「岩だ」


 Mは即答する。


「ただし、死んだ岩だ」

「死んだ…?」

「この惑星の岩の中には、生命を持つものがある」


 それは彼も良く知っていた。しかし彼の居た時代、「死んだ岩」を見たことはない。


「その生命が宿っている間、岩は淡い乳白色に染まっている。それが死ぬと、そんな、女の月経の色になる」


 そのたとえはどうかと思う、と彼は思う。


「だがこの死んだ岩の間に居れば、生きた岩から思考を読まれることはない」

「え」


 思考を読むのか。それは初耳だった。しかし確かにそれは当然と言えば当然だった。

 彼自身もかつて、その生きた岩と対峙したことがあった。まだほんの子供の頃だったが、その時に、何かが、自分の中を触っていく感じ、は確かにあったのだ。

 Mは目を伏せた。


「彼らは我々に提案した。生きたいのなら、自分達と融合しろと。そうすることによって、この惑星で生き延びる力を手に入れることができる、と。考えるべくもない、唯一の選択肢だ」


 そして目を開く。


「それしか無いのだ。我々がこの地で生き残るのは」

「また他の惑星に行くということはできない?」

「お前は我々が何処から来たのか、知っているか?」


 彼は首を横に振る。


「俺は何も知らない」

「我々は、逃げてきたのだ。長い旅をする移民船の中から。小型の輸送挺に詰め込めるだけの人員を詰め込んで脱出してきた。小型艇もこの惑星にたどりつくのが精一杯だった。もうこの先に行くことはできない」


 行き止まりか、とGは思う。


「我々はこの地で生きねばならない。…なのに、私は迷っているのだ」

「あなたが」


 耳に飛び込んできた言葉が、すぐにGには信じられなかった。


「あなたが、迷うのか?」

「私とて、人間だ。迷うことはある。そして人間でありたいと思う。天使のお前には判らぬか?」

「俺は」


 天使ではない、と言おうと思った。だが妙に舌がもつれた。


「この地の鉱物の生命体と融合すれば、確かに生きていけるだろう。しかし融合した我々は、果たして人間であろうか。あり続けることができるだろうか」

「それは…」


 Gはどう言っていいものか、困った。その答えは自分の中でも出ていないというのに。


「しかし私は、その迷いを見せる訳にはいかないのだ」

「生きている岩に?」

「いや」


 Mは首を横に振る。


「それだけではない。中には、それが、彼らが我々の身体を侵略しようとしているのだ、と主張する者も居るのだ」

「反対派が」

「そうだ。その主張も決して間違ってはいないだろう。意識を自分のものとしておける保証は何処にもない」


 そこまで言うと、Mは再び腰を下ろす。腕を組み、目を閉じた。


「しかし、それでもその選択肢しか無いのだ。我々が生き延びるためには」

「あなたは、そうしたくはないんだ?」


 ふっとMは顔を上げた。


「違う?」

「違わないだろう。私という個人の感情の中は、それを拒んでいる部分が、少なからずあるのだ。だが、私がそれを選んだらここで誰も生き延びることはできなくなる」

「あなたは、皆を生き延びさせたいんだ?」

「無論だ」


 答えは出ているのだ、とGは思った。ただこの人は、最後の一歩を踏み出せないのだ、と。

 そして、おそらくは自分にその背を押してもらいたがっている。

 それは、GがMの中で、自分達とも生きた岩達とも無関係の第三者である、と認識されているからに違いなかった。自分自身が作り出した幻と思っているかもしれない。

 どうしたものだろう、とGは思う。

 ここで、Mの背を押さなかったら。

 そうしたら、アンジェラス星域に、人々は生き延びない。

 最強の軍隊は存在しない。

 帝国は、成立しない。

 言わない。それも一つの魅力のある誘いとなってGの中に指を這わす。

 だが。

 彼は思い直す。そうしたら、自分もまた生まれては来ないのだ。自分はアンジェラスの、天使種の、第七世代なのだ。

 ここに命からがら逃亡してきた人々の、七番目の子孫なのだ。

 決められた歴史を動かす訳にはいかない。


「あなたは、そうしなくてはならないよ、M」


 彼は名前を呼んだ。


「俺は知ってる。この地の人々は、いつか、この惑星を出て、全ての、地球から出た人々の住む星域を手に入れ、支配するんだ」

「夢のようなことを」

「俺は、知っているんだ」


 GはMの前にひざをつき、膝の上に置かれた手に、そっと触れた。


「あなたはいつか、最強の軍隊を率いて戦うんだ。俺はそれを知ってる」

「天使だからか?」


 Mは無表情のまま、問いかえす。Gは首を横に振る。


「俺は天使じゃない。いや、そう言われる時期もあるかもしれない。だけど、そう。生き延びたあなた方が、そう言われるんだ。最強の軍隊、天使の種族と」

「本当か?」

「本当だ。俺は、それを知ってる」

「お前は、誰だ?」


 Mはようやくその問いを口にした。

 その瞳が、自分を見据えている。ああ同じだ、とGは思う。既にその瞳に迷いは無い。そして吸い込まれそうに、深い。


「俺は」


 ずっと、焦がれていた瞳だ。誰よりも冷たい。


「俺は、あなた方の子孫の一人だ」

「子孫。我々に、そんな未来があるというのか?」

「そして俺は、あなたを知ってる。誰よりも強い力を持ったあなたと、俺は、会ってるんだ」


 唇が、微かに上がる。


「嘘を言うな」

「嘘じゃない」

「私は、お前に会うのか? 遠い未来で」

「あなたは、俺に会うんだ」


 彼はMの手をぐっと握りしめる。


「だからあなたはここで生き延びるんだ。仲間達と共に」

「そして、全星域に覇権を唱えるのか?」


 ゆったりと、首をかしげる。


「それもまた、悪くはないな」

「本当だよ」


 悪くない、とMは繰り返し、Gに顔を近づけた。

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