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第20話 危機、子供達との別れ、第三のジャンプ

「ねえ」


 出るや否や、イアサムはGの上着の裾を引っ張った。何、と彼は少年のレンズ越しの目をのぞき込む。


「あのおじさん、銃持ってたよ」

「…何?」

「おじさんだけじゃないよ、あっちの人も」


 ネィルもそう付け足した。


「動いた時に、かちゃかちゃ音がしてたもん」


 なるほど、と彼は思う。あの女の服は、確かに物を隠すには絶好の場所だった。この土地の習慣からして、女の服をわざわざ開けて見せることはしない。身体に銃やら武器が巻き付けてあったとしても判らないだろう。

 もっとも、そんなに持てば、動きが悪くなる。その様子は見られなかった、とGは思い返す。


「用意ができました! 皆さん乗り込んで下さい!」


 車掌が車から身を乗り出す。行こうか、とGは二人をうながした。



 砂漠に陽が昇る。ただただ広がる空が、深い青紫から次第に金色に薔薇色に移り変わっていく。子供二人は窓にへばりついて、その光景をじっと見ていた。

 車中に乗り込んできたのは、総勢十名、というところだった。予定時間通りにやってきた乗客は乗り込むことができない。正直、議会政府の方から停止命令が出ているなら、運行中止にして、払い戻しした方が、安全は安全なのである。それをあえて走らせようというのは、たった一つつなぐ足である長距離バスの会社の意地であろうか。

 ともあれ、そのおかげでGは予定通りに乗り込めたことには感謝したい気持ちだった。自分が居るうちに、この少年達にある程度の安全を確保してあげたかった。

 しかし。彼は考える。自分はそんな親切なことをする方だったろうか?

 そうではない、と内心否定する。この少年達だからだ、と彼は思おうとする。未来に自分は彼らに会う。だからなのだ、と自分自身を納得させる。


「あれ」


 ふと、イアサムはサングラスを持ち上げた。たてつけの悪い窓を力を入れて押し上げる。そして少しだけ、窓から身を乗り出した。


「…サンドさん」


 イアサムはGの偽名を呼んだ。少年の失言に、Gは慌てて顔を上げる。


「…ねえ、何か後ろからついて来る車があるんだけど」

「車?」


 Gは後部座席の方へと移動し、一番後ろの窓を開けた。確かに、追う車がある。結構な距離があるのだが、この時間に、わざわざこの道を渡ろうとするあたりが、気になった。


「…何だろうな…」


 Gはつぶやきながら、ちら、と他の客を見た。


「何やってるんだ、砂が入ってくるじゃないか、閉めたまえ」


 この地にはおよそ似つかわしくないスーツの上下を着た男が、眉をひそめる。


「何か、後ろから車がやってきてるんですが」


 閉めながらGは何気なさをつくろう。


「ねえ、その後に三台くらい付いてきてるよ」


 ネィルの無邪気な声が響く。


「何?」


 その声に反応したのは、あの初老の男だった。視線が鋭い。


「坊主、その車って何色してる?」

「黒」


 ネィルは短く答える。その後、少し考えてから、こう付け加える。


「黒いんだけど、前だけ赤い線が入ってるの」

「三台とも、そういう車か?」


 うん、とネィルはうなづく。ち、と男は舌打ちをした。


「どうしたんですか?」


 Gは少しだけ不安な表情を作る。何でもない、と男は返す。


「何でもない、ということはないでしょう? その顔色じゃ」

「何でもねぇんだよ!」

「だけどそれじゃあ、俺達困るんだけど」


 イアサムが口をはさむ。


「俺どうしても、ワッシャードに行きたいんだもの」

「それは私達だって一緒だ」


 そうだそうだ、と客達からも声が上がる。そもそも政府命令を半ば無視してでもとりあえず向こう側に行きたい客達である。


「黒に、赤のラインと言えば、都市警察の車だ、と私は記憶しているが」


 スーツの男は眼鏡のブリッジを押さえながら指摘する。


「違ったかな?」


 初老の男は顔を苦笑する。


「誰か追われてる奴が居るのか!」


 中年の男が立ち上がった。


「あんたか? あんたか?」


 男は一人一人を指さして、問いつめる。まずいな、とGは思う。たたで密室で、狭いバスの中だ。こんな雰囲気の中で、猫の瞳を持つイアサムや、亜熟果香の後遺症がいつ出るか判らないネィルのことが表に出てはたまったものではない。


「運転手さん、急いで。何か追ってくる奴らが居る」


 いつの間にかネィルがとことこと前方へ行き、運転手に向かって頼んでいた。


「後ろから…? おおっ?」


 運転手はバックミラーを見ると、その三台の車の特徴に目を大きく広げる。


「…あれを振り切るってのは結構厄介だぞ…」

「でも厄介、で済むんでしょ?」


 イアサムも側により、口元をきゅっと上げる。

 仕方ねえなあ、と運転手はつぶやくと、アクセルをぐっと踏んだ。


「お客さん、しっかり掴まってくれよ! とりあえず飛ばすから!」


 言うが早いが、乗客皆が、一気に揺さぶられた。加速する。イアサムとネィルは後部座席に寄ると、窓に顔を当てて、次第に離されていく車の顔を確かめる様に見つめていた。


「…少しは時間が稼げるかな」

「そうですね」


 つぶやく初老の男に、Gはにっこりと笑顔を向けた。

 そして、こう付け加える。


「一体、誰に追われてるのです?」


 何を、と初老の男は問い返そうとした。しかし男は、言葉をそこで止めた。


「綺麗なお兄ちゃん、いつから気付いていたね」

「それとも追われているのはあなたのお連れさんですか? 色々物騒なものをぶら下げている様ですが」


 ふん、と男は鼻を鳴らした。


「最初に気付いたのは、あの子達ですよ」

「ふん、兄弟ではない子供達、かい」


 やっぱり気付かれていたか、とGは目を細める。


「あんたか! あんたが追われていたのか!」


 腰に手を当て、それがどうしたと居直る初老の男に、中年の男はややヒステリックな叫び声を上げる。がたがたと揺れるバスの中、その声もまた揺れていた。


「だが客だ。ちゃんと金は払った」

「しかし!」

「もういい」


 黒い服を頭からすっぽりとかぶった女が声を立てた。

 …しかしこの声は、女ではなかった。


「もういいのだよ、ヘドゥン」

「しかし」

「いいのだ」


 そう言って、黒いかぶり物を外す。中に居たのは、交差させた銃のベルトを身につけた、同じくらいの初老の男だった。Gはその顔に、見覚えがあった。


「…あなたは…」


 そしてさすがに、スーツの男はすぐに気付いたようだった。


「議長!」


 中年の男も、即座に反応する。議長、ということは、議会派のトップに当たる。つまり、は。


「…こんな方法で逃げ出そうとした私が悪いのだ」

「しかし、これしか方法が無かった!」


 初老の男は、首を大きく横に振る。


「あんたは生き残りたくて、俺を雇ったんじゃないか!? 俺は傭兵だ。依頼を果たすのが仕事だ。あんたを向こう側へ送り届けることができなかった、なんていうのは俺の信用問題にも関わるんだぜ?」

「いや、いい。もういいのだ。車を止めてくれ。私が出れば、事は治まる」

「駄目だ!」


 二人のやりとりを、周囲ははらはらとして見ている。議長と、その脱出を頼まれたプロの傭兵。周囲はそう彼らの関係をとった。Gもそれには異論はなかった。


「しかし、おそらくこのままでは、新政権は、この車の足を止めてでも、私を捕らえようとするだろう」

「そういう時のために、俺が居るんじゃなかったのか?」


 ぐい、と古参の傭兵は、議長の身体から、ガンベルトを取り去った。何を、という顔で議長は傭兵を見る。


「ここで向こうを足留めしてやればいいんだ」

「…それは…」


 周囲の表情が、複雑なものになる。確かに、それは一理ある。とにかくここに居る者達は、何はともあれ向こう側に早く着きたいのだ。この傭兵一人がそうして、それが可能ならそれでもいい、という空気はあっという間に流れた。

 そして一理ある、とGもまた、思った。


「のった」


 Gは手を挙げる。そして傭兵の手のガンベルトを一つ握った。


「俺もその案に乗る」

「サンドさん!」


 イアサムが声を上げる。


「議長、あなたにこの子達を頼んでもいいですか?」

「何?」

「俺も軍隊の経験はある。ここで向こうの車を阻止するから、あんた達は一刻も早く、向こうへたどり着いて欲しい」

「サンドさん…」


 ネィルもまた、不安げな表情になる。


「心配しないで。上手くいったら、向こうの車を奪ってそっちへ行くから。議長!」

「…判った」


 議長は厳しい顔になってうなづいた。一方の傭兵は、と言えば妙にのんきな顔になる。


「なるほど、そういう手があったな」

「何あんた、向こうの車を奪う気無かったっていうのか?」

「さあて」


 Gは肩をすくめる。古参の傭兵は、運転手に向かい、車を止めろ、と要求した。


「綺麗な兄ちゃん、じゃあお付き合い願おうか」


 Gはにやりと笑った。バスはその場に停止する。窓からイアサムとネィルが身体を乗り出し、何やら叫んでいる。だがその声はバスの排気音で聞こえない。Gは苦笑して、手を振った。


「いいのか? あの坊主ども」

「いいんだ。…いつかは別れなくちゃならなかったし」


 それに、必ずいつか、会える。

 その思いが、Gを強気にさせていた。


「軍隊の経験があると言ったな。ずいぶんと華奢なようだが、兄ちゃん、大丈夫か?」

「大丈夫だよ。俺は最強の軍隊に居たんだ」


 へえ、と傭兵は肩をすくめる。嘘ではない。天使種の軍隊は、最強だったのだ。

 ガンベルトを一つ受け取ると、Gは慣れた手つきで、小型の拳銃に、長距離用のパーツを取り付けた。

 やがて、車の顔が逃げ水の向こうに見えてきた。

 行くぞ、と古参の傭兵は、Gの背中を叩いた。



 …何処だ?


 何も見えない。

 目を開いているはずなのに、何も見えない。

 腕を伸ばす。

 伸ばしているのだろうか? 腕にまとわりつくべき大気が、その存在を感じられない。


 ここは何処だ?


 確か、その時まで、銃を手にしていたはずだった。

 目の前に走ってくる車に向かって、銃弾を撃ち込んだはずだった。まず足を止め、続いて中の人間を…

 そのはずだったのだが。

 止めたはずの足が、思った以上に丈夫だったので、そのまま突進してきた。向こうの車の窓から、身を乗り出した男が、自分に向かって銃を撃とうとしているのが、見えた。弾は頬をかすめた。肩をかすめた。だから相手の眉間を狙った。当たった。

 だけど。

 臨時の相棒だった、古参の傭兵は、後ろだ、と叫んだ。


 それがその時の最後の記憶だった、と。


 彼は思う。


 何処なのだろう?

 何度目かの疑問を彼は脳裏に浮かべる。本当は口に出して、音にして、耳に届かせたい。

 なのに、それができない。

 どうすれば、そうできたのか、上手く思い出せない。

 眠っているのか?

 一つの可能性を浮かべて、否定する。違う。眠ってる時の意識じゃあない。

 では一体。

 死んだのだろうか?

 それも違う。

 だとしたら?


 泳いでいるのだ。


と、彼は思った。


 何処を?


 そして、


 何処へ?



 忘れていた。俺は。いつもそうやって。



   *


「うわ!」


 肩にいきなり衝撃が走った。頬に、ざり、と砂の感触が走る。切れたかもしれない、と彼は思う。頬が痛い。それ以上に、肩が痛い。

 もっともそれは、数分もしない間に、消えてしまうだろう。

 彼は落ちた右側の肩を押さえて起き上がろうとする。白茶けた生の土に手をつく。

 ぎらぎらと照りつける日射しが、首筋に暑い。気温が高い地方なのだろうか。乾燥した所なのだろうか。つい先刻まで居たミントとよく似た気候なのだろうか。彼の頭に一度に疑問が浮かぶ。

 ふとその時、視界が強烈な光から守られていることに気付く。自分の前に、影ができていた。

 彼は顔を上げた。誰かが、自分の前に立っている。

 落ちてくるところを、見られただろうか。こんな光に満ちててる所だったら、ユエメイが見た様にきらきらとしたものは見えなかっただろうが。

 逆光でよく見えない。だが子供ではない。大人だ。自分と外見的にはそう変わらない程度の。長い髪。女だろうか。違う。やや曖昧だが、それでも女ではない線がそこにはあった。

 それにしても。

 彼はいまいち調子が狂う自分を感じていた。相手は黙って自分を見下ろしているだけなのだ。驚いている様子でもない。ただじっと見ているだけだった。


「…あの」


 たまりかねて、口を開く。相手の反応は無い。服についた砂ぼこりを払いながら、ゆっくりと立ち上がる。あれ、と彼は思う。相手は自分より、ほんの少し、小さい。


「ここは…」


 問いかけた時だった。

 Gは、その次に自分が発するべき言葉が何処かへと飛んで行くのを感じた。

 相手は、無表情に――― 今度は自分を軽く見上げる。

 感情の見あたらない、瞳。


「…あなたは」


 相手の首が、ほんの微かに動く。だが表情は変わらない。


「何を聞きたい?」


 ただ、その一文字に閉じた唇が、微かに開かれる。重ねて問うことはしない。ただ一つの質問だけを口にし、彼の答えを、待っているかのようだった。


「…あ…」

「それとも、喋れないのか?」


 抑揚の、少ない言葉が耳に飛び込む。懐かしい声。


「違う俺は喋れる、ただ…」


 Gは息を呑む。そう来たか、と思う。


「一つ聞きたいんだ…」

「何を」


 あくまで最低限の言葉しか、相手は口にしない。喋りすぎるのは禁忌だ、とでも言いたげに。


「ここは… アンジェラス星域の本星なのか?」

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