「…誰その子」
イアサムは目を丸くした。宿に戻ってきたGの傍らには、イアサムとそう変わらないくらいの少年が居た。
「拾ったんだよ」
頬をかりかりとひっかきながら、Gはやや言い訳めいた口調になる。
なるほど、とイアサムはうなづく。少しばかりその表情に非難めいたものがあったのをGは見逃さなかった。しかしそこでどう言葉を繕ったところで、何が変わるという訳ではない。イアサムが事態を納得してくれるのを期待するしかないのだ。
「明日もう一枚、バスのチケットを調達してこなくちゃならないな」
「ふうん。連れてくの?」
「行きがかり上、仕方ないだろ?」
「そんなこと!」
連れてこられた少年が、顔を上げる。
「俺はそんなこと、してもらわなくても」
「行きがかり上だ、って言ったろ?」
一人連れてくも二人連れてくも、そう変わらない、とGは思っていた。
巻き毛の小柄な少年は、居心地悪そうに周囲を見渡す。イアサムは少しばかり眉を上げると、来いよ、と少年の手を引っ張った。
「彼がそう言うんだから、お前も一緒に行こう。何って言うの?」
「…?」
少年は首を傾げる。そしてその拍子に、イアサムはぱっと顔を上げた。
「こいつ…」
「だから、行きがかりと言ったろ?」
巻き毛の少年は首を傾げる。
亜熟果香の匂いが、服に染み込んでいた。
「基本的に、身体に影響は無いはずなんだけど…」
Gは厳しい顔になる。
「何処で拾ったの?」
イアサムは自分がその残り香に捕らわれないように、少しの距離を置きつつも、少年の肩に置いた手を放さない。少年はその手をじっと見ながら、言葉をそれ以上発しない。
「閉鎖した繁華街で、座り込んでた」
「…そう」
その状況を理解したのかどうか、イアサムはぐっと息を止めてから、少年を強く抱きしめた。
ぽんぽん、と何度かその背を叩く。少年は一瞬驚いた顔をしたが、やがて目を閉じた。気が抜けたのだろう、くたくたとその場に崩れ落ちる。
ふう、と息をついて、イアサムはその身体をGに渡す。残り香がきちんと消えないうちは、長い時間近くに寄れない。
「そういう風に、使われるんだ…」
「名前を、思い出せないと言ってた」
「じゃあ俺が、つけてもいい?」
「どんな?」
「どんなって」
そう問い返されるとは思ってもみなかったのか、イアサムは猫の瞳を大きく見開いた。
「考えておくよ!」
*
アウヴァールからワッシャードへは、砂漠を通る一本の道を行かなくてはならない。日によっては砂嵐が起きて、その道すら通れなくなる。
その時に使用されるのが、長距離バスだった。鉄道を敷く手間と資金がこの惑星の両政府には存在しなかったらしい。
そもそも決して仲の良い勢力ではない。どちらにも宇宙港が存在し、それなりに外との連絡も交易も取れていることから、互いの行き来は切実ではないのだ。それよりは、下手に道を通して対立状況になることの方が望ましくはない。
「…一応、明日の便には乗れそうだけど」
巻き毛の少年を自分のベッドに寝かせて、Gはカウチで足を組む。
「大丈夫?」
イアサムの問いに、どうかな、とGは首をかしげる。
二つの都市は、決して友好的とは言えなかったが、それでも一応観光客の出入りは自由という達前になっていた。
Gもイアサムも決して真っ当な観光客という訳ではなかったが、市民であるよりは動きが取れた。この名も判らない少年については、どうしたものか、と思ったが、観光客のふりでもう一枚くらいチケットを手に入れることはできるだろう。
その代わり、と言っては何だが、観光客は殺されても保証は無い。本当の観光客だったら、その籍のある場所や、自治政府から追及があるかもしれないが、徒手空拳の身には、そんな後押しは存在しない。
「昨日のニュースペイパー。何か、物騒だよ」
ばさ、とイアサムは宿の階下から取ってきたのだろう、新聞をGに投げ出す。
議会が荒れている、という記事が目に止まる。
アウヴァールでは現在、議会の半分を占める主流派と、それ以外との対立が深まっているらしい。そう言えば、と前にイェ・ホウと居た時に見た新聞記事の内容を思い出す。
その時の主流派と、イアサムが投げた新聞に載っている主流派では名前が異なっている。どうやらあの時間の間に、主流は入れ替わっていたのだろう。
いや、一度ならず、何度も何度も入れ替わっているのかもしれない。
そしてそのたびに、この物騒な惑星では、武装蜂起もされているらしい。
街角には常に、男の姿しか無い。女はたまに見かけることがあっても、黒い布に全身を覆われ、目くらいしか見せることが無い。
なるほどこんな中では、奧に居る方が安全だろうな、とGも思ったものである。
何処の街にでも見かけていた歓楽街というものも、ざっと歩き回っただけでは見あたらない。いや、あった形跡はあるのだが、その扉は閉ざされ、扉のネオンチューブはしばらく点けられた様子が無かった。巻き毛の少年を拾ったのも、そんな街の片隅だった。
「やっぱりまだワッシャードの方が大丈夫そうだな」
Gは2枚のバスのチケットをひらひらと手にしながらつぶやく。
「そうなの?」
「俺が知ってるところは、少なくとも、こんな騒動は起きてなかったからね」
ふうん、とイアサムはうなづく。
「色んなとこが、あるんだね」
ぽつりとつぶやく。そうだね、とGは新聞を畳みながらうなづいた。
だが行く先々で、亜熟果香の匂いが、何処かで絡み合っている。何故だろう、とGは考える。偶然だろうか。
「服」
イアサムの声に、Gは顔を上げる。
「この子の服、洗うなり変えるなりしなくちゃ。俺の身が保たないよ」
「ああ」
「俺、買ってこようか?」
イアサムはぽん、と座っていたベッドから飛び跳ねた。
「いや、外は危険だ」
「大丈夫だよ」
そう言って、この地に来る前にGに買ってもらったサングラスを取る。
「安く買って来るからさ」
するり、と少年はそのまま、扉を抜け出していった。
Gは閉じる扉を見ながらふう、と息をつく。実際、自分がいつまでこの時間のこの場所に居られるのか、自分でも判らないのだ。その時にはどんな状況であれ、イアサムには一人でやっていってもらわなくてはならない。保護者気取りしている余裕は無いのだ。
一時間としない間に、イアサムは戻ってきた。
確かに買い物上手だった様で、眠る少年に必要な一揃いを入れた大きな紙袋を自分のベッドに投げ出すと、はいお釣り、とGにいくばくかのコインを差し出した。
*
それにしても。
朝時間にはまだ少しある。予約した長距離バスは、こんな時間しかなかった。急な予約にぜいたくは言えない。
「こんな時間」に無理矢理起こされた子供達は、待合いの場所に置かれたベンチで寄り添ってうとうとしている。よく眠らせ、水分を取らせ、そしてよく風呂に入れた結果、まとわりついていた亜熟果香の残り香は拾った少年から殆ど消えていた。
ただ、身体の方に残っているのかどうかは未だ疑問だった。亜熟果香の禁断症状というのがどのくらいの期間で出てくるのか、Gもよく知らなかった。個体差もあるかもしれない。今の所、少年にはその兆候は見られなかった。出るにしても、せめてワッシャードにたどり着いてからであってほしい、と思う。
ぶる、とイアサムが震えて目を開けた。
「寒い?」
「少し」
だけど大丈夫だよ、と少年は答えた。
「それより、ネィルに何か掛けてあげられたらいいんだけど」
自分が名前をつけてやったもう一人の少年に、イアサムはことのほか親身になっていた。
風呂場でこれでもかとばかりに洗ってやっていた時である。何気なく触った爪がイアサムの手をかすめた、ぴっ、とその肌を切り裂いた。
さほど長い訳でも、鋭い訳でもないのに、だ。
イアサムは不思議そうな顔をして自分のその手の甲にできた傷を眺め、ぺろ、となめてから、決めた、と言った。
「お前の名前、ネィルね」
言われた本人はきょとんとし、ふうん、とうなづいた。
安直だが、まあ覚えやすいのでいいか、とGはその時思った。
「冷えてる?」
「みたい」
砂漠が近いこの町では、昼と夜の気温の差が激しい。明け方は一番冷え込む。昼の気温を基本に考えて服を選ぶと風邪をひく。
やがて彼らだけでなく、この日最初のバスに乗り込もうとする人々が集まってくる。中には黒い布を頭からすっぽりとかぶった女性も居た。
「おはようございまーす」
夜明け前、まだ夜の目をしていたイアサムは、素顔のままやってくる人々に笑いかける。夜仕様である限り、少年の笑顔はひどく人懐こい。
「おはよう。坊主、旅行者かい? そっちの綺麗な兄ちゃんはきょうだいか?」
その女性を連れているらしい、初老の男が、イアサムの隣に座り、笑いかける。
「そうなんだ。でもちょっと弟が具合良くないんだけど」
どうやらイアサムの中では、ネィルは弟分、ということに決まったらしい。Gはふっと笑みがこぼれる自分に気付く。
「だから早く出てくれた方がいいんだけどなあ」
「そうだね。バスは決して乗り心地がいいという訳じゃあないが、一度乗り込んでしまえば後は眠っていればいいものなあ」
中年男性は、そうだな、とうなづく。
「けど正直、ちゃんと今日出るかどうか、怪しいものだしなあ。…困ったものだよ」
「出ない可能性があるんですか?」
Gは話に加わる。ああ、と初老の男がうなづく。
「今朝のニュースペイパーはもう見たかね?」
「もう売ってるんですか?」
「わしはいつも朝一番のスタンドに寄って来るんだ。ほれ綺麗なお兄ちゃん」
ぽん、と男はGに向かって読み癖がついた新聞を投げる。Gはそれを広げると、ざっと目を通した。
「ほれそっちだ」
男は立ち上がり、Gの広げた紙面の一部を指す。
「…議会の使用予定?」
「よく見てみな」
言われた通りにGはよく見てみる。
「抜けてる」
「ところが今は、『会期』だ」
「『会期』って何?」
イアサムは無邪気に訊ねる。ああ、芝居だな、とGは何となく思う。この猫は、こう言ったことを誰から教えられるとなく、身につけていた様である。
「議会が、必ず開かれていなくてはならない期間、ってことだよ、坊主」
「そういう期間があるの?」
「ここでは、あるんだよ」
Gは耳を澄ます。
「選挙で決められた議員が、必ずその期間だけは、その義務を果たさなくてはならない期間だからな。まあまず、それこそ天災でも起こらない限り、基本的には、中止ということは無い」
「だけど休みなの?」
「さてそこが問題だ」
ち、と初老の男は顔をしかめる。
「ケンカになりそうな時には、休むんだよ、坊主」
「ケンカ?」
イアサムは目を丸くする。
「そうケンカだ。まあそれでも、議会そのものがケンカと言えばそうなんだがな、口ゲンカという。だがな、そのケンカが口ゲンカで済まなくなった時、腕に覚えの無い連中は、逃げるんだよ」
「意気地なしだなあ」
「全くだ。けど生き延びる方が先決だからな」
男はうなづいた。
「でも、それってつまりは、クーデターってことではないですか?」
「おお、ひらたくいや、そうよ」
Gの問いに、男は手を広げる。
「…正直、今は、それがいつ起こっても仕方ねえ状況だ。だからできるだけ離れておきたい、って奴も増えるし」
「ワッシャードの方が安定していると聞くしなあ」
黙っていた中年の男がぼやく様に言う。
「あんたは何、仕事かい」
「わたしは明後日、向こうの取引先と、話し合いをせんといかんのですよ。普通なら、明日の朝出ればいいんですがね」
早めの便を取ったのか、とGは納得する。
「まあ、な。クーデターも何年かに一度は必ずの様に起こるから、普通の連中は、じっと家の中に籠もってりゃいいんだ。だがな…」
「あなたは、ご家族を連れて、ということは… 向こうへ移住でも?」
「ああ、まあそんなものだな」
ちら、とGは黒衣の女の方を見る。目しか見られないので、詳しくは判らないが、若くはないようだった。
ん、と微かに震えて、ネィルが目を開いた。寒い? とイアサムは訊ねながら、その背中を抱きかかえる。
「ほら」
Gは二人に向かってぽん、と何やら投げる。販売機で売られていた手のひらサイズのチョコ・バーがそこにはあった。昼間強烈な熱さの風が吹くこの地では、溶ける菓子は販売機で売られている。
「食える時に食えよ」
「…は?」
あなた、という言葉をあえてイアサムは省略する。きょうだいというのにその呼びかけはないだろう。
「俺は甘すぎるものは駄目だから」
「わかった」
イアサムはうなづくと、チョコ・バーの包み紙をべりべりとはがし、中にナッツやらレーズンやらみっしりと詰まったそれをむしゃむしゃと食べ出す。ネィルもそれに続く。
夜明けが、近づいていた。ジ…、と待合所の天井近く掛けられたラジオが朝の放送の準備をする。祈りの時間のために掛けられているラジオは、放送時間中点けっぱなしである。
やや派手目の音楽が鳴り、そこからアナウンサーの声が雑音混じりに聞こえてくる。
イアサムはポケットからサングラスを取り出す。次第に空が明るくなりつつあった。
やがて、待合所の横にある長距離バスの事務所にも灯りがついた。中から制服を着た車掌らしい男が出てくる。待っていた客達に動きが出始める。
「本日の第一便に乗車の皆さんにお伝えすることがあります」
皆の動きがそこで止まる。
「先ほど、議会政府の方から、本日朝時間中には車を出さないように、という通達がありました」
何! と周囲から声が飛ぶ。
「落ち着いて下さい、皆さん。まだ朝時間には至っておりませんので、これからすぐに乗車準備に入ります。予定よりやや早めの出発になりますが」
「良かった」
ぽつんとネィルは言った。
「良かった、かね? 坊主」
「うん。おじさんもそうでしょ?」
無邪気な目がそう問い返す。男はそれに少しばかりひるんだ様に、Gには見えた。何だろう。少しばかりその反応に彼は違和感を覚える。
「二人ともおいで、外で待とう」
Gはその場をふらりと立つ。何となく、胸騒ぎがする。うん、とようやく身体が覚めだしたらしいネィルも、次第に目が猫のそれになってきつつあるイアサムも、中に閉じこもっているより外に出る方を好んだ。