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第16話 第2のジャンプ――何処かの軍らしい

 サイレンの音で目が覚めた。

 けたたましいその音と共に、何台もの車が通りを走り抜けて行く。こんな狭苦しい街では、システマティックな市民サーヴィスなど存在しない。

 安宿の窓を開けて見下ろすと、真っ赤な車が走り抜けて行く。


 火事か。


 彼は車の行き先を確かめる様に身を乗り出す。


「…まさか」


 あの方角は。


 彼は慌てて服を身につける。通りに飛び出し、見覚えのある建物の方向へと走りだした。


 何だって一体。


 途中で、乗り捨ててあったモト・サイクルを無断で借りると、彼は赤い三角屋根を探した。一度行けば、位置は記憶できる。

 あった。

 モト・サイクルを止めて、壊した鍵のまま転がしておく。きっと誰かが自分の様に持っていくだろう。

 赤い三角屋根が、そこにはあった。しかしその赤は、あの時見た様な、静かで柔らかな赤ではなかった。めらめらと、まぶしい程の炎に包まれた赤だった。

 門の外には赤い車が何台か止まって、消防士が水を出すホースをどうしたものか、と掴んだまま、立ちすくんでいる。庭に広がったたくさんの花壇のせいで、上手く車が中に入れないのだ。子供達が周囲に座って花々を楽しむその外枠が、今この場で車の出入りを拒んでいた。

 その近くには、たくさんの子供と、あの時の様に、黒い服で頭から足まですっぽりと覆った女性が何人も居る。

 同じ格好だったので、てっきり同じ女性かと思ったら、そうではなかった。おそらくこの「教会」で働く女性は皆そんな同じ格好をしているのだろう。


「大丈夫ですか?」

「あなたは?」


 黒い服の女性の一人が、怪訝そうなまなざしで彼をにらんだ。こんな時に何なんだ、と言いたげな顔だった。


「先日、ここに子供を連れてきた者です。ユエメイという少女は、大丈夫ですか?」

「ああっ!」


 急に女性は顔を両手で覆った。彼は血がすっと背から引くのを感じる。


「あの子がまだ中に居るんです!」


 何だって。彼は燃える教会に視線を移す。


「友達になったトモエが、中にまだ居る、と聞いた途端、あの子は中に飛び込んで行ったんです!」


 せっかく自分が助かったばかりだと言うのに。


「…前からこの教会は目をつけられていたのよ!」


 別の黒服の、少し若い女性が苦々しげに叫んだ。


「向こうの街から逃げ出した子供を、断りもなくかくまっているって!」

「滅多なことを言ってはなりません! シスター・エレ」

「しかし!」

「…ああ、この間のひと! 何と言ったらいいか…」


 Gは黙って周囲を見渡す。この女性達を責めてはいけない。

 彼女達は、何はともあれ、ここに居る子供達は助けているのだ。ざっと見ただけで、二、三十は居る。それに対して「シスター」と呼ばれている黒服の女性達は、四、五人に過ぎない。

 今も、ようやく助かった子供達は、寝間着のまま、何が何だか判らず、泣き叫んだり、きょろきょろと辺りを見渡したり、落ち着きが無い。

 彼は何かを探していた。こういう場所には、あってもおかしくは無い…


 あった。


 花壇があるなら、水道もあるはずだ。

 まだ生きているだろうか。彼はさっと門の中に入り、水が出るかどうかを確かめる。じゃっ、と水は勢い良く出る。大丈夫そうだった。

 彼はそこにあったバケツに水を汲むと、思い切り頭からかぶった。それを二、三度繰り返す。

 炎の勢いが増している。正直、生きている保証は無い。

 だけど。

 何が自分の背を押すのか判らなかった。彼はそのまま、あの時開けた扉の中に飛び込んだ。



「ユエメイ!」


 空気がひどく熱くなっていた。


「居るなら返事して! ユエメイ!」


 叫んだ拍子に、嫌な煙を吸い込み、彼は少し咳き込む。


「…サンドさん…」


 聞き覚えのある声が、細く聞こえてくる。


「ユエメイ! 居るのか?」


 彼は大声で叫ぶ。その間にも一度大きく、咳き込んだ。


「サンドさぁん!」


 今度ぱ、大きな声だった。力の限り、張り上げた声だった。彼は声の方向を確かめる。右か、左か…


「上!」


 ユエメイの声が響く。下の方がガスが溜まらない、というのは大人の考えである。とにかく炎を逃れ逃れて行ったら、上に足が向いてしまったのだろう。

 上の小部屋の窓から、少女はもう一人誰かと抱きしめ合って、彼に向かって身体を乗り出している。外の炎が、ステンドグラスの色で歪む。

 高さは…そう高くない。ここの居住区の二階半、という程度だ。少なくとも、彼にとっては。緩衝材を付けたブーツを履いている時など、あのくらいの高さは軽々飛び降りたものだ。

 しかし子供だ。しかも緩衝材などという気の利いたものは無い。おまけに、カーテンを裂いてロープを作ろうにも、辺りの布という布に火がつきつつあった。時間が無い。


「…おいで!」


 彼は手を広げた。


「怖い!」


 ユエメイにしがみついているのは、少年だろうか。ぎゅっと少女にしがみつき、下を見ようともしない。


「そのまま死ぬのがいいならそうしてろ!」


 少女ははっとして彼を見る。


「大丈夫、必ず受け止める」


 はったりも半分入っていた。必ず、なんてことは無い。しかし何もしなかったら、本当に死ぬのだ。

 そういう意味なのだ。ユエメイならその意味が通じる、と彼は感じていた。

 少女はぎゅっ、とそのやせた腕で少年を抱きしめた。ぐっと口を閉じると、何やら少年につぶやく。大丈夫だ、とGの目には、そう読めた。

 そして少女の肉の無い腕は、その時少年を抱え上げた様に、見えた。

 そのまま、窓を乗り越える。


「サンドさぁん!」


 彼は腕をさしのべる。二人同時はきつい。きついが!

 ずん、と衝撃が一気に腕と胸に飛び込んできた。彼は咳き込む。勢い余ってその場に倒れ込む。


「…サンドさんサンドさん」


 ユエメイは彼の名を呼ぶ。大丈夫、と彼は胸をさすりながら立ち上がり、二人をうながす。


「そのまま、走るんだ。何も考えるなよ。まっすぐ、息を止めて、ひたすら走るんだ」


 うん、と少女はうなづいた。目を閉じて飛び降りた少年は、まだ足がすくんでいるようだったが、少女が手を引っ張る。


「行くぞ」


 彼は二人をうながし、走った。

 まっすぐ。そうまっすぐ…

 扉が、見える。

 火がもう回っている。煙がきつい。もう少しだ。

 その時。

 崩れ落ちる!

 入り口の梁が、燃え落ちようとしていた。

 彼は、二人の背を強く押した。


「…サンドさん?」


 梁と共に、入り口が、崩れ落ちて行った。



「…おい起きたぜ」


 男の声が、耳に入る。


「…だったら暴れない様にしておけよ、せっかくの上玉だしよ」


 何だ一体。

 次第にはっきりしてくる意識は、皮膚の上に直接通る風や、背中に当たるコンクリートの床の触感などを彼に伝えてくる。

 また妙な所に落ちたものだな、と目は開けず、内心つぶやく。


「目ぇ覚ましたんなら、目ぇくら開けたらどうだよ? 色男さんよぉ」


 言われた通りにうっすらと目を開ける。その時に、視線に多少の含みを持たせることを忘れない。

 案の定、あごを掴んでいる相手は、一瞬彼の視線に息を呑む。すがる様な色を、彼は再びその視線に加える。

 その間に自分の身体の状況を判断する。

 手と足が縛られているらしい。

 服は… 上着が半分脱がされている様だった。多少焼けこげている。それにまだ濡れている様だった。半分脱がされた所で手首を縛られて、それ以上脱がされなかったらしい。


 とすると。


 視線を外さずに小首を傾げながら彼は結論を下す。

 ここに落ちてからそう時間は経っていない。濡れた服が乾いていないことが示している。また「光って」落ちたのだろう。得体の知れないもの。だからとりあえず縛って置こう。

 そんなところだろう、と彼は判断する。判りやすい。

 目の前に居るのは、数名の男。自分の様な男に上玉だ何だ、と言うところをみると、その気がある奴らしい。ふうん、とGはうなづく。


「おめぇ何ものだ? 喋れるんだろ?」

「…ここは何処ですか?」


 へっ、と言う顔をして、男は彼のあごを放すと、仲間の方を向いてへらへら、と笑った。


「おい聞いたか? 何処ですか、だとさ。…からかうんじゃねえよ!」


 いきなりその足が、腰を浮かしかけた彼を蹴り付けた。結構な勢いがあったのか、そのまま彼は、むき出しのコンクリートの壁に打ち付けられた。頬から当たったせいで、頭が一瞬がんがんする。


「馬鹿じゃねえの? それとも何処かのスパイか?」


 腰に手を当てて、虚勢を張る男を、彼はじっと見る。別にそこには他意はない。ああそんな風に見えるんだな、と思うだけだった。

 手を縛っているのは、どうやら縄や鎖では無く、その辺にあった布の様である。手首の皮膚の感触が、そう告げている。抜け出せないことはない。昔の軍に居た頃に、確か友人はそういうことをよく教えてくれたものだ。記憶を封じ込めていた頃も、都市テロリストとしての活動の中で、そんなことは日常茶飯事だった。

 ただ、今はどうにも身体に力が上手く入らない。飛んだ後の後遺症とは言え、少しばかりもどかしい。

 その反面、どうでもいいや、と思う自分が確かに居る。無駄な動作や言葉づかい、それに奇妙な侵入者に対し、この程度の拘束で済ませているあたり、半端仕事であるのは確かである。

 なのに、ここを何とかして逃げ出そうという気分がどうにも自分の中で盛り上がらないのだ。

 それよりも、今は少しでも休みたかった。目覚めたばかりだというのに、眠りが呼んでいる様で仕方がない。まあどうでもいいや、と彼は再び目を閉じる。


「…おい何か変なとこ打ったんじゃねえか?」

「だったら都合いいじゃんよぉ」


 音と、床の響き。気配はそれで伝わってくるが、だらんと伸ばした腕が引き上げられても、下の服に手がかかっても、格別の気力というものが起きない。

 するなら勝手にすれば…

 内心つぶやく自分を感じながら。



 次に気付いた時には、腹にコンクリートが冷たかった。ひどく身体は重かったが、今度はそれでも起き上がろう、という気力があった。

 人の気配は無かった。気が済んだのか、売り飛ばす算段を何処かとつけているのか、がらんとした、かび臭い暗い空間には、誰の気配も無かった。

 Gは頭を一度振ると、まだ縛られたままの手を軽く解いた。足は解かれていた。それはそうだろう、と妙に彼は納得する。別にずっと眠っていた訳ではない。されたことをいちいち記憶している訳でもないが、全て忘れてしまった訳でもない。

 ただ、どうでもいいことなのだ。拘束された手を上げられ、その白い、なだらかな身体をなめ回されようが、跡を付けられようが、あられも無い格好で前後を責められようが、そんなことは大した問題ではないのだ。それはただの行為に過ぎない。

 実際、身体のあちこちが痛んではいたが、頭の中のどうしようもない無気力さと、身体のけだるさはとりあえず消えていた。


 さて。


 彼は立ち上がる。目を凝らすと、壁際に服が転がっていた。

 濡れていた上に放り出されていたそれは、決してそのまま身につけて気持ちのいいものではないが、仕方が無い。

 休息は取ったことだし、これ以上こんな所に居ても仕方が無い。この場を立ち去る算段が頭を駆け回る。ふと気付くと、だめ押しの様に殴りつけたのだろうか。切れていた唇が痛んだ。


 ふうん。


 微かに痛む傷口を指で軽く押さえながら、彼は自分の中の凶暴な部分が目を覚ますのに気付く。


 落とし前くらいは付けさせてもらおうかな。


 軽く辺りを見る。暗いことは暗いのだが、どうやらそれは、夜のせいらしい。先ほどまでは気付かなかったが、どうやらここは倉庫の様だった。

 考えてみれば、このかび臭さは、普段締め切っている場所特有のものだ。身長プラス腕の長さ、くらいの高さの所に明かり取りの窓があり、そこから通りの街灯の光が間接的に入ってくる。出られないことは無い、と彼は思う。けど。

 ぱき、と彼はその長い指を鳴らす。



 こんこん、と内側から音がした。何だろう。重い鉄の引き戸の前に陣取っていた男は、ほんの少しだけ、その重い扉を開けた。

 何て無防備な、とGは思う。


「何だ」

「手が痛いんです…」


 わざと後ろに回した手で、彼は作り声を出す。


「駄目だ、お前はまた後で用がある」

「そう言わずに…」


 指がようやく入るくらいの引き戸に彼は思いきり手を掛けた。

 半ばさびついた鉄の扉が、がががが、と音を立てて開く。彼はにっこりと笑った。

 ひっ、と男は声を立てた。薄暗い廊下の照明の下でも、その笑顔は、禍々しい程に美しかった。自分の動きが止まるのが判る。Gは男の襟首を掴み、思い切り廊下の斜め右に叩き付けた。躊躇も容赦もそこには無い。


 運が悪かったね。


 自分を捕まえてしまったなんて。Gはそのまま、壁に打ち付けられ、へたり込む男の胸ぐらに足を乗せ、両手を左手で拘束すると、腰の辺りを探る。

 何をするんだ、と声を立てそうになったので、そのまま膝打ちを加える。動きが止まる。

 銃でもあれば楽なのだが、あいにくそんな気の利いたものは無い様だ。代わりにあったのはナイフだけである。

 そしてようやく、いつもの疑問が顔を出す。


 ここは何処だ。いつの時代だ。


 公用語を話していた。

 迷いなくあっさりと自分を輪姦した。

 だったら、そこに無意識の禁忌が無いところだろう、と彼は判断する。

 彼はまだ少し腫れている唇の端をさする。あと一分もすれば、こんな傷は綺麗に治る。

 ぱちん、と確かめる様に彼は開いたナイフをしまう。

 ふと、今し方倒した男を振り返る。靴も頂いた方がいいかもしれない。

 そう思って、改めて男を見る。はっ、と彼は目を広げた。


 軍服だ。


 つい相手を押さえつけることだけに専念していたら、そんなことにも気付かなかったらしい。

 彼は男を重い引き戸の中へとずるずると引きずり込むと、その服を剥いだ。

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