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第10話 殺されてもいい、と思っていた?

 ―――その時、彼は「市街劇」の内容を考えていた。

 舞台はカーチバーグの第一都市エーガーラント。

 宇宙港につながる広大な道路をはさんで、両側にこの都市一の繁華街「森林通り」とグリーンコーン広場がある。

 市民祭は、カーチバーグの自治記念日に行われることになっている。エレカの走る通りと人間の歩く通りは豊かな緑ではっきりと分けられ、だが利用に不便ということはない。

 祝祭は、そのエレカの通りと人々の通りが年に一度、その境を無くす日でもある。豊かな緑の合間に色とりどりの花が飾られ、所々で爆竹の音が響き、普段は整然と静かな街に、音楽が鳴り響く。

 人々は思い思いの恰好をして、顔にはこれでもかと男女問わず化粧をし、自らの姿を隠す。

 通りには市と、惑星管理局から振る舞われた様々な種類の酒が置かれ、人々はそれを自由に楽しみ、そして気ままに酔い、踊り、歌い騒ぐ。

 街ぐるみの無礼講と言ってしまえば正しい。


「だけどそれは、結構形が決まってしまっている」


 彼の上でゆっくりと動きながらセバスチャンはつぶやいた。


「それじゃあ面白くないんじゃないか?」

「そう言って、キャプテン・マーティンに持ちかけたんですか?」

「そんな所かな。彼は案の定、のって来たね」

「あなたの計画通りって?」

「何の計画かな?」


 彼の声は、そんなに大きなものではない。

 それでもその声は、全てを浄化してしまうような力をもって、彼の中に飛び込み、三半規管をかすめ、頭の中に注ぎ込み、そしてかき回す。

 まずい、とGは思った。

 他の何でもない。この声に、酔わされてしまう。

 以前連絡員から言われたように、何かしら最中に考えていて、本気でないことが判ってしまうのは、場合によってはまずいのだろう。

 だがその時と現在とは状況が違う。

 あの即物的な快楽に酔っていることを示さなくてはいけない状況とは違う。

 今現在自分の上で、指よりも舌よりも他のものよりも何よりもまず、声で自分を酔わせることのできる相手は、そんな危うい話を今、この時にしたがっている様に思えるのだ。

 なのに、そんな時に。

 自分は理性的な人間だと思っていたけど、所詮は。


「……!」


 意識が途切れる。



 飾り棚のガラスの扉に背をもたれかけさせた背が、付いた手に、床の木の冷たさがひどく気持ちよかった。

 はだけられたシャツのボタンを、頭の混乱と快楽の余韻で気怠すぎる、動けない自分に変わって、相方がとめてくれていた。

 口惜しい程に振り回されている。胸の鼓動が、強く鳴り響いて、なかなか鳴り止まない。


 あの声のせいだ。


 そう思わずにいられない。


「あんたの声は確かに奇妙だよ」


 だからかろうじてそんな感想を述べてみる。

 口調が砕けていることを、一瞬後で気付いたが、口に出してしまったものは消えない。

 そうかな、と相手は彼のタイを結んでやりながらあっさりとそれに答えた。


「君こそいい声じゃないか? 確かに本当の声は」


 くす、と至近距離で笑う相手に、Gは軽く眉を寄せた。しゅ、とタイの結び目がこすれる音が耳に入る。まだ手が熱い。


「そう思いましたか?」

「充分。君の声は人を扇動するに相応しい」

「それは、物騒な発言ですね」

「物騒結構。平々凡々穏やかな人生なんて何が面白かろう?」

「そういうのが危険だって言うんですよ」

「君が言える立場かな?」

「どういう意味ですか?」


 彼は黙って、Gの長い前髪をかきあげた。

 後ろの髪を結んでいたリボンを拾うと、そのまま首に手を回した。

 何となく、未だぼんやりとしているGの脳裏に、それで首を絞められる自分が浮かんだ。


 今だったら。


 彼はぼんやりと思う。


 今だったら、殺されてもおかしくないな。


 だがそれは彼の妄想に過ぎなかった。

 セバスチャンはそのまま手を後ろに回すと、やや乱れていたGの髪を、前髪だけ残して、後ろでまとめて結んだだけだった。


「何となく、危なっかしいな」


 セバスチャンはやや目を細め、大きな手でGの頬を包んだ。手のひらと指の内側の、固い触感が直に彼に伝わる。 


「危なっかしい? 僕が?」

「危なっかしい」


 反射的に、セバスチャンから視線を逸らそうとした。だがそれはできなかった。

 彼は戸惑う。だが同時に考える。自分が危なっかしい?


 そうかもしれない。


 自分の中で声がする。


 今さっき殺されていても俺はおかしくなかったはずだ。まだ誰が敵であるかもはっきりしていないのだから。

 なのに。

 なのにあの瞬間、確かに彼はそれをどうでもいい、と考えていた。

 何故だか判らなかった。

 そんなことを自分が考えるとは思ってもいなかった。

 ―――少なくとも、言葉にして考える程には。

 だったら俺は言葉にならない奥底ではそう考えていたんだろうか?

 殺されてもいい、と。


 何と答えたものか、自分は何と答えたいのか、Gは混乱した。

 正直言って、彼はこの場から逃げたかった。自分でも説明のつかない感情を、突きつけて欲しくはなかった。

 なのに動けない。

 誰でもいい。この場を終わらせて欲しかった。

 誰か。


「誰か中に居るの?」


 軽い高い声が、耳に届いた。

 Gは反射的にセバスチャンの身体を押しのけていた。


「何だ、お邪魔しちゃったね」


 薄い金髪をゆらゆらとさせて、ユーリが軽やかな足どりで入ってきた。

 Gは慌てて立ち上がる。セバスチャンも、髪をかき回しつつ、ピアノの椅子に手をついてゆっくりと立ち上がった。

 そしてユーリに向かって、にやにやと笑いを投げつける。


「そうだな、とってもお邪魔だったよ」

「ふーん」

「その恰好は何だ? ユーリ」


 Gはかろうじて判りやすい質問を投げた。

 ふん、とユーリは口元を軽く上げると、どお? としなを作った。

 ワンピースだった。薄い黄緑のシルクの、裾が大きく広がり、リボンとフリルがこれでもかとばかりに付けられ、どうしても無い胸を隠すかのように、大きなコサージュが取り付けられている。そんな服。

 大きな、フリルのたくさんついた襟をつまむと、Gに向かって目を細めた。


「これ? 似合う?」

「似合うけど……」

「衣装だよ。劇のね。聞いていなかったんだろ? 僕の役は遍歴学生の『妹』さ」

「それはそれは」


 ひゅう、とセバスチャンは口笛を吹く。


「これで髪が長ければ、最高だね」

「リボンじゃあ足りないかなあ?」


 くすくす、と少女の恰好をした青年は笑う。


「俺は長い髪の方が趣味だ」

「でしょうね」


 ユーリはちら、とGの方を向いた。


「じゃあ、かつらを借りてこよう。さすがに僕は黒髪じゃあ似合わないから、金髪の長い巻き毛を」

「それに緑のつる薔薇でも絡ませたらどうだ?」

「ああ、いいね」


 Gは頭が痛くなりそうだった。


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