ぱちぱちぱち、と拍手がその部屋中に響いた。
「素晴らしい」
真っ先に手を叩いた青年は、そのままグランドピアノの周りに歩み寄った。そして弾き終え、まだその演奏の興奮冷めやらぬ風情のピアニストの肩をぽん、と叩く。
「実に素晴らしかった。君がまさかこんな素晴らしい演奏者だとは夢にも思わなかったよ、サンド君」
「ありがとうございます」
サンドと呼ばれた青年は、整った顔に穏やかな笑みを浮かべた。その場に居た他の青年も、我も我もとばかりにピアノの周りにと群がり始める。総勢五人。皆同じくらいの歳恰好の青年だった。
その中でも常にリーダーシップを取っていると思われる長身の青年が、真っ先にピアニストに賞賛の声を浴びせた。
「先日君が伯爵に紹介された時には、一体また何処の馬の骨かと思ったよ」
「馬の骨とはひどいな、マーティン」
眼鏡をややずらしてかけている文学青年が茶々を入れた。するとマーティンと呼ばれたリーダー格らしい青年は、傲然と言い返す。
「うるさいなジョナサン。だってなあ、あの人が連れてくるのって言えば、すげえ奴か馬の骨のどっちかじゃないか」
「じゃあ僕は君に『すげえ奴』と認められたのかな?」
サンドは穏やかな笑みを崩さぬまま訊ねた。
「言うまでもない!」
ばん、とマーティンと呼ばれた青年は、ピアニストの背を大きく叩いた。あまりの勢いにサンドは思わずせき込んでしまう。
「ほらあ。君力あるんだから気を付けてよ」
一同の中で、小柄で可愛らしい……やや女性めいた顔つきをしている一人がそう言いながら、はたかれたサンドの背中をさすった。
「ありがとう、えーと……」
「ユーリだよ。ちゃんと覚えてよ」
「全くだ。サンド君、僕の名を覚えているかい?」
タイを緩く結んで、やや斜に構えた一人が口元には笑いを、目には好戦的な光を浮かべて腕組みをして眺めている。
「覚えていますよ、セバスチャン。君だけじゃない、マーティン、ジョナサン、ユーリ、それにマーチャス?」
「おおっ、ちゃんと覚えていたな」
マーティン以上に豪快な声が、笑いと共に、彼の頭上から降り注いだ。それにつられて、他の青年達も笑い出す。
週末の午後のサンルームは、平和だった。
不意の扉の開く音が、来訪者の存在を知らせる。ゆったりと室内に入ってくる人物は、穏やかな笑顔を浮かべながら、それにふさわしい声音で彼らに話しかける。
「何だね君達、私を差し置いて君達だけで楽しむつもりかね?」
「伯爵!」
彼らの視線は、反射的にその場の提供者の元に注がれる。
「伯爵ひどいですよ、彼がこんな特技の持ち主だと僕らには説明もせずに」
「ああそれは済まなかった」
ははは、と伯爵は軽く笑いながら、非難の目で自分を見るマーティンの肩を叩いた。
「別にわざと言わなかった訳じゃないんだ。ただちょっと言い忘れただけなんだよ」
「伯爵のその言い方って結構含みがあるんですよねえ」
セバスチャンはよく通る声でそう言うと、ピアノの上に組んだ腕を置いて、自分自身もまたにやにやと含みのある笑いを浮かべていた。
「いや、他の時はともかく」
周囲がどっと湧く。
「今回は、本当に言い忘れていのだよ。ちょっとばかりごたごたしていたからな」
「そうですか。でも本当に、彼は素晴らしいピアニストだ。もうその道に足をかけているのですか?」
「そういうことは彼に訊きたまえ。サンド、どうなんだ?」
「ああ、まだまだですから。まだ学生の身ではどうにもなりませんよ」
「学生! とてもそんな風には見えないよ」
ユーリがあからさまに驚いて声を立てる。サンドは肩をすくめて少女めいたこのクラブの一員に視線を流す。
「見えないかな?」
「うーん…… 何って言うんだろ?普通の学生よりはずいぶんしっかりしているように見えるもん」
「つまり彼は、普通以上に優秀な学生ってことだろ?そうですよね、伯爵」
興味深げな丸い目を眼鏡の奥にくるくるさせてジョナサンは自分の考えを述べた。そうだね、と伯爵はうなづいた。
「さあ皆、お茶の用意ができている。そっちへ移らないか?」