「それにしても」
報告がてら、二人は「今回は」ロートバルト伯爵と名乗っていた彼らの同僚の館へと顔を出した。
「そのマダムの言い方は気になるね」
「あ、やっぱりそう思いますか?」
Gは出された紅茶に感心しながら問い返す。伯爵は重々しくうなづくと、穏やかな目にやや鋭い光を宿した。
「次の段階か。手を組んだかな」
「手を組んだ、と言うと」
「
彼は遠い景色を見るような目になる。SERAPH、とGは口の中で復唱する。反「MM」組織。キムの言うところの「とっても心正しい集団」。
「気にはなりますね」
「全くだ」
伯爵はそうつぶやくと、お茶のお代わりはどうか、とGに訊ねた。いただきます、と彼は答えた。
「ところで何だ、あの可愛い子は元気がないね」
「ええ。でも仕方ないような気がします」
ああ駄目駄目、とその途端、伯爵は彼の目の前で手をひらひらと振った。
「駄目?」
「それは、君がそう推し量れるものじゃあない。そうすることは彼に対して失礼だ」
「でも伯爵」
「彼なら大丈夫さ。だてに長く生きてきた訳じゃあないんだ」
「生きてきた」
確かにそうだった。彼の生きてきた年数と、その間の出来事は、この時のGには想像のできないものだった。
「とりあえずは、いつも通りにするしかないんだよ」
そうですね、と彼はうなづき、お茶のお代わりを受け取った。
*
待ち合わせはオープンカフェの窓際の席だった。
Gは紅茶を注文すると、途中のスタンドで買った新聞を開く。公的な紙の上の世界は今日も何事もなく平和だった。
と、不意にテーブルが軽く振動した。
待ち人が来たのだろうか、とその時は思った。だが。
「よお」
真っ赤な髪がぬっと新聞の向こう側に見えた。悪寒が走った。慌てて顔を上げる。
私服のコルネル中佐がそこには立っていた。
トレードマークの真っ赤な髪を火の様に立て、怪しいを図にしたような丸いサングラスをかけ、シガレットをくわえたまま、悪趣味を構図にして混乱という絵の具で描いたらこうなるのではないか、と思われる柄のぴったりとしたTシャツ、両手には棘のついたリストバンド、そして足にはぴったりとしたモノトーンの花柄のスリムパンツ、そして何故か裸足に赤い鼻緒に黒塗りの下駄を履いていた。
あまりの派手さにGが目を離せず硬直していると、中佐は抱えていた大きな箱を丸いテーブルの上に置いた。
慌ててGは自分のポットとカップを横に避けた。
「何か用ですか?」
「まだ奴は来てないな」
待ち合わせは連絡員とだった。少なくとも中佐とではない。
「まだですよ。約束にはまだ少し時間がある」
「ああそうか」
空いていた前の椅子に座ると、中佐は箱の上にひじを乗せて何だ紅茶か、とつぶやいた。
「別にいいじゃないですか。僕の趣味ですから」
「別に俺は何も責めちゃいないぜ? ああところで責めると言えば、お前奴に、冷たいって怒ったらしいな?」
「は?」
先日のことがさっと彼の頭をよぎる。思わずGの顔に血が上った。
「別に俺の時はそういうことないけどなあ? ちゃんと熱いけど?」
にやにやと中佐は笑いを浮かべた。サングラスからのぞく金色の瞳も、いつになく本気でおかしそうに輝いている。からかわれているな、とGの表情は反比例して不機嫌なものになっていった。
「中佐、今日は何の御用なんですか?」
Gは明らかに声に苛立ちを乗せて、同じ質問を繰り返した。
するととうとう堪えきれなくなったらしく、中佐はいつもの含み笑いではなく、声を上げて笑い出した。
恐ろしい勢いだった。のけぞり、腹を抱え、肘をついていた箱をぼんぼんと叩いている。
どれだけその状態が続いただろうか。
さすがに呆れたGの視界に、サングラスをすらして涙をぬぐっている中佐の姿が目に入った。
「ああすまねすまね。全く、お前からかうと面白くってさ」
「だから用は!」
「これ」
中佐はテーブルの上に乗せた箱をつんつんとつついた。よく見ると、可愛らしい色の箱には、大きなリボンまで掛かっている。
「ちょっとこれを奴に渡しといてくれ」
「は? 奴って」
「奴って言ったら、奴以外の誰が居るっていうんだよ」
彼の視線は中佐の顔と箱の間を三往復ばかりする。はあ、と彼が答えると、中佐は椅子から立ち上がった。
「そんじゃ頼んだぞ」
「あ? 奴に用があるんじゃないですか?」
「あいにく俺は仕事中だ」
はあ、とGはうなづく。どうやら中佐は表の仕事中らしい。
ポケットに手を突っ込み、下駄をからころ言わせながら中佐はカフェのテーブルの間をすり抜けて行った。
露骨な程に周囲の視線が彼を追っているのが判る。
あれを軍警の中佐と見破ることができる奴が居たら、顔を拝みたいものだ、とGは思った。おかげで何処まで新聞を読んでいたか彼はさっぱり判らなくなってしまった。
それでも気を取り直して、再び新聞に目を落とす。
すると今度は当の待ち人がやってきた。
当の待ち人は、愛人同様によぉ、と手を上げる。思わず先程の会話を思い出してGは自分の顔が撫然とするのが判る。
キムはすとん、と椅子に座り、目の前をよぎっていったウェイトレスにカフェオレね、と声をかける。
「どしたの、ずいぶんと機嫌悪そうじゃない」
「誰のせいだと思ってるんだ……」
「おや、何これ」
さすがにその箱はすぐにキムの目を引いた。
「さっき中佐が来て、お前にって置いてったんだよ」
「俺に? 何だろあのひとは、全く」
「お前には優しいんだな。あの人は」
「まあね。あの人は俺のこと愛しちゃってるから」
Gは沈没した。
キムは目の前で硬直している相棒には構わず、リボンを外し、たまご色のラッピングペーパーをがさごそと外す。
よく見たら、細かい可愛い模様がそこには数限りなくついていた。
あの男はあの恰好でこれをラッピングしてもらったのだろうか? Gの脳裏に「あの恰好」が浮かび、背筋を冷たいものが走る。だが軍服だったらもっと怖い。
とりとめなく怖い考えになってしまうそうだった矢先に、あ、と対面の相手の声が聞こえた。
「何?」
「あらら」
キムは中身を目の高さに取り出してみせた。
「え」
「可愛い」
Gは絶句した。
キムの手の中にあったのは人形だった。それもあの時、マダム・カーレンに持っていったのと同等程度の。
「何を考えてるんだーっ! あの人は!」
Gは思わずテーブルを叩いて叫んだ。カフェオレを持ってきたウェイトレスが妙な顔をしたが、知ったことではない。
キムはしばらくそれを見てややうつむいて黙っていた。Gは表情を覗おうとするが、長い髪の毛に隠れて、ちょうど見えない。
だがそれはほんの一瞬だった。爆笑がその場に鳴り響いた。
笑いがおさまるとキムはウェイトレス嬢を手招きし、これ捨てといてくれない? と箱とリボンとラッピングペーパーを指した。Gは慌てた。
「ちょっと待てキム、お前それそのままで持ってくの?」
「悪い?」
「……」
「俺はね、人形が箱だのウインドウだのに入ってるのは嫌いなの」
そう言うと、キムはカフェオレを一気にあおり、立ち上がる。
「さあ行こうぜ」
Gは次第に頭痛がしてくる自分に気付いていた。大きな人形を左腕に横抱きにするキムの姿は実に人目を引いている。
―――確か俺達はそんなに目立ってはいけないテロリストの筈なんだが。
Gは内心つぶやく。
でもな。
陽気な笑顔が戻ってきていた。
まあいいか、とGは連絡員の背中を追った。