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第10話 本当に欲しかった人形はたった一つだけ

「ようこそいらっしゃいませ」


 カウベルを丸くしたような呼び鈴を鳴らしたら、鏡の向こう側の自分を無くしたオデットが何事もなかったかのように一人で出迎えた。


「まあサンドさんキムさん、お久しぶり」


 マダム・カーレンは穏やかな笑顔で二人を出迎えた。


「しばらくお顔を見せなかったから、何かあったのかと心配いたしましたわ」


 Gはやや苦笑する。何かあったことはあったのだが、その元凶に言われたくはない言葉だ。


「それで今日はどうしましたの?」


 Gはちら、とグランドピアノの上に視線を渡す。先日彼女に渡した人形が、ちょこんとその上で行儀良く座っていた。


「実は、宝石が見つかりまして」


 Gは話を切り出す。すると老婦人の顔色が変わった。


「何ですって、宝石が見つかったって言うの?」


 マダム・カーレンは普段より1オクターブ高く声を張り上げた。二人はうなづく。


「そんな馬鹿な……」

「そんな馬鹿な、とおっしゃられても」


 キムはポケットから小さな小箱を取り出してうやうやしく彼女の前に置いた。マダム・カーレンは箱をこわごわ開く。そこには彼女の大きな緑のキャンデーがあった。


「ちゃんと、あなたの…… いえ、『赤い靴』の首領たる紋章も入ってますよ」

「そう」


 マダム・カーレンはゆっくりと立ち上がり、手を伸ばし、キムからもらった人形を胸に抱いた。


「本当に人形がお好きなんですね」

「ええそう。人形は大好きよ」

「そうですね。それが殺人人形でも」


 その言葉が合図だった。

 白いスカートがふわり、とその場に舞った。

 殺人人形は、隣室に居た。細かい響きを床に立てながら、両手の甲から鋭い刃を飛び出させる。言葉の主に向かって襲いかかる。

 対するGの動きは素早かった。既に銃が手の中にはあった。引き金を引いた。

 どさり。

 首に命中。オデットはその場に落ちた。

 閉じることを忘れたその湖のような青の瞳は光を無くし、落ちた拍子に右の腕が妙な方向に曲がっていた。

 生々しいまでのコードが撃たれた首の中からはじけている。

 そんな少女人形の姿を見て、死ぬ時まで線対称かよ、とGは吐き気にも似た不快感を感じた。 


「オディールはもう先に行って待ってますよ」

「知っていたわ」


 穏やかで少女趣味の抜けない老婦人の姿はもはや無かった。反帝国組織「赤い靴」の首領だった。

 例え彼女が未だ人形を抱えていたとしても。


「本当に人形がお好きなんですね」


 Gは先刻と同じ言葉を口にした。マダム・カーレンはええ、とうなづいた。ただ言葉はそれだけでは済まなかった。 


「人形はとても好きよ。こんなビスクドールも、生体人形も」


 ちら、と彼女は壊れた少女人形に視線をやる。そこには特に感情は見受けられなかった。


「だけど私が本当に欲しかった人形は、たった一つだけよ」


 がたん。

 椅子の音。

 それまで悠然と座っていたキムは立ち上がった。いつもの笑いがその表情からは消えている。

 Gは一瞬気を取られていたことを悔やんだ。銃が。

 人形の中に仕込まれていた。

 だがキムはそれが目に入らないように、彼女の方へとふらふらと近付いていく。

 そして。



「やっぱり君だったんだ」


 その言葉は、Gを驚かせるには充分な威力を持っていた。やっぱり?


「信じたくはなかったけれど」

「私も信じられなかったわ」

「俺はあの時の女の子は幸せになったと思ったけれど」

「あいにくそうおとぎ話のように事は運ばないのよ」


 そうだね、とキムはうなづいた。


「全てがめでたしめでたしだったら、世界はとっても簡単だよね」

「その通りよ」


 Gはその時ようやく理解した。半世紀前の少女が、そこには居たのだ。


「でも世界はとっても複雑だったわ」


 マダム・カーレンはその手の銃の照準を、キムの右胸にぴったりと合わせていた。レプリカントの急所だった。


「よしてよ」


 キムはぽつりと言った。


「君にそんなことができるなんて俺は思いたくない」

「思いたくないのはあなたの勝手よ」


 銃声が響く。プラスタの熱戦は、キムの栗色の髪を数本散らして、後ろの壁に穴を開けた。


「だけどずっと、あの頃の君は幸せそうに見えた」

「そうよ、確かにね。スワニルダに居る時の私はずっと幸せだったわ。だけどその後はひどかった。父が事業に失敗した後、コッペリアに移った私達を待っていたのは、ひどい差別だったわ」


 そんなものがあったのか、とGは驚く。


「綺麗な坊や。そんなことも知らなかったって顔しているわね。ええそうよ。確かにコッペリアに住む人々の方が、スワニルダに住む人々に比べ、裕福ではないわ。だから逆に、スワニルダで失敗した人間は、コッペリアに住む人間にとって、侮蔑の対象となるのよ!

 私達にはろくな職も与えられなかった。やがて父は行方をくらまし、母は過労で早く世を去ったわ。私は郊外のクラブで男の相手をして生活をしていた」

「嘘だ」

「嘘じゃないわ」


 そう、嘘ではない、とGは感じていた。彼女の言葉には真実の持つ重みがあった。

「そこで夫と出会ったのよ」

「先の『赤い靴』首領の……」


 キムの語尾が震えていた。まずい、とGは身体を警戒体制に持っていく。


「ええそう。これは闘争の日々の末、出会ってから二十年目に結婚式を上げた時、彼が私にくれたものだわ。そしてこれが『赤い靴』の首領の印でもあるのよ」

「じゃどうしてそんなものをオディールに呑ませて」


 Gは口をはさんだ。


「呑ませた訳じゃあないわ」


 彼女は苦笑する。


「これは本当に、あの子がキャンデーと間違えて呑み込んだのよ。隠し場所としてはちょうどいいから、そのままにしておいたわ。可哀想な子。急所をつかれない限り、決して見つかるはずはないと思ったんだけど」

「だけどその大切な人形を、殺人の道具に使っていたのはあなただろう!」

「ええそうよ坊や。私が欲しかったのは、たった一つの人形だけなのよ!」


 叫ぶや否や、彼女の手は器用にも、銃を持ったまま、ビスクドールの手足をつかみ、ぐり、とそれを強くひねった。

 あ、とキムは小さく叫んだ。老婦人とは思えない力だった。


 足が取れる、手がもげる!


 陶器のこすれあう音が、容赦なく二人の耳に飛び込んできた。


「ずっと、あのレプリカントが欲しかったわ。スワニルダの、あの幸せな日々に眺めていた、眠る人形を」


 彼女は動けないキムに手を伸ばす。

 片方の手からは、手足をもがれた人形が、ばらばらと床に落ちていく。

 両手がキムの頬にかかる。それでも彼は動けなかった。


「何でこの組織を私達が『赤い靴』って名付けたか判る?」

「赤い靴は、魔法の靴だ。履いた少女がどうなろうと、死ぬまで踊りつつけようとする『死の舞踏』のための靴だ」


 動けないまま、キムは彼女に答える。


「そうよ」


 マダム・カーレンはうなづいた。そして彼女のずっと手に入れたかった人形に、手を回した。

 銃が、その手から落ちた。


「つまりそれは、止まることができない、ということなんだね」

「そうよ。誰も、止めることはできないわ。あなたの大好きな蒼の女王ですらね。既に私達は次の段階に進んでいるのよ」

「そう」


 キムの声は、ひどく平面的にGには聞こえた。

 視線は床に落ちた人形に向けられる。迷う。銃を手にはしているが、このまま撃てばキムにも当たる。

 そもそも当のキム自身が、何を考えているのかさっぱり判らない。

 「赤い靴」首領は、まるで自分の役割も何もかも忘れてしまつたかのように、彼女のずっと求めていた人形を、あのビスクドールと同じようにいとおしげに抱きしめている。

 Gの存在など、当の昔に何処かへ消え失せているかのようだった。どうしたものか、と彼は思う。

 だが。

 くぉ、と喉の奥で絡まったような音。

 Gは我に返った。目前の光景に息を呑んだ。

 老婦人の背から、光が飛び出していた。

 喉に絡まった声は、ほんの数秒で、弱々しくなり――― 程なくして消えた。

 ずる、とその身体は次第に床に落ちていく。

 レーザーナイフが、老婦人の背を貫いていた。

「キム―――」

「あのね、G」


 ゆっくりと崩れ落ちていく彼女に視線を落としながらキムはつぶやいた。


「俺はあの時、それでも呼んだんだ。答えてくれれば何としても動いたかもしれない。俺だって自分の再起動のさせ方くらい知ってる」


 淡々とそう言いながら、老婦人の遺体ではなく、手足をもがれ、転がされている人形の方へとひざをついた。


「だけど彼女は答えなかった。聞こえてはいたはずだよ。そのくらいは判るんだ」

「……」

「答えてくれたのは、Mだけだった」


 彼は人形の欠片を残らず拾い上げると、居場所だったはずのグランドピアノの上に乗せた。


「なあG、お前、限定爆破の方法は知ってるよな」

「あ? ああ」

「じゃあさっさと仕掛けて帰ろうや」


 キムは淡々と言う。

 だがその顔には、いつもの笑いは浮かんではいなかった。 


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