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第56話

 喫茶スティールのフロアは夕方になっても賑わっていた。


 以前の取材記事が雑誌に載って以来、客足は順調に伸びている。 


「レモンタルトとコーヒーセット、7番卓様ね」

「はい!」

「五十鈴ちゃんに悠里ちゃん、あとで裏からコーヒー豆の追加を持ってくれるぅ?」

「分かった」

「オッケーです!」


 フロアを忙しなく駆け回る悠里。


 こんなに反響があるなんて意外だ。雑誌ってスマホの登場でかなり廃れてると思ってたのに。


 しかし何のことはなかった。鍛え上げられた肉体と俊敏さを持ってすれば軽くこなせてしまう。これも咲良との練習が生きてる証拠。咲良様々である。


 そうこうしてると時計は八時を過ぎて、次第にお客さんも帰っていく。タイミングを見計らって京子さんがまかないのナポリタンを用意してくれた。


 休憩室の二人がけテーブルでぐったりしてると、五十鈴が同じ皿を持って反対に座ってきた。


「おつかれさま。練習との両立だと流石に君も疲れをにじませるね」

「新しいスコープを新調したいんです。休んでなんかいられないです」


 EOSは24時間の耐久戦。昼間は勿論のこと、夜間でも戦闘が続く。


 夜闇は視認性を一気に狭めるため、暗視スコープやナイトビジョンが必須になってくるのだ。


「もうすぐナイトビジョンの額に届くんです!」

「ほほう。君は本当に努力家だねぇ。お姉さんが褒めてしんぜよう」


 わしゃわしゃと髪を撫でられ、気持ちが良い。


「そうやって気持ち良く撫でられてくれるとこが好きだな」


 目を眇めて思慮深い顔を五十鈴は見せる。良き先輩で沢山褒めてくれる良い人。


 それが悠里の中での彼女。カリソメのミステリアスさも本当の彼女なのだ。


「ところでリコ君を見ないんだが、今日は家でお休みかい?」

「学校の近くで別れて、どっか行きましたよ。なんか野暮用が出来たとかなんとか」

「なるほど珍しい。道理で君のライフルバックが薄かったわけだ」


 ラプアとはバイトに来る途中で別れたのだが、用件も詳しく言わないで行ってしまったのが歯切れの悪い所だった。


「俺って頼りなんですかね」


 ふと思ってしまう。


 避けられてるわけではない。けれど言葉がないと一抹の不安に駆られる。


「気合が入ってるのは選手だけじゃないみたいだ」

「え?」

「いや、リコ君はリコ君なりに思うところがあって行動しているんじゃないかと僕は思う」

「そうですかね・・・・・・」

「おやぁ。こんなに可愛くて冴える先輩の直感を疑うのかぁ?」

「疑うだなんて。でも不安になりませんか?」

「なるねぇ。だから私がハグして打ち消してあげようか? ほらおいで!」


 揶揄うような五十鈴に神妙な顔をした。


 するとフロアの方から京子さんが声を掛けてくる。


「悠里君、リコちゃん来てるわよ!」


 飛び上がってフロアへ走った。


 店の端っこ、カウンターの隅でストローを加えたラプアの顔に安堵した。


「どうやら杞憂だったみたいだね。悠里少年」

「なんのことだ?」

「こっちの話だ。それより何してたんだ?」

「捜し物をしていた。ちょうど見つかったから来た。サプライズって奴さ」


 そう言って、ラプアはイスの下に置いた袋をガサゴソと漁り、


「お前、欲しがってただろ?」


 差し出してきた物に悠里は腰を抜かす。


 彼女に欲しいなんて言った記憶はない。けれど知っていなければ用意できない、そんな代物だ。


「どうやって・・・・・・しかもお金は?」

「そこは僕たちが工面したんだよ」


 後ろに回った五十鈴と京子さん。


 どうやら知らないのは俺だけみたいだ、と悠里。


「お店を繁盛させてくれたお礼よ」


 店内では残ったお客さん達の拍手が鳴っている。


「えっと、本当に受け取っていいんですか?」

「勿論。その代わり、僕と一つ約束して欲しい」

「お安い御用ですよ」

「必ず勝ちなさい。新井 悠里」


 改まった真剣な顔で五十鈴は言った。


 それまでの浮ついたムードから悠里の心は一気に引き締まり、一人のスナイパーの瞳に変わる。


「約束しなくても、必ず!」


 大会で勝つこと。それは涼とも交わした約束だ。


 だけど、ドゥーガルガンが相手だったら・・・・・・抜け落ちていた思考はラプアの訝しげな顔で引き出されて、彼女との約束は小さな嘘になった。

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