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第36話

 状況を整理するのに数十秒を要した。


 刹那に通り過ぎたトラックがナイフを振り上げた留美子を轢いて、ノーブレーキで曲がり角の歩道に突っ込んだ。頭が認識したとき、ボンネットから白煙を棚引かせるそれのテールランプが眼に入った。


「怪我はないですか?! 悠里君!」

「えっと、あぁ。ない。五体満足だ……」


 特段怪我はしていない。強いて言えば首に手跡が残ったくらいで、怪我の内には入らないだろう。


 茫然とする悠里の背を咲良は優しく擦っていた。少しでも怖い思いの慰めになるならと。


 だが、茫然とした意識が通行人の悲鳴で引き戻される。


「あいつは?! 灰原高校の奴は?!」

「多分あそこだと……」


 咲良に訊くと指を差された先はトラック。轢かれたとしたらあそこに挟まって——


「すぐに出さないと! 手伝ってくれリコ!」

「え? お、おう。でもなんで」

「理由なんているかよ。良いから早く!」


 悠里はトラックに向かい走り始める。


 何故自分を殺そうとした奴を助けるのか。咲良とラプアには理解できない。


 すぐそばまで近寄ると鼻を刺す臭いが充満している。車体下を覗くとたらたらと音を立ててガソリンが漏れ出していた。


「全員、ここから離れて! ガソリンが漏れてる!」


 野次馬が一斉に四方へ散って行く。三人も遅れて距離を取ろうとするが、直後に背中で爆ぜた。


「じっとしてろ!」

「リコ!?」


 一気に火が回ったトラックは即席爆弾の如く破裂する。寸前でラプアが二人を庇って間一髪破片や爆風からは逃れたが、


「あれじゃ、もう」


 留美子の生存は絶望的。目の前で人が死ぬのを目の当たりにして、何故だか悔しさがこみ上げてきた。


 すると燃え盛る残骸から人影が出てくる。アレは誰だ?


「リコどいてくれ!」

「ここでじっとして」

「人が出てきた。俺が追う! 咲良を頼んだぞ!」


 悠里が強引に退かすと、火の手の裏側へと消えていく。


「私も追います!」

「ちょっと待てっておい!」


 咲良も持ち前の走力で悠里の背中を追い、やむを得ずにラプアも続く。


 幾棟も屹立する雑居ビルの路地裏。運転席から飛び出した影は、光を浴びて少女の形になって寂しく泣いていた。


 彼女が何者なのか、見当がついていた。彼女からはリコと同じ匂いがする。


「君、ドゥーガルガンだよね?」


 優しく声を掛けると、振り返る。


「私のこと、わかるの?」

「君と同じ銃を持ってる。トラックを暴走させたのは、君だね?」


 諭すように尋ねると虚ろな表情で頷いて、


「あの人が許せなかったん。私が何か失敗するとすぐに癇癪を起しては痛めつけてきたんです。私、あの人から逃げたくて。殺せば人間になれるって」


 力ない足取りで悠里に近づくと、彼女は縋るように服を掴む。


 その手から重みが無くなっていく。悠里は鳥肌を立てるが、何を今更恐れてる。


「なんで消えてるの……? ねぇ、違う! こうすれば全部変わるって!」


 サヴァイブファイトの末路は悲惨だ。生きることを代償にして戦うのだから、灰原高校の奴が死ぬことになんら不思議はなかった。


 しかしそれをマスターだけが支払えば良いのかと言えばそうではない。共に戦っていたドゥーガルガンも存在を抹消される。


「ねぇ! 助けて! そうだ、私と契約しましょうよ! まだ、消えたくないの! 留美子といるのは辛かったけど、甘い物も一杯食べれたし、まだ食べたいの。友達だって! ねぇ!」


 血眼で縋る少女の姿は憐憫だった。悠里は眼を逸らし、


「今度はあなたがマスターになってよ! 私と契約して……お願い!」

「ごめん……」


 少女が消えていく。生きたい、消えたくないと口にする度に増していくように悠里は感じ、救えない無力感が押し寄せてくる。


 そんな感情を抱く必要なんてないのに。悠里は噛み殺すように抱きしめる力を強くした。


 やがて泣いていた少女はその姿を完全に無くす。世界から一丁のドゥーガルガンが消滅したのだった。


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