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第32話

 喫茶スティール。


 その看板を前にした一人と一丁の銃。決戦に臨むかのような心持ちの真理は大きく深呼吸をした。


 結衣の元相棒が言ってたことが事実なら、ここに全ての元凶がいる。


 洒落た看板にキリマンジャロやブルーマウンテンといった名だたるコーヒーの名が連なり、換気扇から流れる匂いは香しい。一見すれば普通の喫茶店のようにも思える。


 カランとベルを鳴らして扉を開くと、カウンター越しで少女が人当たりの良い微笑みを向けてくる。


「ごめんなさいお客さん。今日はもう店じまいなんです」

「探したよ」

「え? 僕のことを?」


 指をさすと困惑したように眼を泳がす。猿芝居だ。


「ドゥーガルガン。知らないかな?」

「なんですかそれ?」

「意思を持ったエアソフトガンのこと。人間になることを存在意義として植え付けられた人の形を成した哀しき玩具達さ。知らないはずないと思うんだけど」

「アニメの話か何かかな? 僕はあまりそういうの見ないからわからないんですけど」

「あくまでもシラを切るつもりか」


 ずかずかと店内へ入ってカルメとカウンター席に着くと、真理は目尻を鋭く尖らせて睨めつける。白々しく逃げ回る彼女をサスペンスの刑事さながら追い詰めるのは、思っていた以上に楽しい。


「そんな怖い目を僕に向けないでくださいよ」

「恐怖は感じるんだ。誰かを貶めることには抵抗ないくせに」

「だから何のことを言って」

「新井 悠里君。君が手塩にかけてる女の子みたいな男。サヴァイブファイトを止めないと、彼が死ぬことになるわよ?」


 見え透いたブラフに引っかかるかと思ったがギリと歯が鳴った。


「へぇ。君ってそんな顔をするんだね。ゲームマスター君」

「……どこまで知ってる」

「全て、とは言い過ぎだな。でも大体は知ってる。君の友達、新井 悠里君が全部話してくれたよ。君の過去も全てね」


 歯をすり潰すように食い縛った恐ろしい表情。まるで立場が逆転してしまい、真理は内心でほくそ笑む。


「ただ何がしたいのかまるで読めないなぁ。実の母を冤罪で刑務所にぶち込んだ小娘のすることなんて」

「黙れ……」

「ごめんごめん。でっち上げは少し違ったね。母親から受けた傷の意趣返しか」 

「黙れ! あいつは僕の事を撃った。僕が手掛けた大切な銃で! 手塩にかけて作り上げた傑作で! あいつが!」

「今ので全部ハッキリしたよ」


 予選の合間、相手の反則で気が気ではなかった咲良には感謝しなければと真理は思う。


 今ので全てのピースが揃った。怒りに任せた言霊を反芻したのか、五十鈴はハッと我に返る。


「ガンスミスとしての腕は一流でも、デスゲームのゲームマスターには向いていなかったわけだ。君がナガラだったんだね」


 236黎明期を席捲し、僅か三年で姿を消した正体不明のガンスミス『ナガラ』。涙を流す少女の刻印が施された銃は他メーカーの追随を許さない程のトリガーレスポンスと射撃精度、それ故の本人以外修復できない代物と称される精密さを持つ。


 天才無き今、当時流通した銃たちは修復困難の烙印を押され蔵で眠っている。だが、ナガラの刻印を持つ『ドゥーガルガン』は彼女の手によって作り続けられて戦場へ送られてきた。


 目を合わせる彼女が元凶。ようやく掴んだ正体に真理は身を震わせながらも冷静さをなんとか保つ。


「僕の正体を掴んでどうする気だい?」

「簡単さ。サヴァイブファイトを止めさせる」

「止めさせる……そう。なるほど」


 言葉を何度も噛み砕くように五十鈴は相槌を打った。


「でもいいのかい? 君の隣にいる銃が人間になれなくても」

「構わないよ。私のような被害者を出さないためにもね」

「私のような? そうか、君が前の戦いの」

「貴方に作ってもらったのよ五十鈴。覚えてないかな?」

「よく覚えてるよ。マスターのことも。生真面目だが他人想いの優しい男だった」


 知ったような口ぶりが眉間に亀裂を入れる。私の受け売りをまるで見たように言う。


 瞬間的な睨みで五十鈴は気づいていない。カウンターの背後からコーヒーの香りが立って、呑気にマグカップを二つ用意していた。


「コーヒーは苦手なんだけど」

「そうだったかな? 僕の覚えてる限りだと、マスターとよく飲んでいたイメージがあるんだけど」


 嫌いと嘘を言ったが看破されているみたいだ。肩を竦めてマグカップを受け取る。


 躊躇なくカルメが口をつけて、こちらへ頷く。毒や薬物の類いは入ってないみたい。


「そっちのカップ、貰うわね」


 と、奪うように彼女のカップと交換してコーヒーに口をつける。


「用心深いのは相変わらずだ」

「誉め言葉として受け取っておくよ」

「君をそうやって作ったからね。でもこうして人間になってから僕の前に立ちはだかるなんて考えもしなかった。とんだ失敗作だ」

「称賛として受け取っておくよ」


 最高の賛美だ。もはや彼女が打てる手はないに等しい。


「だけど残念。ここまでだよ」


 五十鈴が不敵に笑う。須臾、クラリと視線が揺れて勝ち誇った真理の笑みは薄まって消えた。


「仕込んだ睡眠薬で眠る気分はどうかな? これじゃ、君と君のマスターを消した方が良かったじゃないか」

「な……んで。カルメ?」

「君の横にいるのはドゥーガルガン。これがどういうことか分かる?」

「私は……消えたくない」

「カルメ……裏切ったの?」


 カルメは確かに消えたくないと言った。意識が絶えそうな中で俯き泣くカルメに焦点を合わせる。


「人間になりたいの……だからマスター。ごめんなさい」


 裏切られたんだ。心から信頼していた銃、仲間に。


 気づいた瞬間、血の気が引く。絶対的な信頼があるからこそ、その言葉になんの疑いようもない本心を感じる。


「結局、ドゥーガルガンはみんなおんなじなんだよ。分かる?」

「うっさい」

「か細いねぇ。最後に一つ、良い事教えてあげよう。ゲームマスターは僕じゃなくてオブジェクトファースト。最初はね、優しいだけのお母さんを作るつもりだったんだ。彼女はその中でも傑作。でもね、母だけじゃ満足できなくなったんだ。だから目的を変えた」


 彼女の目的が全く予測できなくなった。母を作りたいというのは分かる。けれど体現したのなら、もうサヴァイブファイトは必要ない。


 説得の余地はあるはず。けれど真理の思考は縛られたように動かない。


「このゲームは終わらない。悠里君が勝つまで、絶対に終わらないんだ」


 恍惚な笑みで語る彼女は稀代の女テロリストか魔女だ。真理の瞳にはそう映る。


「あぁ悠里君。狂おしいほど愛らしくて健気。妹の為に一生懸命戦う彼の姿に射止められてしまったんだ。妹を取り戻して幸せになる姿、想像しただけでそそられる」


 猟奇的な愛。火照って息を荒げる彼女を前に意識は絶えた。


「さて、じゃあ始めましょうか」


 コクリと頷くカルメ。眠る真理の頬へ優しく触れると、電流が走ったように真理の感情と記憶が入り込む。


「サヴァイブファイトの敗者はその命か記憶を奪われる。でもこの子は記憶だけで留めて置いていいの?」

「いいんだ母さん。記憶を失うことは即ち『生きることを失う』のと同義だからね。自己を失うなんて普通に死ぬより辛いんじゃないかな?」


 愉快痛快と言った風に五十鈴が話す中で、カルメは笑顔とも悲痛とも取れない表情で記憶を抜き取っていく。


 全部、真理たちが普通の人間として接したのがいけなかったんだ。普通の学校で普通の女事して暮らして、部活をやって。


 それが人間になりたいって芽生えさせたんだ。全部、マスターが悪いんだ。


 正当化して、取返しが付かないと内心罪深くなって、記憶は抜かれた。


「終わりました。じゃあ私を」

「母さん」

「えぇ、残念だけどカルメ。消えて貰える?」

「なんで」

「ごめんなさいね。裏切る気はなかったの。でもね、貴方はサヴァイブファイトの秩序を乱した。罰は与えないとね」


 オブジェクトファーストの腕に小さな拳銃が顕現する。


「じゃあね」


 カルメは咄嗟に真理の頭へ触れた——全部は戻せないけど。


 刹那、カルメは真っ白なBB弾で撃ち抜かれた。胸に開いた風穴から灰が散る様に消えていく身体を見て、裏切ったことを後悔した。


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