——その呪いは〝可能性〟に化ける——
ゲームルール:フラッグ戦——二チームに分かれて拠点にあるフラッグを取れば勝利
ベニヤ板と建築足場で組まれた櫓が点在するとある森の中。純白や緑褐色の小さな球体が飛び交うここで、端整で麗しい美少女のような少年『新井 悠里』は草に擬態していた。
「……暑い」
漏れた一言はサバゲーに興じるプレイヤー達のエアガンの喧騒で掻き消される。
三月も終盤。春先ともあろう日に通気性の悪い迷彩服の上から擬態用のギリースーツを着込めば当然ながら暑い。
しかしこの戦場は蒸れる背中以上に白熱していた。
「二方向から抜かれた! 七番バリケと1番バリケからフラッグ付近、来るぞ!」
前線から銃声に負けじと叫ぶ声音。悠里は脇に置いていた自分の愛銃に手を伸ばす。
「リコ、出番だとさ」
撫でるように優しく語りかけ、頬ずりするように銃床を顔に寄せる。
慣れ親しんだこの硬さと幾度なく眼を通したスコープの十字。引いたボルトとトリガーに指を這わせる感覚。
「分かってる。動きを止めたら、撃ち抜く」
悠里の声音は独り言のように空を切る。
七番と記されたバリケード辺りに視線を移すと、前線を巧みに抜けてきた敵が味方の横っ腹を盛大に突く姿があった。
「スゥ……ふぅー」
ゆっくりと深呼吸をしながら照準。心音がトク、トクと呼吸に合わせてリズムを刻む。そして肺に溜めた息を全て吐き切った瞬間、撃鉄は降ろされた。
「命中する」
結末は自ずと分かっていた。俺なら絶対に外さないという絶対的な自信が内心で呟いている。
事実、弾丸は柔らかい新緑の芽を裂いて45メートルの距離を走り抜けて頭に着弾。
「ヒット! ナーイスショット!」
面を喰らったように顔を顰めてヒットコール。威力は大分落ちていたが頭への直撃は誰でも驚く。
その後は見事と言わんばかりの讃える笑顔になり、どことも知らない敵へ賛辞を送っていた。
思わず悠里の口元も綻ぶ。
「どう、お兄ちゃんカッコいい?」
ため息交じりの棒読み気味な言葉が脳内に届く。
互いに銃口を突きつけ合っていても良いプレイには互いに称え合う。悠里も小さくガッツポーズをしていた。
最近では競技性を高くしたエアソフト競技も広まっているが、勝敗を気にしないこの雰囲気は息抜きに丁度良くて好きだ。
「気を抜くのは早いか……そうだよなリコ。あと一人」
味方が抜かれたもう一方へライフルを向けた。
「距離にして50メートル」
玩具として売られる一般的なエアガンの最大射程は約60メートル。ギリギリ狙える距離だ。
黒の軽量装備に身を包んだ敵を捉えた瞬間、迷わずトリガーを引く。
奴はこちらに気がついていない。発射した瞬間に勝負は見えていた。
だがその黒は踊るように身体を反らして飛んできた弾丸を寸前で避ける。
「マジかよっ」
予想外に悠里は小声で驚嘆した。
だがまだ位置は露呈していない。ボルトを引いて素早く次弾を薬室に送り込む。
「大丈夫だリコ。次は外さない」
ライフルにそう語りかけて発砲。だがその弾丸も虚しく藪の中へと消え失せていった。
眼の前の光景に思わずスコープのレンズから利き目を外した。
「外れる……照準は完璧なのに」
可憐に弾丸を翻す靭やかなその身体は、まるでこのフィールド全体を飛び交う弾丸を支配しているようにも見えた。
こんな敵に果たして張り合えるのか俺は。
スコープから目を離すな。劈くような銃の怒号が揺さぶられた悠里の心を引き戻す。
「そうだ。落ち着けよ俺」
すっと乱れた呼吸を直して視線をスコープへ。
しかし照準が追いつかない。据えられるのは黒い半メッシュのフェイスガードと全身漆黒の装備が蜃気楼のように現れては失せていく。
この敏捷性。敵はガチムチの筋肉ダルマだ絶対にそうだ。
「来る!」
そんなボケとは裏腹にサポートは任せろと、悠里の合図に銃は答えた。
藪から飛び出してバリケードの背後へ回り込んですかさず撃鉄。
その弾丸も軽快なステップとしなやかな身体で翻されてさらに距離が詰まった。
「援護する」
フラッグ付近の味方の二人が交戦に気が付き加勢する。
これで三対一。圧倒的に悠里達に分があり、味方に前衛を任せられたことで悠里もほっと一息ついた。
だが加勢した味方がやられたのはその数十秒後。数的有利は簡単に覆される。
秒殺された味方の虚しい背中を見送りながら気を引き締めた。
敵の動きを探りながら攻撃のチャンスを伺うが、その動きにはまるで隙がない。
「こうなれば」
何をする気だ、という問い掛けにハンドガンをチラリと見遣ってからはにかんで、
「なーに、ちょっとした賭けだ。リコ、バレル交換」
そう、ちょっとした賭けだ。突破した敵は奴とさっきダウンさせたもう一人だけだ。前線がまだ機能しているということはここで食い止めればフラッグを守り切れる。
手際よく銃身を交換。内径がタイトな6.01ミリのバレルをはめ込み、予備の0.2グラムBB弾が装填された弾倉に換装する。
これで弾の足が気休めばかりだが早くなる。弾丸を見切って避けてくる敵なんて想定などしていなかったが、せめて足掻くぐらいはさせてもらう。
「交換完了。さぁてリコ、行くよ!」
悠里は覚悟を決めてバリケードから身を晒す。
あの敵がいるバリケードへ一気に駆け出すと、索敵の為に一瞬曝け出した頭が見えた。
撃発。銃本体の調整が甘く、弾道は不安定だが確実に命中コースへは乗っていた。
しかし避けられてライフルの銃口が向く。狙いは胴体。避けられるスペースは——
「予想通りだ!」
瞬間、悠里は背中の方へ飛び退り射撃態勢を崩した。ライフルを抱えながら尻が地面を擦る。
敵も想定外だったようでおっかなびっくりに肩を弾ませ、驚嘆を上げる。
「そんな姿勢からっ?!」
腰のハンドガンに手を掛けた瞬間、それが躓いたのではないことに気づいて悠里に銃口を這わせる。
だが遅い。初弾を装填して狙いも定めずに撃発する。
——ポス。
至近距離の二つの射撃は着弾がほぼ同時に鳴った。
「「ヒット」」
二人の声も重なった。両者ヒットの相討ち。サバゲーではよくある落ちだ。
滑空しながらの射撃など対応できるはずもないのに、彼女の本能射撃は追随してきた。人間の域を逸したまさに神業に等しい。
清々しさ半分に悔しさ半分の気持ちで立ち上がると、悠里は感嘆の深い息を漏らしてセーフティーエリアへと戻っていった。
「あ、あの」
銃を置いた時、背後からした声に振り向く。
そこには眼鏡を掛けた控え目そうな少女。もじもじと手足を動かす様はトイレを我慢している小学生のようだった。
「トレイなら受付の横にありますよ」
「あ、いや違うんです。えっと、女の人だったんですね。凄くお強くて」
黒いボブヘアをぶんぶんと左右に揺らすのを傍目に、悠里は全身を舐めるようにくまなく見回す。
黒一色の装備にどこかで会ったことのあるようなライフル。とそこでようやくさっきまで交戦していた敵だと気づく。
「びっくりだこりゃ」
「私もです。その、初めて……だったんですよ」
他の人に聞かれたらまず勘違いされるぞ。どこか恥じらうような声音に悠里は冷や汗を掻いた。
けれど、まさか同い年ぐらいの女の子だったとは。てっきりガチムチの筋肉ダルマだと思っていたから驚きは余計に大きい。
「名前とか聞いてもいいですか?」
「あぁいいよ。悠里。新井 悠里だよ。こっちはリコ」
「リコ?」
「愛銃の名前。そっちは? AR—15系のカスタムみたいだけど、トリガーのキレとか凄かった。電子トリガー積んでるのかな?」
「えっと、私は片岡 咲良って言います。こっちは私の先生が作ってくれた銃で、私も良く分かってないんです」
サクラという言葉で心に鈍痛が走る。けど彼女は春のは関係ないと言い聞かせて、
「そかそか。いやぁ動きもキレッキレだったし、一体どんな筋肉ダルマかと思ったよぉ」
「あはは……あながち間違いじゃないかも」
苦笑いで頷く。見た目は華奢だが、服の下にはとんでもない筋肉があるのか?! そうなのか?!
悠里は一瞬興奮はしたが、コホンと平静を保つための咳払い。
「今日は相討ち。だけど、次は負けないよ」
宣いに咲良は口につけたプロテインボトルを置いて、悪戯にはにかむ。
表情とは裏腹に輝く瞳の奥には燃え盛っていた。
火照った身体に感じるこの熱さは彼女が燃やす闘志だろう。
……この人が仲間だったらどれだけ心強いか。自分と組んだら恐らく敵なしだろうな、などと威勢がいい言葉が脳内を駆け巡る。
心の片隅に湧いた想いは腕に巻かれたマーカーの赤色に打ち消された。
すると距離が少しだけ縮まって余裕が出てきたからなのか、咲良から他愛のない疑問が投げられた。
「そういえば、戦闘中は誰と話していたんですか?」
あの会話が全部聞かれていたとなればちょっと小恥ずかしくて頬を掻く。
悠里は自分の愛銃を見て意を決したように答えた。
「銃だよ。銃」
「銃?」
咲良は尚更分からなくなり、小さく小首を傾げた。
これが後に悠里の相棒となる『片岡 咲良』との出会いだった。