「……ここどこ?」
目覚めて一番に感じたのは違和感だった。
真っ白で味気なかったはずの天井にシャンデリアがぶら下がっている。
「なんで?」
けれど体を起こすと怒られる。
誰かが来てくれるまで静かに待っていなければならないのだ。
仕方なく僕、
「それにしても静かだな」
……僕は物心ついた時から病院で暮らしていた。
免疫なんとかいう難しい病気で、十六歳になる今まで病院の外に出たことがない。
朝になって目が覚めても勝手に体を起こすと気を失ってしまうことがあるため、看護師が来るまでこうしてじっと待っていなければならないのだ。
「いや遅くない?お腹空いたんだけど」
目が覚めてから体感的に一時間は経っている。 あくまで体感的に、だが。
シャンデリアを見るのに飽きて周囲を伺うが、ベッドの周りには布が張られていて外の様子を窺い知ることは出来なかった。
ガチャリ
「あ、誰か来た」
ようやくだ。早く検査終わらせてご飯食べたい。
……けれどその音の主はいつまで経ってもカーテンを開けてくれない。なにやら作業をしているのか時折カチャンと陶器が触れ合うような音がしていた。
そしてほんのりと香るいい匂い……
これはスープだ。
僕のお腹がぎゅるっと鳴った。
「あの……すみません」
「ひっ!?……」
……ひっ?
そっとカーテンが開けられ、知らない人が顔を覗かせた。
メイド服のような出立ちの年配の女性で、俺を見て目をうるうるさせている。
誰???新しい看護師??……じゃないよね
「ジス様!お目覚めになられたのですね!?良かった!!」
「……?ありがとうございます?」
え?なに?僕が眠ってる間に何かあったの?死にかけたとか?
まあ可能性としてはなくもない。
なにしろいつ死んでもおかしくない体をどうにか薬で持ち堪えさせているんだから。
それにしても僕なんかの為に泣いてくれる人がこの病院にいたんだ……。
「ミーシャ!早くお医者様を!」
「はい!」
バタバタと誰かの足音が遠ざかり、先ほどの女性が僕の手を握って微笑んだ。
「もう大丈夫ですよ」
「……あの……どちらさまですか?」
そんなびっくりした顔されても。
こちらこそびっくりなんですけども。
「ああ、記憶を無くされたのですね?!」
「記憶?」
無くしてませんよ。
昨日の晩御飯の内容まで鮮明に覚えてますから。
「ハンナ様!お医者様をお連れしました!」
「ああヘンリー先生!早くお願いします!記憶もなくしてらっしゃるようです」
更に大きくカーテンが引かれて今度は医者だという男性が入って来た。
長めの黒髪を後ろで一括りにした若くてかっこいい人。
この人も見たことがない。
「診察するのでお付き以外の方は部屋から出てください」
ヘンリー先生がそう言うと部屋にいたメイド服の人たちがわらわらとドアから出て行った。
見えなかっただけであんなにいたんだ。
大袈裟じゃない?
……でもまだ十人くらいは残っていて着替えの準備や食事の支度をしていた。
「では診察を始めますね」
「はい、よろしくお願いします」
そして早くご飯もお願いします。
そう心の中で呟いて大人しくしていると、シャツの前をはだけられて暖かい手が心臓の音を探りだした。
あれ?聴診器は?
ちょっと待って?
先生、白衣は?
おかしい。だって医師だというのに中世ヨーロッパみたいな服を着ているのだ。
……コスプレ?今日はハロウィンだったかな?
そっと辺りを見渡すと部屋中ゴシックだ。
僕の大好きなファンタジー小説の世界に来たみたい。
病院にこんな部屋あったかな??
医師と名乗るその人はひとしきり顔や首を触診し、問題なしと笑う。
いつもの変な機械や痛い針がないのはありがたいけど本当にこれでいいの?
「ジス様」
「……ジス様?」
誰のこと?そういえばさっきのメイド服の人もそう言ってた。
「違います、僕は日暮光里で……」
「大丈夫です。落ち着いてください。ジス様は散歩に出られて池に落ちたんです。近くの農夫が見つけて知らせてくれたんですが助かって本当に良かった……」
ヘンリー先生も泣きそうな顔をしていて、この人もいい人に違いないと思う。
「もう大丈夫です。ありがとうございます。あの……体を起こしていいですか?」
「ゆっくりとなら大丈夫ですよ」
僕はヘンリー先生の手を借りて上体を起こした。何やらパサリと肩にかぶさって来たが、毛布でも巻いていたんだろうか。
「スープを飲みますか?」
ヘンリー先生の言葉にぐぅとお腹が返事をする。
恥ずかしい!
「あの、よければパンとかも……」
先生はくすくす笑って頷いた。
「頼もしいです。食べれば回復しますからね。では準備してもらいましょう」
笑いながら部屋を出ていくヘンリー先生を見送って僕はそっとベッドから降りてみた。
何この部屋すごい!
あのドア飾りとか本物みたい。
そろそろと歩くが術着なのかワンピースみたいな服に足を取られて歩きにくい。
肩にかかる物も暑苦しいし、僕は一体どんな格好をしているんだろう?
そのまま部屋にあった大きな鏡の前まで行った。
そして写った姿を見て声にならない悲鳴をあげる。
そこにはまるで知らない人が映っていた。
年は僕と同じくらいだろうか。
輝くような真珠の肌に瞳は不思議な色合いのゴールド。目と同じ色の髪はシャンデリアより光を放っている。
何この美少女。
肩にかかっていたのはこの美しい髪の毛だったのか。
全然暑苦しくなくなった。
僕は鏡の中の自分を夢中で眺めた。
「あーこの子『黒と白の薔薇姫』に出てきた悪役令嬢のアメジストに似てる~!嬉しい」
僕は看護師に貰った乙女ゲームを思い出した。
アメジストは悪役令嬢だけど魅力溢れる真っ直ぐな人で、ヒロインに婚約者を取られ断罪された時は悲しくてすごく泣いた。
ロマンスファンタジー大好きな僕の一番の推しなのだ。
「だいたいあのヒロイン顔もやることもあざとすぎるんだよね。ほんと好きになれない」
そんな独り言を呟きながら鏡に向かっていると、ドアが開いてヘンリー先生と先ほどのメイド達が食事の準備をして戻って来た。
「あ、まだ歩いてはいけませんよ。アメジスト様」
え?
今なんて言った?
「……アメジスト様?」
「そうです。貴女はアメジスト・ルーデル・アーバスノット。この公爵家のたった一人の後継者です」
ヘンリー先生の言葉にゲームの設定が一気に蘇った。
もしこれが夢なら……
僕は考えた。
ううん、夢でも夢じゃなくても。
もしかしたらアメジストのあの残酷なラストを変えられるかもしれない。
「……アメジスト様?どうかされましたか?」
僕はゲームの中の彼女を思い出した。
「驚かせてごめんなさいね。少しだけど記憶が戻ったわハンナ」
「お嬢様~!」
首を傾けたちょっと生意気な表情。
そして唇の端を上げる笑い方。
僕がアメジストらしく振る舞うとハンナと呼ばれた侍女が今度は嬉し涙を流している。
「ジス様!ようございました!」
周りのメイド達も顔を見合わせて安心したような笑顔を見せていた。
……今日から僕はここで生きる。
待っててね、アメジスト。
どこに行っちゃったか分からないけど安心して戻ってこられるように君を守るよ。
そして世界で一番幸せな女の子にしてあげるからね!