目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第14話 震える手

「……行くよ、緋桜ひざくら


 継の声に呼応するかのように、緋桜の切先きっさきに炎が灯る。


 いつもより早いスピードで炎が刀身を包み込むのとほぼ同時に、継は妖魔の腕を振りほどくように大きく一歩踏み込んだ。その勢いのまま横に薙ぐ。


 だが危険を感じ取ったのか、それよりも一瞬早く妖魔は翼をはためかせて後ろに飛びのくと、継から大きく距離をとった。


「ちっ」


 継が苛立ちを隠すことなく、舌打ちする。普段温厚な継の行動にしては珍しいものだ。

 攻撃をかわされたこともそうだが、先ほど柊也を狙ったことにも腹を立てているようだった。


 数メートル離れた妖魔は特に怪我をした様子もなく、継の次の行動を待っているようにも見える。


 継が持つ緋桜のまとう炎は大きく、刀身の周りを渦巻くように燃え上がっていた。


「すごい……こんなの見たことねー……」


 柊也は誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。


 背を向けて立つ継と、その手にある緋桜の姿から目を離すことができない。瞬きをするのも忘れてしまいそうだった。


 継と緋桜を見つめたまま、静かに立ち上がる。「きっとこれが継の本気なのだ」と、漠然と悟った。


 普段はここまでしなくても、継の力であればおそらく余裕で妖魔を浄化できるだろう。ここで本気を出すということは、それだけ目の前の相手が危険だということだ。


「さて、さっさと浄化させるよ。……と言いたいところだけど」


 妖魔を見据えたままの継が言葉を濁らせる。口調はいつもとほとんど変わらないものに戻っていたが、何だか歯切れが悪い。


 その様に柊也は首を傾げ、後ろから声を掛けた。


「何だよ! すぐに緋桜で斬って終わらせればいいだろ!」

「それができれば苦労しないよ」

「はぁ!?」


 この男は一体何を言っているのかと、思わず柊也は声を荒げる。


「予想以上に動きが速いみたいだからね。二人がかりで行かないと浄化はできないと思うよ」

「二人でってどういうことだよ!」

「あっちは空も飛べるし、遠距離攻撃できない緋桜だけだと不利なんだよ。てことで僕が引きつけておくから、浄化は君に任せるよ。あ、優海さんはちゃんと避難させてね」

「え、ちょ、……っ!」


 柊也の返事を聞くことなく、継が地面を蹴る。

 妖魔に正面から向かっていった継の背を呆然と見送る柊也だが、すぐ我に返ったように、


「優海さんはここにいてください!」


 そう告げて、優海から離れた。


 どうやら妖魔は優海を守りたいようだった。『実体化』した今は負の感情だけで動いているとはいえ、間違っても手を出すことはしないだろうと柊也は踏んだのだ。

 そして、座り込んでいる優海を動かすより、自分が離れた方が早いと瞬時に考えたのである。


 優海からある程度距離をとった柊也は、そこでまた次にするべきことを思い出した。


「そ、そうだ、これがないと……」


 慌てた様子で、左腕に着けた青い石──ラピスラズリのブレスレットを外すと、片手で強く握りしめる。

 触れた手のひらから、じわりと温かいものが流れてくるのがわかった。


 けれど一瞬の後、


(俺じゃ浄化なんてできないじゃねーか……っ!)


 そんなことに気づく。


 これまで攻撃術が失敗だらけだったことを思い返した。何度やってもできなかったのだ。


 いつの間にか、ブレスレットを握りしめた手が小刻みに震えている。緊張か、それとも恐怖なのかはわからない。


 今回も失敗するのがオチではないのかと、不安が胸を締めつけた。


(どうする……!?)


 柊也は懸命に思考を巡らせる。


 その間にも継は妖魔の気を引こうと、休む間もなくひたすらに攻撃を試みているようだった。

 だがなかなか効いていないらしく、攻めてはいるものの決定打に欠けている様子である。


 継が上段から振りかぶった攻撃は、ひらりと軽々かわされる。

 すぐさま妖魔が腕を横から叩きつけてきたのを後ろに退いて避け、今度は上手く切り返した。

 あかの軌跡が鋭く走り、遠目では妖魔に傷をつけたかのように見える。しかし妖魔は怯む様子もなく、傷もできていないようだった。


 もしかしたら、『実体化』したことで皮膚や身体能力なども強化されたのかもしれない。

 緋桜の攻撃が効かないのであれば、やはり攻撃術で浄化するしかないのだろう。


「柊也、早く!」


 振り返ることなく、継が叫ぶ。


 もうこうなったらやるしかない。きっと大丈夫。


 柊也は少しでも自身を落ち着かせようと、大きく深呼吸をした。

 術の詠唱を始めようと口を開く。


「わ、われ……っ」


 だが綺麗に紡がれるはずの詠唱は、たった数文字で止まってしまった。


 途中で喉に引っかかっているみたいに、言葉が出てこないのだ。

 口の中がひどく乾いているような気がした。唾を飲み込みたいのに、それすらすることができない。


(何で……っ!)


 柊也は自分の不甲斐なさに怒りを覚える。ブレスレットを握る手に力がこもったことに気づき、思わず視線を落とした。


 手はずっと震えたまま、先ほどから変わっていない。


『……』


 そんな柊也に気づいたのか、妖魔は継の攻撃を余裕で受け止めて弾くと、次には無言で勢いよく空へと舞い上がった。


 これまでずっと目の前にいたはずの妖魔が、急に継の視界から消える。

 継はすぐに妖魔の思惑に気づき、


「しま……っ! 柊也!」


 振り返りながら声を張り上げた。

 しかしすでに遅い。


「──っ!」


 突如、自分めがけて上からまっすぐ落ちるようにして下りてきた妖魔に、柊也は瞠目どうもくし、息を吞む。逃げることもできず、その場でただ立ちすくむことしかできなかった。


 柊也を狙いながら、空中で大きく羽を広げた妖魔は、同時に腕を高く振り上げる。


(ダメだ……っ!)


 柊也はその威圧感を前に、きつく目を閉じたのだった。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?