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オデットオディールが出来るまで
オデットオディールが出来るまで
オデットオディール
文芸・その他雑文・エッセイ
2024年11月09日
公開日
6,632字
連載中
自身の体験を交えて、『オデットオディール』が出来るまでを書きます。

単なるエッセイです。

第1話ー母ー

今日、とあるポストを拝見した。


「毒親か…」


そう思う。


私は自身の思い出を探り当てる。




私の親は「微」であったけれど、毒だった。

その事に気付いたのはかなり最近になってからだ。

私の中では彼女は「母親」では無く、「人」だった。




母親との一番古い思い出は私が保育園に通っていた時の帰り道。

母の運転する車に乗るといつも母は私の事を責めた。


「どうしてアンタはそんなにグズなの!」

帰りの支度が遅くなった時。


「どうしてそんなにご飯を食べないの!好き嫌いばかりして!」

好き嫌いの激しかった私はいつも給食の時間は、時間いっぱいまで居残り。


いつもイライラしていて「早く、早く」と急かされる。


それでもその時はまだ私の中では「母親」だった。



小学校3年か、4年の時、それは起こった。


真冬のお風呂。私はその日、母とお風呂に入っていた。湯気でお風呂場は温まっているとはいえ、体は冷えている。

湯船からお湯を掬い出し、体にかける。熱いお湯で鳥肌が立つ。湯船に入ってと言われてそうする。母も一緒に入る。

普段と変わらない、いつもの入浴だった。湯船に入って、お湯が温かくてまた鳥肌が立つ。母は私の隣に居る。

母の腕と私の腕が触れた、次の瞬間。


「は?何これ。」


そう母が言った。母は私の鳥肌が立った腕を見て、自分の腕が触れないように体を離す。自分では何がおかしいのか分からない。


「気持ち悪い。」


そう言い放った。気持ち悪い?何が?そう思いながらも自分の鳥肌が立った腕を見て、あぁこれが気持ち悪いのかと思う。

母は体毛が薄い人だった。足にも腕にも産毛がほとんど無い。対して私は産毛が多く、腕にも足にもそれがある。

故に鳥肌が立つと、まさに「鳥肌」になる。体毛が沸き立った肌から出ているので、ザラザラとする。

母はそれが気持ち悪かったのだ、と理解する。そしてそんな事を言った母は、私の体に触れないように体を離した。


その時、私の中の「母親」は、ただの「人」になった。




それからは私は母を対外的には「お母さん」と呼んでいたけれど

私の中ではただの「人」だった。親子の情なんてものも当然、無い。




そうやって距離を取ると、今まで感じていたものがちゃんと「違和感」として見えて来る。



母は父(母にとっての夫)を溺愛していた。

その溺愛は私と姉への「嫉妬」となって現れる。


父が私や姉を褒めれば

「自分の方が〇〇である」と主張する。


姉を褒めれば「私の方が足が細い」

私を褒めれば「私の方が色が白い」


そして父の居ない所で嫌味を言われる。


「アンタは睫毛が長くてムカつくけど、食べず嫌いでお父さんに嫌われてるよ」

「アンタなんて一人じゃ何も出来ないくせに」


そんな嫌味を言われても、私はどこ吹く風。だって彼女は「母親」じゃないから。



私は授業参観にも運動会にも来て欲しくなかった。

他の家の「お母さん」たちが眩しくて優しくて、羨ましくなるから。



運動会にはほとんど親は来なかった。近所の方が私の事を心配して、自分の家の敷物に私を入れてくれていた。

それでもそれが悪いと感じて、私はお昼を食べると、その敷物から退散した。



中学にもなると。


母親との関係は希薄になった。私はその人から距離を置き、なるべく関わらないようにしていた。

関わっても良い事なんて全然無かった。


そんな中学の頃。


風邪を引いた私は喘息の症状が出ていた。当時はまだそこまで効き目のある薬が手元に無くて私はずっとコンコン咳き込む。

喘息をお持ちの方は分かると思うけれど、夜中になるとその症状は悪化し、横になる事も出来ない。

コンコン咳き込み、痰が絡む。眠れない。体を起こして、眠れないのに眠い自分が居て。

咳き込み過ぎてえづく事もある。そんな夜中。


「うるさいんだけど。」


母親がそう言いに来る。その時は殺意を覚えた。私をこんな体に産んどいてうるさい?は?


そう、この時に完全に私の中の母親は死んだ。


私はそれから母とは関わらないようにした。

母には何も相談しないし、学校の事も友達の事も話さない。

テレビを見て、雑談もしない。

自分の部屋にこもって、ひたすら本を読むか、音楽を聴く。時には文章を書く。想像の中の私は優しい家族に囲まれて…。



そんな母がガンになった。



以前から肝臓の数値に異常があった。そしてガンになった。


母の闘病が始まった。家族一丸となって頑張ろう、そんなふうに父には言われた。

私はふ~んと思って冷めた目で見ていた。

母の手術が決まる。かなり大掛かりな手術らしい。

大きな病院に入院した母は、毎日見舞いに来いとうるさかった。

大部屋は嫌、病院のパジャマは嫌、毎日誰かが来ないと嫌、病院のものは使いたくない。


そんな母のワガママに父も姉も目一杯、応えようとしているのが滑稽だった。

この人にそこまでするんだ、すごいね、私には無理だ。そう思っていた。

そして母は手術をして、ガンを取り除いたけれど、医師からは取り切れない程の

目には見えないガンの芽がたくさんあると言われた。

スキルス性のガン。取っても取っても、次から次へとガン化するそうだ。

もって、2年と言われた。へぇーと思った。


そして医師の言うように、2年後には黄疸が出始め、腹水が溜まるようになった。


家に居て、腹水が溜まったら、病院に入院して腹水を抜く。そしてまた家に帰る。その繰り返し。


ある時、母に聞かれた。


「私、黄色くない?」


黄色いよ、だって黄疸が出てるもん。そんな言葉を飲み込む。


「そう?分かんない」


それだけ言った気がする。


その頃には医師にあともって2週間ですって言われていた。そしてその通りになった。

腹水を抜きに行った際、入院していた母が急変した。足にあった血栓が頭に入ったらしい。

病院に行くと母は脳性麻痺になっていた。医師曰く、この状態ではもう自分が生きているのかどうかも分からないらしい。

父と医師が話し合った。延命はしない。そう決まったらしい。

母は脳性麻痺の状態で体を動かそうとするので、腕に刺さっている点滴が抜けないように見張る必要があった。

私はその時には家を出ていたので、毎日、見舞いには行かなかった。

それでも私の当番の日は来る。

脳性麻痺の状態の母を見張る。本を読みながら。点滴が抜けないように。それだけだ。

そして私はこの時にお願いだから私の時に死なないでねと思っていた。


それから二日後、母は亡くなった。


私は家に居てそれを聞き、家の準備に追われる。日にちが悪く、三日ほど自宅に安置する事になった。


はぁ、こんな時まで…面倒臭い。そう思った。

母の葬儀の事をどんどん決めなくてはいけない。祭壇のお花、形、規模。寝る暇もない。


そしてようやく、母を葬儀屋に運ぶ。

葬儀屋に運んで、母の身なりを整える。


「娘さんたちがやりますか?」


葬儀屋さんにそう聞かれる。正直、私は母には触れたくもない。

それでも断れずに母に死に化粧をする。冷たかった。


気持ち悪い


そう思った。



母の葬儀は滞りなく終わり、火葬場で荼毘に付し骨だけになった母を見て

人間って焼くとこうなるのか、と思った。骨を拾い、骨壺に入れて、やっと解放される。



これで終わった。母だった人の葬儀。悲しみは無い。虚しくもない。


ただ私には「人の葬儀はこうやるのだ」という経験が残った。



今、思い出しても母との楽しかった思い出は何も無い。


いつも不満を漏らし、いつもイライラしていて、私や姉をライバルのように扱い、最後は娘である私に疎んじられて死んだ人。


もちろん育てて貰った恩はある。だから最後まで投げ出さずに全部やった。

言われるがままにお見舞いにも行った。家に居る時に作れと言われれば食事も作った。家の事をやれと言われてそうした。

何でも言われるがままに。嫌味を言われても顔色ひとつ変えずに。


母の死後、母の日記が見つかった。家の中の誰も読まなかった。

私は興味をそそられて、それを一人の時に読んでみた。


恨み言のオンパレードだった。


何故自分だけ

何故自分が


それを読んで私はふっと笑った。


そうだよね、おかあさん。

あなたならそう思うよね。

何でも自分が一番じゃないと嫌なんだもんね?



母の残した物は色々とあったけれど、年月とともにそれも処分された。


あの家にはもう母の名残は無い。


ここ最近はリフォームまでした。だから尚更だね。


私は今、母だ。

産んだのは息子。


親になって、だからこそ、分かる。


私の母は異常だった。


私は自分の息子が熱で苦しんでいれば、寝ずに看病した。

夜中に夜間救急に車を走らせる事も多々あった。

眠れないなら一晩中でも抱いてあげた。

保育園に迎えに行き、抱き着いて来る息子の可愛さ。

保育園で描いた息子の絵。

小学校にあがって放課後ルームに迎えに行った帰り道、息子から学校の話を聞く楽しさ。

運動会に息子が出て、一生懸命に走るその姿。

中学での修学旅行で買って来てくれたお土産。

高校の校外学習でのお土産。


全てが宝物だ。


子供はこんなに可愛いのに、母は何故、ああだったんだろう。


私には分からない。そしてそれを分からない自分が結構好きだ。



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