「ごめんください。ここって探偵事務所なんですか? 相談したい事があるんですが……」
事務所の玄関(居住スペース用の玄関と、依頼人が直接事務所へ来られる玄関とは別にしてある)から入ってきたのは、ブレザーの制服を着た女子高生だ。記憶に間違いがなければ、彼女が着ている制服はこの辺りの私立高校のものだ。更に間違いがなければ今日は平日で、今は授業中の時間帯のはずだ。
「はい。ここは探偵事務所です。と言っても普通の探偵事務所ではありませんが……どんなご用件でしょうか」
何故こんな時間に? という疑問は当然浮かぶが、何か事情があるからこそこの時間にここに来たのだ。そうした疑問は脇に寄せ、顔にも出さないよう気をつけながら、彼女にソファに座るよう勧めた。少しだけ待ってもらって、お茶の準備をする。緊張しているように見える為、リラックス効果のあるハーブティーを入れる事にした。ハーブティーを入れたティーポットと二人分のティーカップとソーサーを盆に載せて、彼女の所まで持っていく。こうした作業は魔法でもできるが、相手が私の事を魔法使いだと知らない場合、不用意に魔法を使わない方がいいと桃先生から教わった。その為、表に出している看板も魔法の存在を知らない人には『紫野原探偵事務所』と書いてあるようにしか見えないし、彼女が私を魔法使いだと知らない限りは手作業で行う。
机の上に盆を置き、ティーカップにハーブティーを注ぐ。彼女の分と、私の分。どうぞ、と言って一客彼女の前に置く。いただきますと小さく呟いた彼女は、一口飲んで乾いた唇を濡らす。心なしか、来た時よりは緊張が解れたように見える。私も向かいのソファに座って「所長の紫野原翠です」と軽く自己紹介をし、どんな用件で来たのか話すよう促した。ちなみに従業員は私しかいない。役職なんてあって無いようなものだ。
「私は羽山美香と言います。華桜高校の二年生です。あの、ここに来たことって学校に言ったり……」
「しませんよ。安心してください」
おずおずと心配そうな顔をして言う美香に、安心させるべく、ゆっくりと穏やかに聞こえるよう意識しながら言った。美香はほっとした溜息を漏らし、続きを話し出した。
「学校でおかしな事が起きて、それでちょっと怖くなって、具合が悪いと嘘をついてお昼休みに学校を抜け出してきたんです。
昨日私のクラスに、臨時講師だという若い男の人が来たんです。うちの学校は女子高なので、若くてイケメンな先生が来た、ってみんな騒いでました。私はそういうのに興味が無いので、何でそんなに騒ぐのか分からないんですけど……えっと、それで、その先生の事なんです。おかしな事というのは。
昨日はその先生が世界史の授業を進めてたんですが、教科書を使わないで、先生は自分が持ってきたという本を開いて、その内容を話し始めたんです。でもそれが世界史と何の関係があるのか全然分からなくって……。聞いた事も無いような国とか人の名前が出てきたり、神がどうとか言って、変な宗教の話をしだしたり……正直、この人頭大丈夫かなって思いました。他にもそう思った人がいたみたいで、授業が終わった後、この先生ヤバくね、って声がちらほら聞こえてきました」
知らない国名や人名に宗教……。なんだか引っ掛かるワードだ。
美香はハーブティーを一口飲んで話を続けた。
「昨日はそれだけで終わったんですけど、今朝も世界史の授業があって、またその先生が教壇に立ちました。ええ、またあの本を使って授業を進めたんです。でも授業というよりも、もはや宗教勧誘に来たのかって感じで、何だか怖くなりました。この先生が一体何者なのか気になって、昼休みに入ってからすぐ学年主任の先生を探して、聞いてみました。あの先生は一体どういう先生なんですか? って。もちろん変な本を使って授業をしてる事も言いました。でも学年主任の先生は、そんな先生知らないって言うんです。おかしいですよね? 私も、クラスのみんなも、昨日今日とその先生に会って授業まで受けてるのに、学年主任が知らないなんて変ですよね? それでもっと怖くなって、教室に戻った私は友達に具合が悪いから帰ると言って学校を出て、誰か学校とは関係ない人に相談したいと思いながら歩いてたら……いつの間にかここにたどり着いてました。あの、こんな相談でものってくれるんでしょうか……」
「心配しないでください。そういったおかしな事件に対応するのが、この事務所の仕事ですから」
話の内容は大体分かった。彼女がここに来た時点で明白な事ではあるが、魔法絡みの事件だ。また、これは憶測でしかないが、ディサエル達を追ってやってきたという神と、何か関係があるかもしれない。
しかしこれはまずい。彼女は件の先生を怪しい宗教の人だと思っている。ここで「実は私は魔法使いで」とか「先日異世界から来たという神がうちに相談に来たんですが、それと何か関係があるかもしれません。なのでちょっとその神と会って話をしてくれませんか」とか言おうものなら、私まで怪しい宗教の人認定されかねない。
困った。大いに困った。
(どうしよう……)
どんな対応をするのが適切か考えあぐねていると、扉を叩く音が聞こえてきた。玄関ではなく、屋敷内の廊下へと続く扉からだ。
(マズい……今この場に神が来るのはマズい……!)
しかし無慈悲にもその扉は開けられ、神は来た。片手にデザートを乗せたお盆を携えて。