さあ、どうぞ。と先生は扉を開けて私をその中へと案内した。室内は三人入ると狭く感じるくらいの広さで、窓は無い。だが天井に色とりどりのランプがあり、そのお陰で暗く感じる事はない。しかも驚いたことにそのランプは全て浮かんでいる。だが私がもっと驚いたのは、長さや太さ、形状や色は実に様々であるが、ランプを除けば杖だけが所狭しと置かれているという事だ。
私が驚きのあまりにぽかんと口を開けて入口付近で突っ立っていると、後ろから桃の忍び笑いの声が聞こえた。
「先生、ちゃんと説明してあげないと、びっくりしちゃうでしょう。翠ちゃん、この部屋はね、杖が欲しいと思えば杖だけが出てくるし、鍋が欲しいと思えば鍋だけが出てくる。そういう部屋なんだよ」
「ああ、ごめんよ。初めて来る人の驚いた顔を見るのが大好きで、つい何も言わずに案内しちゃうんだ。いい顔をしてくれてありがとう」
見ると先生も笑っている。なんだか狐につままれたような気分だ。
「いや本当にごめんね翠さん。悪気は無い……とは言えない辺りが僕の悪い癖だね。反省しない所もだ。でも桃も何も言わずに笑ってたから悪い子だよね。それじゃあ気を取り直して、君の杖を探すから少し待ってて」
少し変わったおじさん、という印象を私に与えた先生は杖の山へと向かう。同じものが一つもない杖の中から自分で好きな杖を選べ、と言われたら絶対に迷う自信がある。だが先生には目的の杖がどこにあるのか分かっているのだろう。迷うことなく一本を選びとる。
「どうぞ、翠さん」
先生が渡してきたのは長さ三十センチメートル程の木製の杖。持ち手の先には鳥の彫刻が施されており、目の部分に緑色の石がはめ込まれている。
「これって……」
「そう。この鳥はカワセミ。目に埋まってるのはヒスイだ。君の名前にぴったりだろう? 気に入ってくれたかな」
「はい……はい! 凄く綺麗で、気に入りました!」
こんなにも素敵なものを今まで見たことがあっただろうか! カワセミの彫刻は今にも動き出しそうな程躍動感に溢れており、先生の職人としての腕の細やかさが見て取れる。深い緑色をしたヒスイもとても綺麗で、私も瞳を同じくらい輝かせた。杖としても持ちやすく、手に馴染む。何か起きるだろうかと試しに振ってみたら、ひゅんひゅんと空を切る音だけがした。これはちょっと残念だった。でも呪文を唱えていないから何も起きないのだろう、と私は自分を納得させた。よく考えたらここにある杖が吹っ飛ぶような事が起きたら困る。当たると痛そうだし。
「気に入ってくれて嬉しいよ。君みたいな人に使ってもらえるなら、そのカワセミもきっと喜んでいるよ。この杖を大切に使ってくれるかな」
「はい! あ、でも、お金……」
「ああ、お金は気にしないでいいよ。大切にしてくれるだけで充分だ。ただ……」
「ただ?」
「君は魔法の使い方を知らないから、その杖をただ持っているだけじゃ宝の持ち腐れになってしまうだろう? だから、もし君が良ければの話なんだが……こっちに引っ越してきてくれれば、魔法の使い方を教えてあげよう」
「魔法を……教えてくれるんですか?」
「ああ、もちろん。そこの桃がね」
「私ですか?」
突然の事に桃が素っ頓狂な声を上げた。
「だって僕はもう弟子がいっぱいいるからね。手一杯なんだ。君だってもう立派な一人前の魔法使いなんだし、弟子を一人作るくらい問題ないだろう。それに翠さんに最初に出会ったのは君だ。僕はそういう縁を大切にしたい」
にこやかな笑顔で言う先生に、桃は困った顔で返す。
「そうは言ってもですね、まず、翠ちゃんはまだ小学生なんですから、親の許可だっているんですよ? それに学校はどうするんですか? 引っ越すとなるとそうした手続きとか色々必要になってくるんですから、簡単に言わないでください」
まったくもう、と桃は溜息をつく。そんなやり取りを見ていた私は、自分のせいで面倒事を起こしてしまった気がして申し訳ない気持ちになった。魔法を教えてもらえるとしたらそれはとても嬉しいが、自分のせいで誰かをイライラさせたくない。
「あ、あの……私、やっぱり、教えてもらわなくって大丈夫です。魔法」
その言葉を聞いた二人は、はっとした表情で私を見た。
「あ……ごめんね、翠ちゃん。そういうのじゃないの」
桃はしゃがんで私の目をじっと見つめた。
「翠ちゃんに魔法を教えるのが面倒で言った訳じゃないんだよ。翠ちゃんに教えるのなら大歓迎! でも、私が翠ちゃんの家に行って教えるのは難しいし……お店もあるからね。だから本当に翠ちゃんが魔法を教わりたいって言うなら、引っ越してきてくれた方が私としては楽なんだけど、そうなるとやらないといけない事が沢山出てくるの。で、そういう事を何も考えずにああしよう、こうしようって言ってくるのが先生だから、釘を刺したってだけで……ああ、ごめんね。凄く言い訳してるみたいになっちゃったけど、本当に翠ちゃんの事が嫌で言ったとか、そういう訳じゃないの」
先生も膝をついて、私と目線を合わせる。
「僕もごめんね。嫌な思いをさせてしまったみたいで。思いつきだけで言うのも、僕の悪い癖だ。でも、魔法使いになりたい子に魔法を教えたいと思うのは、僕も桃も同じ気持ちなんだ。君みたいに素質のある子には特にね。だから、僕らを君の魔法の先生にさせてほしい。引っ越すのが難しければ、君の都合のつく日に僕らがそっちに行くし、もしこっちに引っ越してきたいと思うのなら、僕らが君の保護者を説得させてみせるよ。引っ越しに関する手続きも僕らが全部引き受ける。どうかな。僕らを君の先生にさせてくれるかい?」
こんなにも真剣に自分の事を考えてくれる人達と出会ったのは、私にとって初めての事だった。だからその真摯さに戸惑いもした。だが相手が真剣に考えているのなら、こちらも真剣に考えるべきだろう。私はどうするべきか考えた。その間、二人は黙って私を見守った。
実際には一、二分だが体感では一時間程時間が経った頃、私は決意を声に出した。
「私、魔法使いになりたいです! ずっと魔法使いに憧れて、自分もなりたいって思ってました。なので、魔法を教えてほしいです! 私の先生になってください! それと、家だとお父さんもお母さんも、その、魔法使ったらびっくりすると思うので、引っ越し、したいです」
もう少し正直に言えば、びっくりすると言うよりも嫌な顔をするのかもしれない。それにただでさえ存在を無視されているのに、魔法を教わっているという事が学校で知られたら、余計に扱いが酷くなるかもしれない。そういう意味でも引っ越しはしたかった。だが二人にいらぬ心配を掛けさせたくなくて、その事は黙っていた。
私の決意を聞いた二人は、その言葉を噛み締めるように頷いた。
「ありがとう、翠さん。君が一人前の魔法使いになれるよう、責任を持って僕らが指導するよ」
「私からもありがとう。ご両親の説得とか、引っ越しの手続きとか、そういうのは私達がやっておくから、何も心配しなくていいよ。どんと任せて!」
「はい……! ありがとうございます!」
こうして私は、魔法使いになる第一歩を踏み出したのだった。