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TR-38 - Smash The Mirror

 まるで魔除けだ――妙な胸騒ぎにおそわれ、テディは三本めの煙草に火をつけながら、そう思った。

 目許の痣を早く治すために、氷水で絞った冷たいタオルと熱い湯で絞ったタオルを交互に当てるよう、ユーリにしつこく云われていたが、そんなことをする気持ちの余裕などとてもなかった。煙草も旨く感じず、読みかけのペイパーバックを開いてみても、文章などまったく頭に入ってこなかった。漠然とした、なにか禍々しいものが近づいてくるような、掴みどころのない厭な予感としか言い様のないもの。ユーリが電話にでないことが引っかかっているのだろうが、それでこんなに胸騒ぎがするなんて、縁起でもないと思った。

 眼の前にはっきりとした驚異があるとき、頭のなかにあるのはそれをどうやって回避しようかということで、それが無理と諦めたならじっと耐え、時間が過ぎ去るのを待てばよかった。どんなに怖ろしいことも厭なことも、ちゃんと終わりがあるということを知っているのはある種の救いだった。

 だが、こんなふうに正体のわからない漠然とした不安を抱え、息を潜めてじっとしているしかないのは、ただ苦痛だった。なにが起こるかわからないから対処のしようも、覚悟のしようもない。思い浮かぶのは最悪の事態ばかりで、まさかそんなことはないと思いたいのに、不安を拭い去ることはできない。確かめに行く術もない。

 自分ではどうしようもない、他人ひとのことで心を痛めるのがこんなに苦痛なのだと、テディは初めて知った。

 そして同時に思ったのは、今まで自分はこんな思いをさせてきたのだということだった……ユーリに、そしてルカに。

 伸びた灰を見やり、灰皿にとんと落としたとき、自分がまだ寝間着代わりのスウェットスーツのままだったことに気がついた。ルカはおそらくタクシーで来るだろう。――それから? ルカが来てから、自分たちはどうすればいいのだろう。この部屋で息を潜めて、なにも起こりませんように、ユーリも何事もありませんようにと祈るだけなのか?

 テディは顔を顰め、ここでそんなふうに不安を抱えてじっとしているだけなんてありえないと、乾いた笑いを漏らした。

 テディはスウェットを脱いでデニム風のライディングパンツを穿き、ランドリーバスケットに入れっぱなしの長袖のシャツに着替えた。そして、バイクに乗るときはいつも着ているプロテクター付きのレザージャケットを羽織る。ポケットには財布やモバイルフォンなどいつも持ち歩いているものを入れ、ソックスも穿いておいた。

 これで、ルカが来たらすぐに出かけられる。絶対に外に出るなと云われたが、ひとりじゃなければいいだろう。ルカを後ろに乗せて、ユーリを捜しに行く――うん、そうしようと肚を決めると、テディはソファに腰掛けてまたゴロワーズの箱に手を伸ばした。

 やることを決めたら、少し落ち着いた気がした。四本めの煙草を唇で弄びながら、ルカはまだ来ないか、もう少しかかるかなと、気を紛らわそうと再び本を手に取る。ぱらぱらと捲ってはみたが、やはり文字を追おうという気にはなれなかった。元のページを開き、いつもそうしているようにソファの肘掛けに伏せて置くと、テディは愛用のジッポーで咥えていた煙草に火をつけた。

 そしてしばらくして――初めに少し吹かしたきり、ただ燻らせていただけの煙草の熱さを指先に感じたところで、玄関のブザーが鳴った。

 ルカだ。意外と早かったなとテディはほっとして煙草を揉み消し、テーブルの上のタオルを取って左目に当てながら、玄関の扉を開けた。


 ――そこに、自分が立っていた。


 まるで鏡を見ているような、自分とそっくりそのまま同じ顔。染めている髪の色まで同じだった。テディは一瞬、これは幻覚で、今までに使用したドラッグのフラッシュバックかなにかかと思った。

 タオルを持っていた手も無意識に下げ、わけがわからず後退る。

 その動きに合わせるようにして、もうひとりの自分が部屋のなかに入ってくると、テディは混乱する頭を落ち着かせようと何度か深呼吸し、やっと言葉を喉の奥から押しだした。

「誰……? 幻覚じゃないよな、ドッペルゲンガー……?」

「俺を知らない? 俺が誰だかわからないのか? ……っていうかなにその顔、喧嘩でもしたの」

 じりじりと後退するテディに、その人物――どうやら幻覚ではないらしい――は、そんなことを訊きながら一定の間合いを保つように、一歩一歩部屋の奥へと進んできた。

「知らないよ……悪魔かなにかか? ドッペルゲンガーだとしたら、俺は近々死ぬってことか……?」

「そりゃいいな、手間が省ける。でも、悪魔だとしたら俺じゃない。おまえのほうだろ? 俺の名前はルディ。ルドルフ・ミハエル・ローゼンベルクっていうんだ……この名前も聞いたことがない? ローゼンベルクって姓も?」

「知らない……初めて聞いた」

 ルディと名乗ったその人物は、なんだ、そうなのかと肩を竦めるとさらりと云った。

「俺の……いや、俺たちの父親の姓だよ。オドア兄さん」

 テディは背後に伸ばした手がハング窓の枠に触れたのを感じ、足を止めた。

「……兄さん、だって……? じゃあ、おまえは俺の――」

「双子の弟だよ、一卵性双生児のね。そっくりなんだもの、疑いようがないよな。最初に雑誌で見たときは本当にびっくりしたよ……。すごいね、プロのミュージシャンなんてさ。母さんの才能はぜんぶ兄さんのほうにいっちゃったんだな。それとも一緒に暮らしてたから? 母さんも歌手だったんだろ? やっぱり母さんに音楽を教わったりしたのかな、子守唄を歌ってもらったりさ。……なあ、そうなのか!?」

 話しながらどんどん興奮し始める様子に、テディはなにか尋常でないものを感じた。

 ルディから目を離さずに、ゆっくりと壁伝いに動く。

「音楽は……家にあったレコードを、俺が勝手に聴いてただけだよ。そんなことより……俺に双子の弟がいたなんて、一度も聞いたことなかったよ。どうして別々に育てられることになったのか、なにか知ってるなら教えてくれないか」

 なにか話をしていたほうがいい気がして、時間を稼ぐためにした質問だった。しかし。

「ああ、教えてやるとも。俺たちは不義の子だ。母さんが父さんと出逢ったとき、父さんはもう結婚してた。でも、何年も子供ができなかったらしい。母さんが双子を産むと、父さんはあとから産まれたほうを引き取るって云って、俺を養子にしたんだってさ。跡取りが必要だったから。

 おまえはいいよな、母さんと一緒にジプシーみたいにあちこちに移り住んで、気楽にやってきたんだろう? それにひきかえ俺は、物心もつかないうちから勉強や習い事ばっかりで厳しく育てられてさ。おまけに呼びたくもないのにおかあさんって呼ばせる女は、父さんのいないところでは俺にひどい仕打ちばっかりしやがるし。おまえ、そんな思いなんかなんにもしてないだろう? 朝食のスープに気味の悪い虫が入ってたことなんかないだろう!?」

 あまり触れてはいけないところに触れてしまったようだった。テディは少しずつ壁に沿って動きながら、ルディの話を聞いて眉をひそめていた――どうやら自分の立場のほうがよかったと思われているらしい。

 虫のスープも確かに厭だが、あの世間を騒がせたザ・ロウ・フィルムの所為で広く知られることになってしまった自分の過去を、ルディは知らないのだろうか。

「……逆だったらよかった、とでも?」

「おまえはずるいって云ってるんだよ、母さんと一緒で、自由で……はっ、まあ、自由すぎて呆れるけどな。よく恥ずかしくもなく男と乳繰りあったりそれを堂々と認めたりできるよな! おまけにドラッグまで……父さんたちは云ってたよ。引き取ったのがあんなゲイでジャンキーの屑じゃなくてよかったってな。なんで世間のばかどもはこんなろくでもない奴にきゃーきゃー云うんだろうな。世の中おかしいよ。莫迦ばっかりだ」

 とん、と隅まできたのがわかり、テディは躰の向きを変えた。

 ルディは、自分に向かって興奮気味に恨み言を吐きだし続けている。

「まったく、こんな奴が双子の兄弟だなんてありえない! 信じられないよ! ホモ野郎ファゴットで元男娼フッカー麻薬中毒者ジャンキーなんて……おまえのせいでこっちは外に出ることもできなくなったんだぞ! 立場が逆だったらだって? もしそうだったら、おまえなんかもっと早く放りだされてるさ!」

「……外に出られないって云うけど、その髪は? 俺の今のこの色は染めてるんだけど、おまえも同じ色だし、髪型だって同じだ……。双子なんだから、もともとの髪の色は金髪ブロンドだろう? くすんで黒っぽく見える、ダークブロンドって呼ばれる色だ――」

 髪型や色で人がどれだけ見栄えが変わるかは、身を以て知っている。染めたりせず短くするなど、自分とまったく違う髪型にしていれば外に出られないというほどのことはないのではと、テディは疑問に思った。「なんで俺の真似をしてる? ……もっと早くって云ったな? おまえ、なにかあって家を出されたのか?」

 テディが鋭くそう訊くと、ルディははっ、と吐き棄てるように口許を歪めて笑った。

「ジャンキーのわりには頭が回るじゃないか。……追いだされちゃいないよ。もっとも、小さい頃にもうと思われてたみたいだけどな。放りだせないんだよ。あいつら、会社とか家を守るためにとにかく息子が必要で、放りだしたくてもできないんだよ。

 みんな勝手だ……。俺だって、ちゃんと父さんの期待に応えなきゃって、あれもこれもがんばってきたんだ……なのに、父さんはおまえみたいな奴の肩を持った。ゲイでジャンキーなんてろくでもないって云いながら、それでも音楽で身を立ててるんだからって云いやがった……! じゃあ俺は? 音楽の才能もなくて、学校でもうまくやれなかった俺は、どうしたらいい?」

 じりじりとエントリーホールのほうへ近づきながら、ルディはなんだか支離滅裂に聞こえることを喚き続けている。感じるのは見当違いな妬みと、コンプレックスだ。だが、テディはなんとなくわかる気がした――彼は自分に自信を持てず、どうすれば認めてもらえるのかわからずにもがいているのだ。

 そう思ったとき――不意に、彼が同じ髪にしている理由わけに気づいた。まるで、正解が最初からそこにあったように。

「その髪……おまえ、試したのか」

 その言葉を聞き、ルディはぴく、と動きを止めた。

「そうなんだな? 俺とまったく同じ髪にして、俺のふりをして……父さんはなにを云った? あんな屑の真似をするな、とでも云ったか? それとも――」

 ルディは突然、くっくっと可笑しそうに声をあげて笑いだした。

「ははっ、すごいや。兄さんはやっぱり頭がいいんだ……。そうだよ、兄さんが思ってるとおりさ。父さんは俺をテオドアって呼んで……会いに来てくれたのかって抱きしめやがった。嬉しそうに、泣きそうな顔してさ……! あんなふうに抱きしめられた憶え、俺にはない!! しかもあの女まで……! なんでおまえばっかり!! 年頃なのに女の子とデートもできないのとか嫌味云ってたくせに、おまえがゲイなのはいいんだ! どいつもこいつも俺のことをばかにしやがって……母さんも父さんも、本当はおまえだけが欲しかったんだ! 父さんはおまえを連れた母さんのことをずっと捜してたし、……! なんでなんだ、なんで逆じゃなかったんだ、なんで俺だけ……!!」


 ――脳裏に白い閃光が瞬いて、高速で齣送りにした映像のように、母と暮らしたいろいろな街の景色が浮かんだ。



『ひとりで外に出ちゃだめっていつも云ってるじゃない!

 ちゃんと家にいて、好きな本でも読んでて』



 だが、今は感慨に耽っている場合ではなかった。テディは言葉の端々からひょっとしてと感じたことを、率直にルディに尋ねた。

「おまえも……ゲイなのか」

「違う!」

 ルディはますます頭に血が上ったように、顔を真っ赤にして否定した。「違う……俺はゲイじゃない! なんでおまえにまでそんなことを云われなきゃならないんだ! 会ったばかりでどうして……あの商売女といい、みんなして俺をばかにしやがって……! 俺は違う、絶対にゲイなんかじゃない……!!」

 悲痛に響く、叫ぶようなその声は、質問に答えているのではなく自分に云い聞かせているように、テディには聞こえた。

 小さい頃から厳しく育てられたと云っていたが、黴の生えた価値観や常識もしっかりと植えつけられ、ずいぶん抑圧されてきたのだろう。テディにはわかった――ルディも、自分と同じゲイだと。しかし、彼はそれを自分で受け容れられないでいるのだ。自分はだと証明したくて娼婦まで買い、逆に絶望に打ちのめされて――思春期に恋のような感情が芽生えても、きっと必死に否定したのだろうと想像し、自分との違いに思わず憐憫を覚える。

 自分もそういう環境で育てばこうなっていたのだろうか。ルディは母親と一緒のほうがよかったのだろうか? しかし――

「ルディ……。おまえが苦労してきたのも、おふくろと一緒にいたかったのもわかったけど……、それでも俺には、おまえが俺の立場なほうがよかったなんて思えないよ」

 テディがそう云うと――ルディはかっと表情を険しくし、ジーンズのポケットからきらりと光るものを取りだした。テディは思わず目を瞠った。ルディはぱちんとフォールディングナイフを開き、真っ直ぐ腕を伸ばして自分に向けた。

 テディは固唾を呑んでその刃先に神経を集中し、できるだけ穏やかに云った。

「……落ち着け。そんなもの、どうする気なんだ……。刺すのか? 殺すのか、俺を? 殺してどうする、おまえはそのあとどうするつもりなんだ」

「黙れ! 俺なんかもう……どうでもいいんだよ! もうだめだ。俺にはなにもない、おまえばかりがなんでも持ってるのがゆるせない」

「そんなこと――」

 ルディがナイフを構えたまま突進してくる。すんでの所で躱し、ソファを廻りこむとルディがソファを乗り越えて突っこんでこようとした。なんとかさっと飛び退くとテーブルに躓き、テディはがくんとつんのめってしまった。

 片手を床についたところを、ルディがナイフを振りかざして切りつけようとする。テディは避けながら咄嗟に手に触れた雑誌を取った。が、今度は避けきれずジャケットの袖の革が切り裂かれた。ひやりとして息を呑み、テディは手にした雑誌でナイフを叩き落とすと、思いきりルディの腹を蹴った。

「ぐっ……」

 ルディが腹を押さえて呻いたところを、すかさず体当たりして突き飛ばす。蹌踉めきながら二、三歩後退した躰がバランスを崩して倒れたようだったが、テディは悠長にそれを見届けたりはしなかった。

 踵を返し、床を蹴るように駆けだしながらヘルメットとエンジニアブーツをしっかり手にし、テディは部屋から飛びだすと脇目も振らず走り去った。




       * * *




「――じゃあやっぱり、そのあとであのビデオの犯人が来て、テディと間違えて……」

「警察もそう云ってたよ……。部屋に黒い帽子が残ってて、それがあの男の物だったって。床に麻酔薬の飛沫の跡もあったし、タオルにも染みこんでたらしい……」

 警察署からテディとルカ、ユーリの三人を連れて自宅に戻ったロニーは、三人分のフレビーチェクとスタロプラメンやペプシコーラを出し、ドリューとジェシと一緒に詳しい話を聞いていた。

 テディはかなり疲れている様子でぐったりとソファに躰を預け、フレビーチェクも半分ほどを齧っただけで手を止めていた。そのかわり、というわけでもないのだろうが、ロニーがマルボロライトメンソールに火をつけると、「あ……悪いけど一本くれないかな」と云った。テディが煙草を吸うところなど見たことがなかったロニーは軽く驚きつつ、煙草の箱とライターを渡してやった。

「警察が初め俺を疑ってたのは、俺がほんとのことを云わなかったからだよ。なんか隠してるってすぐわかるんだなあいつら、参ったよ……」

「殺されそうになったことか。おまえらしいな」

「うん……そんなこと、絶対に云えない、云いたくないって思ったけど、ジャケットの袖がすぱっと切れてるのに気づかれちゃって……。まあナイフもソファの下に落ちてたらしいし。それでもう隠し通せなくなったんだ」

 テディはそう云って、煙と一緒に溜息を吐いた。「ほんの何分かしか話せなかったけど、ルディは俺より真面目で親思いなんだってわかったよ。もし俺とルディの立場が逆だったら、俺はたぶんとっくに家を出てただろうなって思ったし。でも、あんなに思いつめる奴が俺の立場だったら……本当に、そうじゃなくてよかった……。でも、そんなのは俺がそう思うだけのことで、ルディはもう精神的にかなり限界な感じだったよ。それで俺、自殺したのかと思ってつい口にしちゃったんだ」

「まさかあの変態野郎まで来るとは思わないものな。……俺のせいだ。どっちもきっとおまえがひとりになるのを待ってたんだ。俺がフラットを出てなんか妙な気がしたとき、あの野郎は俺が気づいたと思って逃げたんだろうな……。あのとき追わずに戻ってれば――」

「済んだことよ、ユーリ。そういう後悔の仕方はやめなさい……こういうのってきっと、そのときは回避しても、また別のときに同じようなことが起こるのよ。……それにしても、ルディはどうしてテディとまったく同じ髪になんてしたのかしら……。試すにしたってほら、シャンプーですぐ落ちるようなのもあるじゃない? 自分が妬んで僻んで殺したいと思ったほどの相手と同じになんて、どうして――」

「ああ、それは俺……なんとなくわかるかも」

 ルカはクッションに埋もれるように凭れ掛かっていた背を起こした。

「うちの妹たちが双子なんだけど、決して仲は悪くないのに事ある毎に揉めてたんだ。やれレクシィのリボンのほうが綺麗に結べてるだの、ロティの人形のほうが可愛いだの……年中うるさいのなんのって。そんなに細かいことが気になるんなら、ふたりとも好きに違う服着て違う人形買えばいいと思うんだけどさ、あいつら小さい頃は絶対同じ恰好してて、同じものしか持たなかったんだ。どうも差がつくことを嫌うらしくて……。テディはあの写真撮るときにこのスタイルにされてからすごく垢抜けて、アドニスっぷりに磨きがかかっただろ? ルディもきっと同じ顔なのになんで、とか思ったんじゃないかな」

「そんなところだろうな。おまけにスマックまでやってたんだろう? 立場が逆だったらよかったと思ってたんじゃなくて――おまえになりたかったんだ、たぶんな」

 ユーリにそう云われ、テディは首を横に振った。

「俺なんて、ろくでもないのにな……ばかだ。俺がなんでも持ってるなんてとんでもない誤解だよルディ……、俺にはたったひとつだけ……」

 バンドがあっただけなのに、と呟きながらテディは俯いた。

 指のあいだに挟んだままの短くなった煙草をユーリがそっと取り、灰皿で揉み消した。反対側に坐っていたルカはぽん、とテディの膝に手を置き、ユーリはくしゃっと髪を撫でた。ロニーはその様子を見つめ微笑むと、まだ開けていなかったスタロプラメンの瓶を手にとった。


 ――テディが警察署で父親と擦れ違ったとき。『いいんだ』と云って言葉も交わさず通り過ぎるにまかせたのは、なにも意地を張ったり拗ねていたわけじゃないのだと、ロニーはわかった。

 跡取りとして育てていた息子が亡くなったという知らせを受けて行った場所で、もうひとりの息子と再会しながら、あの紳士はなにも云わずテディの横を通り過ぎた。だから、テディもそれに応えたのだ。

 かつて愛した女性と同じ音楽の才能を以て、立派にプロのミュージシャンとして身を立てている息子の姿を見て、今更跡継ぎもなにもない、おまえはその道でしっかりやっていけ――と、心のなかではきっとそう思っていたに違いない。

 そしてそれは、ちゃんとテディに伝わった。

 親しい間柄以外では口数が少なく、おとなしく見られがちなのに偶に突拍子もない行動をするのでなにを考えているのかわかりづらいテディだが、彼はちゃんと人の気持ちを汲み取れて、自分のことよりも他人ひとのことを優先してしまう性格だ。それはひょっとしたら父親譲りだったのかもしれないなと、ロニーは思った。


「……とりあえずテディ、今日はもうここに泊まっていきなさいよ。みんなもね。半端な時間に半端な食べ方してるし、もう今日はこのままだらだらなにか摘まみながら飲みましょ。ユーリも階段下りて帰ったらまた階段じゃ大変でしょ」

「別に足をつけられないわけじゃないから平気だが……ロニーがそう云うならそうさせてもらうかな」

「あ……じゃあ俺、着替えを取ってくるよ……ユーリのと、俺のをね。それに、バイクも病院に置きっぱなしなんで気になってたんだ」

 ここへ着いたとき、ユーリは松葉杖二本をまとめて片手に持ち、もう片方の手で手摺に掴まり器用に上がってきていた。まだ病着のままで、服は病院から持って帰ってはきているもののライディング用のリラックスには向かないものだし、おまけにあちこち破れたり汚れたりしていて、とても着替えとしての役には立たなかった。

「そう、じゃ車で一緒に――」

 ロニーがそう云いかけると、テディは首を振った。

「いいよ、タクシーで行ってくるから。――ルカ、悪いけどついてきて」

 ルカが顔をあげ、ユーリとロニーはちら、と視線を交わした。

「ああ……荷物持ちか? じゃあ行こう」

「なにか欲しいものを思いついたらメールでも入れといて」

「わかった、行ってらっしゃい」

 久しぶりに見る気がするふたりの並ぶ後ろ姿に、ロニーはいつかみた夢をまた思いだして微笑んだ。

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