エリーが云ったとおり、報道陣は事務所の建物周りにも大勢待ち構えていた。
雪こそ降っていなかったが、冷たい風が吹き荒ぶなか、ファンらしい若い子たちも固まって黄色い声をあげている。空港と同じように警備員が押さえ、ルカたちを通そうとするが、今度はなかなか巧くいかなかった。
まずファンの子たちがルカやジェシの服を掴み、警備員がそれを引き剥がそうとするあいだにカメラを構えた記者が前方にでた。そこから更に傾れこんだ記者たちとファンがすっかり建物の入り口を塞いでしまい、ルカたち一行はあと一歩のところで立ち止まらざるを得なくなった。
カメラを構えている者がここぞとばかりに次々とシャッターを切り始め、フラッシュの光と質問の声が飛び交う。
「ドラッグについて聞かせてください! 子供たちに与える影響などについて、どうお考えですか!?」
「テディ、あなたのファンのなかにも虐待や性暴力に遭ったサヴァイヴァーはいると思います。その人たちにぜひなにか一言――」
警備員がなんとか押し退けようとするが、ふたりではやはり手が足りず、まったくコントロールできない。そのあいだも矢継ぎ早に質問は浴びせられ、押し合い圧し合いになるのを、両端から体格の良いマレクとドリューが懸命に庇っていた。
「テディ、あなたは
予想の範囲内ではあったが無遠慮な質問が浴びせられ、ルカたちは無言で堪えた。なにをどう答えたところで、都合よく解釈されて弄られるのが落ちだからだ。テディは表情のない顔で俯き、ユーリは敵意剥きだしで記者を睨みつけてはいたが、なんとか無言を貫いていた。
「アイスバーのシーンも視ましたよ! いつもあんなふうに
まだ入り口への道は開けない。無神経というか節度がないというか、あまりにもデリカシーの欠片もない記者にルカたちは内心で憤りつつ、それでもまだぐっと堪らえていた。しかし――
「テディ、なにか答えてください! あなたは母ひとり子ひとりで育った私生児ですよね! あなたの母親もひょっとして売春婦だったんですか!?」
俯いていたテディが、僅かに顔をあげた。
ルカもさすがに顔色を変え、周りで騒いでいた若いファンたちや他の記者たちも、ざわめきをフェイドアウトさせて静まりかえった。少し歳のいった女性記者が「なんてことを」と呟く。その声が、その場にいる皆の耳にはっきりと届いた。
テディが険しい顔を記者に向けて一歩踏みだし、拳を握りこむ。――と、ユーリがその手を制止しながらすっとテディの前にでた。そしてとんでもない質問をした記者の頭を片手で掴んだかと思うとぐっと押し下げ、同時に振りあげた自分の膝を喰らわせた。
「……かはっ……!」
記者が顔を押さえて身を屈める。ぽたぽたっと指のあいだから血が滴り落ちた。ユーリは記者が首からかけているカメラをぐいと引っ張り、そのままネックストラップで頸を後ろから絞めあげた。
ぐぅ、と口から血を流しながら記者が呻く。
「もう一度さっきの質問をしてみろ」
ユーリが低い声で云った。凄まじい怒気を放つユーリに、誰もすぐには動けなかった。皆が唖然としてそれを見ているなか、ようやくテディが金縛りが解けたように手を伸ばす。
「ユーリ……もういい、やめろ……!」
その声に、やっと我に返ったかのようにユーリがストラップを離した。が、ほっとしたのも束の間、ユーリは記者の頸からカメラを取りあげると、足許に力一杯叩きつけた。重い音に混じり、ぺきんと軽いプラスティックの割れた音がして、黒い破片が飛び散る。それを避けるように、人集りがさっと退いた。
とんでもない質問が飛んでから、僅か三十秒ほどの出来事だった。
その場にいる他の記者やファンたちは静まりかえったままだった。苦しげにしゃがみこんで咳きこむ記者を介抱しようとする者も、誰もいない。
そして、ふと道が開けているのに気づいたルカが、後ろからそっとテディの腕を引いた。肩を抱いて促すと、テディは後ろ髪を引かれるように暫し立ち尽くしていたが、程無くこちらを向いたユーリを見て歩きだし、扉を潜った。テディの背を押すルカのあとにユーリ、続いてジェシとドリュー、そして最後にロニーが入るとばたんと扉が閉ざされ、警備員がその両脇を固めるようにして立つ。
壊れたカメラを拾いあげたまま蹲っている記者が、「くそぅ……誰か警察と救急車を呼んでくれ……! 歯が折れた……ちくしょう、カメラも……」と喚いていた。が。
「あらどうしたんです? 転んだんですか。気をつけたほうがいいですよ、いろいろと」
女性記者が、白々しい顔でそんなことを云った。
「転んだだって!? なにを云ってるんだ、さっきの見てただろう! あのホモ野郎が――」
女性記者は、一瞬かっと目を見開き、とんでもないという表情をした。
「いいえ、私はなにも見てませんよ。――どうです皆さん。さっきなにかごらんになりました?」
ぐるりと見まわしてそう訊くと、周りの人々は一様に首を横に振った。
「いいえ、なにも見てないわ」
「私も。なにも見てません」
「……俺も見てないな。あんた勝手に転んだんだろ」
「そんなばかな……」
記者が情けない声をあげ、真っ赤に染まった口をぽかんと開ける。それを見て、もうここには用はないというようにぱらぱらとファンや報道陣が散り始めた。
数分も経たないうちに、もうそこにいるのは警備員と、まだごねるようにその場に居坐っている歯を折られた記者だけになった。
すると扉が開き、ロニーがマレクを従えて、外に出てきた。ロニーは記者の前まで来ると、立ったまま見下ろすようにして云った。
「先程はうちのメンバーが失礼しました。手短に云います。慰謝料と治療費、カメラの修理費を正式に見積もってあとで連絡をください。お互い警察とか裁判とか、面倒なことはよしましょう……お忙しい身でいらっしゃるでしょうし。とりあえず、あなたのお名前と所属と連絡先をいただけます?」
ロニーが早口でそう云うと、記者はぽかんと歯の欠けた口を開けて見上げた。
「……な、な、なんて失敬なんだ!! あのホモ野郎の仲間なだけのことはあるな! 面倒なのはそっちだろうが、俺は訴えてやるぞ! 訴えたうえでもちろん慰謝料ももらうし、記事にもしてやる! 勝手なことを云――」
「でしたら!」
ロニーは仁王立ちしたまま腕を組んだ。「こっちも訴えさせてもらいますけど、よろしいんです? 公衆の面前で事実と違うことの流布、性的な揶揄による侮蔑、直接なんの関係もなく、既に故人である母親への侮辱。名誉毀損……それとも、偽計業務妨害かしら。なんせこちらの商売が商売なんで、そのへんも裁判所は考慮してくれるはずです。それでも訴えるとおっしゃる?」
「あ、あたりまえだ! だいたい、どこが事実と違うっていうんだ! あの写真はどう見たって通りに立ってるボーイだし、それに俺は質問をしただけだぞ! 決めつけて云ってないじゃないか!」
「いいえ。決めつけて云いましたよ……母親
ロニーは冷ややかな目で見下ろしながらそう云い放つ。
「ああ、それに『ホモ野郎』ともおっしゃいましたね……裁判になると審理に影響があるかもしれませんね」
「ほ……ホモにホモと云ってなにが悪いんだ……」
残念なことに、どんなに世の中が変わろうとこういう人間はいる。ロニーは溜息をついた。
「……で? どうなさいます。まだ訴えるおつもり? それならこちらは世界トップクラスの売上を誇るジー・デヴィールを擁する会社の財力を挙げて、とことん戦わせていただきますけど、それでよろしい?」
「ぐっ……ひ、卑怯だぞ……」
「どちらが卑怯なんでしょうね。母親のことをあんなふうに云えば、テディがなにか喋ると思ったんでしょうけど……」
そう――いつものテディなら。何事もなかったなら、最初の質問の時点であんたも同じように立ってみればわかるんじゃない、くらい云っただろう。売春婦などという言葉がでても、ルカが記者の顔をまじまじと見てあんたの母親は売れなさそうだね、などとジョークにして巧く返すに違いないのだ。そこで失敬な、などと云わせれば勝ちなのだから。
しかし、今はただひたすら無言を貫かねばならなかった。この品性下劣な記者があそこまでのことを云わなければ、ユーリもテディもちゃんと堪らえてくれたはずなのに……まさか、ここまで下衆な人間がいようとは。
「さあ。どうします」
いいかげん苛ついてロニーがそう急かすと、一歩後ろに控えていたマレクがずいっと前にでた。背が高く逞しいマレクが、服の上からでもわかる筋肉質な太い腕を組んで、ぎろりと見下ろす。
「ひっ……わ、わかった。……連絡先を書くから待ってくれ……」
記者がそう云うと、ロニーはまだ顔にはださないように、心のなかでほっとしたのだった。