「……あいつは途中で編入してきたんだ。五月だったかな、
それからまあ、いろいろあってもっと
「〈アナザー・カントリー〉みたい……」
「ああ、自殺した奴はいないしイートンみたいな名門でもないけどな。で、その頃からテディには悪い癖がふたつあった。鎮痛剤や睡眠薬や、アンフェタミンの錠剤を乱用することと、偶に誰彼かまわず寝ることだ」
「えぇ? でも、その頃って……まだ十六くらいじゃ」
「十六にはまだなってなかったかな……。俺が初めて気づいたのは、確か十五の頃だよ」
「……十五歳……」
「ずっと、俺はあいつのことがよくわからないと思ってた。たぶん、今でもわかってないんだろうな……。あいつは偶に上級生と寝たり、夜中に寮をこっそり抜けだしてくたくたになって帰ってきたりしたんだよ。ズボンのポケットにくしゃくしゃに丸まった一〇ポンド札や二〇ポンド札が入ってたこともある……。全部で三百ポンド以上はあったかな」
ロニーは息を呑んだ。
「それって……」
「この金どうしたって問い詰めたら、あいつはあっさり相手がくれたって云うんだよ。もちろん俺は怒ったさ……おまえにはプライドはないのかって。そしたらあいつはこう云った……金は貰ったほうがいい、値段をつけたほうがそれ以上のひどいことはされないからって。今思うと、十六かそこらのガキが考えることじゃねえよな。そういう知恵をつけた奴がいたんだ。たぶん例の、母親の男だろうな」
「売春までさせられてたっていうの……?」
「わからないけどな。で、その頃の俺は……もうこんな奴とは一緒にいられないと思った。真剣に惚れてたつもりだったけど、そのぶんショックが大きかった。まだ潔癖な年頃だったしな、無理もないだろ。云ったんだ。もうたくさんだ、誰かと部屋を替わってもらってくれって。でも、そう云うとあいつはものすごく後悔して落ちこむんだ……ひたすら謝ってきてさ、もうこんなことはしないからって泣くんだよ。で、俺もまあ好きだからゆるすだろ……、そのパターンを何度繰り返したかな」
苦い笑みを浮かべ、ルカは続けた。「俺はちゃんと愛の言葉を伝え続けて、大事にしてやってればそのうち落ち着くだろうって思ってたんだ。でも結局、あいつはなにも変わらなかった。しばらく何事もなくて安心してると、夜中に戻ってきて廊下でキスしてたりしやがる。あいつは下手なのか、それとも端から隠す気がないのかわからないけど、必ず俺にばれるんだ。でもそんなことに何度も付き合わされてるうち、もう疲れちまって……はっきり云ってうんざりだったよ」
ロニーは少し迷ったが、「ルカ……それは……」と切りだした。
「ん?」
「テディのそれは、たぶん……試していたんだと思う」
「試す?」
「自分がなにをやってもルカが愛してくれるか、どこまでやってもゆるされるのか……自分に自信が持てなくて、不安でついそういうことをしてしまったんだと思う。矛盾してるし、わかりにくいけどね……」
「ばかな」
ルカはしばらく黙りこんで、無理に笑おうとするように口許を歪めた。
「試す、か……そう云われれば、そうかもしれないな。じゃ、俺は
「それ。前から一度訊いてみたいと思ってたの。いったいどうして放校なんてことになったの?」
「……
シックスフォームに上がったばかりの頃……ああ、シックスフォームってのは大学へ進む生徒が取るコースのことだよ。これでも俺ら成績は優秀だったんだぜ? 歳で云うと十六の頃な。テディが授業をさぼるのはしょっちゅうで、俺もなんとなくつまらないとふらっと捜しに行って、そのまま一緒に煙草吸ったりとかしてたんだよ。で、あるときまたテディの姿が見当たらないんで、授業抜けて捜し始めたんだ。でも、どこ捜してもいなくてさ。ひょっとしてと思って寮の部屋に戻ってみたら――両手を縛られて、
俺、逆上しちまって、そこにあった椅子で思いきりそいつの頭を殴って、蹴り飛ばして、もう、滅茶苦茶に叩きのめしたんだ……そしたら」
ロニーは絶句したまま、固唾を呑んで聞いている。
「テディが慌てて止めやがった。襲われてるわけじゃない、やめろってさ。ただのプレイだったって云うんだ……俺は真っ青になったよ。だって足許に血塗れになった教師が転がってるんだから……しかもズボン下げてイチモツだしたまま。
テディの手のベルトを外してから廊下にでて窓から人を呼んで、寮監に知らせてもらって救急車を呼んでさ。どういう状況だったかなんて一目見りゃわかるわな。あっという間に学校中に広まって、校長どもに呼ばれて親にも連絡がいって……前代未聞の大事件だったらしくてさ。まず不健全性的行為に、生徒による教師への傷害事件だろ、それから教師から生徒への淫行……それだけの問題が一挙に起こったわけだよ。とにかくみんな揃って頭を抱えて困ってて、俺とテディはなんかもうおかしくなって、笑うのを堪らえるのが大変だった。
ああ、幸い殴った教師は生きてたよ。ちょっと傷が残ったけど、別に訴えられたりもしなかった。うちのおやじが
そのあとしばらくは転々としてて、十八になった頃テディがブダペストへ行こうって云いだしたんで、そうすることにしたんだ。……やっぱりずっと、同じことの繰り返しだったけどな」
ロニーにはだんだん、ルカの整った顔が聖者のそれのように見えてきた。
静かに穏やかに、なんでもない昔話をするように話し続けるその表情は、いつも酒の席で駄弁っているときと変わりない。しかし頭のなかでよく噛み砕いてみれば、とんでもない経験と苦境の話なのである。
テディひとりのために狂わされた人生の、結構ヘヴィな部類に入る話だろうと思う。それを、何故この若者はこんなに淡々と語れるのか、テディのことをいったいどう思っているのか。そこまでのことがあって、どうして別れずにいたのか――それを訊こうとして、すぐにその莫迦莫迦しさに気づき、やめた。
――そんなことが何度もあってもまだ離れずにいる理由なんて、たったひとつしかないではないか。
「まあブダペストで住んでたところの周りはそういう……ゲイシーンの盛んなところではあったんで、余計まずかったのかもしれないけどな。まあ仕事もなかったしいろいろあったもんで、また他所へ移ることにしたんだ。それがプラハだよ。で、ユーリと知りあったんだ。その日のうちにドリューとルネとも会ってバンドをやろうってことになって、メールやチャットでずっと繋がってたジェシにそれを教えたら、あいつ卒業したら行くから待っててくれって云って八月に本当にプラハへ来て……あとは知ってのとおりさ。……なあロニー、あんたずっと、テディのことをどんなふうに思ってた?」
「え、えっと……、最初の頃は口数が少なくて、おとなしくて……正直に云うと、あなたの付属品くらいに思ってたかもしれない」
「付属品とはまたひどいな!」
「そのくらい存在感がなかったの! ……ニールに指摘されるまではね。まさかあんなに化けるとは思ってなかったわよ」
「化ける、か。俺にしてみりゃそんなに変わっちゃいないんだけどな。でも……バンドを始めてからは確かにいちばん何事もない時期だったな。明けても暮れても練習してたし、他になにかする暇もなかっただけかもしれないけど……」
「楽しかったのよ」
「そうだな。楽しかった……いや」
ルカはロニーの顔を真っ直ぐ見て、笑った。「今だって楽しいさ。テディの奴もきっと同じだろ……バンドやってて楽しいから、他のことにかまっちゃいられないんだろうな」
ロニーは頷いた。
或いは、起きたことのショックにずっと膝を抱えたまま蹲っていることもありえたのだ。それを彼は、なんでもないことなんだと自分に云い聞かせ、表面だけでも回復した。なんという精神力だろうと思う。
しかし――こうしてルカの話を聞き、ユーリの言葉を思いだして、ロニーはふと胸をざわめかせた危虞に、眉をひそめた。
四人の男にレイプされて、しかしそれがたいしたことじゃないと思いこむために過去の経験を持ちだした。その経験自体が、少年期の性的虐待による異常な性衝動だったと知ったならどうなるのか? つい面と向かって云ってしまい、ユーリには呆れられてしまったが――テディは今、幾重にも覆い隠していた本当の問題に、初めて向きあうことになっているのではないか?
はっとして顔をあげる。すると、ルカも同じように自分を見ていた。
「まずい」
どうやら同じことを考えていたらしい。立ちあがったルカに倣い、ロニーは足早にプールサイドを歩きだし、ユーリの部屋へと急いだ。
ドアの前に手をかざし、ルカがいったんその動きを止めた。
時間はまだ十一時を廻った頃だった。だが、ロニーにもルカがノックを躊躇する理由はなんとなくわかった気がした。ルカは一度だけ控えめなノックをし、そのまま静かに待った。
だが開かないかと思われたドアは、すぐに開いた。別に着衣が乱れているといったこともなく、そこにはただ疲れきった顔をしたユーリが立っていた。
「今頃なんだ。ああ、俺がでていけって云ったんだったか……で? どうしたよ。
言外に今頃わかったのかと云われているのをルカも察したのだろう、唇を噛み、詫びの言葉を口にする。
「悪かった……テディは?」
ユーリは部屋をでてそっとドアを閉めた。
「睡眠薬を飲ませたんで今は眠ってる。押し黙っちまってまいったよ。こうなったらもう、ロニー、あんたが云ってたように正攻法でなんとかするしかない。時間はかかるだろうけどな」
「ごめんなさい……」
「済んだことはもうしょうがない。俺ももう肚を括ってる。あとはまた明日からのテディの様子を見てからだ」
「そうね、わかった。じゃあ今夜はもう解散ね……」
なんだかすっかり深夜になっているような気がした。まだ日付が変わってないなんておかしい、時計が狂っているのではないかと思うほど長い夜だった。
「じゃあ、おやすみなさい……ユーリ、テディをおねがいね」
そう云ってロニーがその場を去りかけると、ユーリが呼びとめた。
「ああ、なんだかショックそうだったから云ってやろうと思ってたんだが」
ロニーは足を止め、振り向いた。
「なに?」
「ゲイで経験人数八十人なんて、少ないほうなんだぜ? テディの奴は偶に発作的にそういうところへ行ってただけなんでそんな数字がでるんだろうが、遊んでる奴なら四桁はザラだからな」
「四桁……って、一〇〇〇!?」
「おいやめろよ、おまえみたいな奴がそういうことを云うから、LGBT全体のイメージが悪くなるんだろうが」
「ああ、それおかしいよな……ちょっと考えればゲイが、じゃなくて男が、だってことくらいわかるだろうに」
「あ……」
ロニーの頭のなかに単純明快な図式が浮かんだ。「そっか、そうよね……なるほど、わかった」
ロニーはにっこり笑って云った。
「男って、最低ね」