朝食のパン・コン・トマテに齧りつきながら、ロニーはこれじゃ肥ってしまうと心のなかで愚痴っていた。しかし顔は幸せそうに緩んでいる。その表情にターニャとマレクはにっこりと笑みを浮かべていて、先に食べ終えたドリューとジェシはごちそうさまと云って、満足そうに席を立つ。いつもと同じ、平和な朝食の風景だった。
この
グロスを塗ったように光る唇をもぐもぐと動かしながら、ロニーはちら、とテーブルの向かい側を窺った。
ユーリはあまり食が進まないようだ。もともと強面で、黙っていると冷たい感じを受けるユーリだが、今朝は更に近づき難い雰囲気を醸しだしていた。疲れているのか目は落ち窪んでいるし、顔色も心做しか悪い。
ルカとテディも起きてこないがまあ、それはめずらしいことではないのでいいとして――虫の居所が悪いのか、それともなにかあったのか。不機嫌そうな表情の所為かいつもより凄みも増しているユーリに、ロニーは努めていつもどおりに声をかけてみることにした。
「ユーリ、あなたなんだか顔色が悪いわよ。疲れてるの?」
するとユーリはコーヒーを一口飲み、溜息をついた。
「疲れることがなくて結構だな。あんたはここには休養に来たようなもんだな」
「これでもちゃんと仕事はしてるわよ、失礼な。……そういえば、昨日は遅くまでどこへ行ってきたの? 私たちはイビサタウンからサン・アントニのほうまでまわってきたけど」
そう尋ねた途端、なんだかユーリの顔からすうっと色が消えた気がして、ロニーは緊張を覚えた。
「昨日か……昨日は、ここで一曲デモを作って、ダルト・ヴィラまで行ってきた。それだけだ」
――それだけ、とはまったく思えない言い方だった。
「……なにかあったの?」
「なにもないさ」
なにかはあったが、なにも訊くな、ということか。ユーリはそれだけ云うと席を立ち、ダイニングを出ていこうとした。
そこへちょうどルカが現れ――ユーリは「ちょっと来い」とルカの襟首を引っ掴んだ。
「え……何事?」
そのまま廊下へと消えたふたりになにやら不穏なものを感じ、ロニーは慌てて跡を追った。
廊下に飛びだしロニーが目にしたのは、壁に手をつき腹を押さえながら苦しそうに膝を折っているルカと、仁王立ちしてその様子を見ているユーリの姿だった。
「いちおう商売柄、顔は勘弁してやったんだ。文句ないだろ」
「……っ、なんで」
「自分の胸に聞いてみろ」
「ちょっとちょっとなによ、何事なの、喧嘩!?」
「なんでもない」
「なんでもなくて殴ったりしないでしょ!」
少し咳きこんで腹を押さえたままルカは顔を顰め、ユーリは鬱陶しそうにロニーを振り返った。
「これ一発で済ませてやろうとしてるのに、わざわざ掘り下げるな。仕事に影響がない限りほっといてくれ。下手に触ると解散の危機を招くぞ」
「解散って……ええっ!?」
「たとえばの話だ。とにかくほっといてくれ」
そう云って、ユーリはさっさと部屋のほうに戻っていってしまった。
不穏な空気と聞き捨てならない言葉にロニーは眉間に皺を寄せ、立ちあがろうとするルカに慌てて手を貸す。
「大丈夫……。しかし、手加減されるとよけい肚が立つな」
「……手加減してたの?」
「ドラマーだぞ? 腕とか肩とかしょっちゅう見てるだろ。あいつが本気で殴ってきたら息ができなくなるか、胃液吐いてる」
そう云われればそうだ。ロニーは真夏のステージで見た、鍛えられた背中や腕を思いだした。普段服を着ているときは着痩せするタイプなのか、そんなにごつごつした感じはしないのだが。
「大丈夫?」
「ああ、まあなんとか」
ダメージを確かめるようにぽんぽんと腹を叩いて、ダイニングに向かおうとするルカに、「そういえば」と話しかける。
「テディはまだ寝てるの? 起こしてみた?」
「ああ、テディは……まだ、
ん? とロニーは違和感に首を傾げた。
つい今しがた一緒に寝ている部屋から、いやベッドから起きてきたはずなのに、なぜそこが疑問形になるのだろう。
それにユーリに変な脅され方をして結局聞きそびれてしまったが、ルカとユーリのあいだにいったいなにがあったというのだろう? どうやら昨日、ダルト・ヴィラでなにかあったようだが――。
なんだかとても気になるけれど、ふたりともきっとなにも云ってくれはしないのだろうなと思いながら、ロニーはルカについてダイニングに戻った。
朝食が済んで皆が散ったあと。リビングのソファでロニーはラップトップを開き、届いていたタイアップの企画書やメールなどに目を通していた。仕事をしていると云った言葉に嘘はなかった。ただし、ソファで寛いでサングリアを飲みながらなので、そんなには疲れていないのも確かだったが。
ゆっくりと朝食を摂り、ターニャたちとお喋りを楽しんで、周囲の景色を楽しみながら少し散歩をし、戻ってきてサングリアで喉を潤しながら、ようやくラップトップに向かう――こんな仕事のしかたで疲れるわけがない。
さすがに少し感じる罪悪感からか、ロニーは集中して急ぐものから順にかたかたと返信を打っていた。すると――ぽーんと左下からメッセンジャーソフトの新規メッセージを知らせる表示が出た。
「エリーか、なにかしら」
エリーはこうして、近くにいてもメッセンジャーで話しかけてくることがよくあった。クリックして会話ウィンドウを開くと、『
「書きこみ……なんだろう」
メッセージと一緒に送られてきたURLをクリックし、ブラウザで開く。途端に一目でアダルトサイト――しかも男性同性愛者向けの――とわかる露骨なバナー広告が現れ、ぎょっとする。
エリーはいったいなにを見てるのかと思いつつ、少しスクロールすると掲示板の枠が現れた。
『001 [anonymous] Tue 13/12/2010 18:06 ID:y3MqqH28Oc
昨夜あのテディ・レオンをレイプした 四人掛りで輪姦したんだ
詳細が聞きたかったらレスしてくれ』
「……なにこれ……」
趣味の悪い冗談だと思いながら、スクロールして続きを読む。
『002 [anonymous] Tue 13/12/2010 18:19 ID:R3aQ9tbOxW
そりゃ羨ましい いい夢をみたな』
『003 [anonymous] Tue 13/12/2010 18:22 ID:y3MqqH28Oc
夢でも嘘でもない
生のテディはTVで見るよりずっとべっぴんだったぜ
あそこの具合もすごくよかった』
『004 [anonymous] Tue 13/12/2010 18:27 ID:2Fe12uyJvl
妄想でもいいから詳細希望』
『005 [anonymous] Tue 13/12/2010 18:29 ID:y3MqqH28Oc
綺麗な奴はペニスまできれいなんだな 形も色もよかった
躰はちと細いが筋肉はそれなりについて引き締まってた
腰が細くて尻の丸みがたまらなかった』
『006 [anonymous] Tue 13/12/2010 18:30 ID:y3MqqH28Oc
ケツは使いこんでる感じですげえ柔らかいけどいい締りだった
乳首も敏感
四人で順番に上も下もガンガン犯してやった
俺もしっかり種付けしてやったぜ』
『007 [anonymous] Tue 13/12/2010 18:37 ID:QNKcomh33J
ゲイだっていうのはほんとだったのか』
『008 [anonymous] Tue 13/12/2010 18:39 ID:y3MqqH28Oc
感度もよかったな
一回ドライで達ったみたいでがくがく痙攣してた
いい声でよがってた ありゃ相当な淫乱だぞ』
『009 [anonymous] Tue 13/12/2010 18:42 ID:5PdbqtTopZ
レイプにゲイもノンケもないだろ』
『010 [anonymous] Tue 13/12/2010 18:45 ID:2Fe12uyJvl
妄想ならなんでもあり』
『011 [anonymous] Tue 13/12/2010 18:48 ID:y3MqqH28Oc
まさかZDVがイビサに来ているなんて知らなかったから驚いた
まああれだけ歓迎してやったんだからいい想い出になっただろうよ』
「……イビサ……」
まさかと思いながらエリーに話しかけてみる。
『
『Eliska:冗談かどうか確かめる必要があると思って報告した。イビサの文字がなければ私もスルーしたけど』
『Veronica:イビサに来てることがまずどこかで話題になってるんじゃないの?』
『Eliska:私もそう思ってあがっている情報を時系列順に集めてみた。確かにイビサでの目撃情報は出ているけど、そちらは女性向けのコミュニティサイトで、この掲示板のあるサイトを見るような人たちと繋がらない』
『Veronica:でもまさかでしょ。やっぱりただの
『Eliska:どこまで読んだ?』
そう問われてロニーはブラウザのウィンドウを前に出して、もう一度スクロールしてみた。
『Eliska:嘘の書きこみだと疑う人が多くてちょっと荒れてるけど、その下のほうに最初に書きこんだ人が証拠にならないかと云って、あることを書いてる』
ポーンと新規メッセージのポップアップが上がると同時に、ロニーはその書きこみをみつけた。
『041 [anonymous] Tue 13/12/2010 19:57 ID:y3MqqH28Oc
そうだ テディの背中にタトゥーがあった
たぶんフェニックス
ジャパニーズかチャイニーズ風のやつだ』
『042 [anonymous] Tue 13/12/2010 20:02 ID:QNKcomh33J
そんなの夏のツアー行った奴なら見てるかもだし
俺は知らんけど』
『043 [anonymous] Tue 13/12/2010 20:04 ID:y3MqqH28Oc
そうなのか?
俺は初めて見たしなんか意外でびっくりしたんだが
証拠にはならないか』
――眼の前が真っ暗になった気がした。
イメージを損なわないため、テディには背中のタトゥーは見せないようにと云ってあり、真夏のライヴの後半でも上半身裸になったりはしていなかった。だから、一部のスタッフなど以外に知られているはずがないのだ。
「……テディ、まさか……、本当に」
ポーンとまた新規メッセージのポップアップが出る。ロニーはそれをクリックして会話ウィンドウを出した。
『Eliska:今日テディに会った?』
『Veronica:そういえばまだ顔を見てない』
『Eliska:まず本人の様子を見てみたらどうかと思う』
『Veronica:そうよね、わかった。あと、この書きこみは消せないの?』
『Eliska:削除依頼を出すことはできるけど、それは得策じゃない。レスを見る限り信じてる人はほとんどいない。ここでこの書きこみ自体が消されたら、信憑性が上がって本当だったと思われてしまう』
『Veronica:なるほど。わかった、ありがとう』
『Eliska:これが私の仕事だから』
『Veronica:あと質問。あなた、どうやってこんな書きこみをみつけたの?』
『Eliska:アンテナサイトをいくつも使ってジー・デヴィールに関連するキーワードで監視をしてる。それにひっかかっただけ』
それにしたって、それはものすごい情報量なのではないだろうか。インターネットにそれほど精通しているとは云えないロニーでも、そのくらいは想像がついた。
『Eliska:あと、そろそろマイスペースとフェイスブックの画像を更新したいので、写真のピックアップをおねがい』
『Veronica:わかった。エリー、おつかれさま』
『Eliska:おつかれさま』
メッセンジャーのウィンドウを閉じて、ブラウザに表示されている掲示板が前面に出るとロニーはすぐ閉じようとした。が、気は進まなかったがもう一度、最初から読み直してみようと思った。――酷い言葉の羅列に吐き気が込みあげる。これはきっと妄想の産物だ。こんなことが本当にあったなんて、そんなことがあっていいわけがない。
今度こそブラウザを閉じ、とにかく確かめてみればいいのだと、とりあえずテディの様子を見てみなければと決め――それだけのことがどうしてこんなに勇気がいるのだろう? ――ロニーはすっかりぬるくなってしまったサングリアを飲み、部屋へ向かった。
時刻は十時、いつもなら朝寝坊なテディもそろそろ起きてくる頃だった。こんこんとドアをノックしてみるが、応答がない。まだ寝てるのかしらとそっとドアのノブを回し、ほんの少し隙間を開けて「テディ? 起きてる?」と声をかけてみる。しかし返事はなく、ついでに人の気配もない気がして、ロニーはドアを開けて中を覗いてみた。
そこにはテディもルカも、誰もいなかった。