メンソールの煙草に火をつけ、ふぅと息をつくと、ロニーはゆらゆらと燻らせた煙が立ち昇るのをじっと見つめた。
昨日のテディの一件はかなりショックだった。彼が子供の頃、そんな目に遭っていたということに対しては当然として――それ以上に、あんな形で知られたくはなかったであろうことを自らの言葉で仲間に知らせてしまった彼自身の、その後の反応にショックを受けたのだ。
テディはまず笑おうとして、そして次に謝った。外に出ていったのは普通の反応のようにも思えるが、居た堪れずその場から逃げだしたのではなく、どちらかというと、どうしたらいいかわからないといった様子のメンバーに気を遣って席を外した、というようにロニーには感じられた。
ユーリのように、ニールを殴るなりなんなりしていればよかったのだ。しかしテディはそれをせず、おそらく自分を責めた。酔ってあんな話をしていた自分を、あんな話でメンバーに気を遣わせてしまう自分を責めたのだ。
少年期の性的虐待による自己肯定感の低さ――それが、テディ・レオンというルックスに恵まれた非凡なベーシストを、ずっと覆い隠していたヴェールの正体なのだと、ロニーは気づいた。彼は自分に自信がないのではなく、価値がないと信じこんでいたのだと。
それが最近、少しずつ変わってきていたのだ。バンドが売れて、ステージで喝采を浴びて。思い返してみれば出会った頃のテディと、バンドがブレイクしてからのテディはまったく違っていた。俯き加減に話していた顔は真っ直ぐ前を向くようになり、注目を浴びながら演奏したり話したりすることにも慣れて自信もついたようだった。確実に良い方向へ向かっていたのだ。それなのに。
じじ……と微かな音がして、ロニーは指に挟んだ煙草を灰皿の縁にとん、と当てた。長く伸びて落ちかけていた灰は、形を残したまま灰皿の中へ崩れ落ちた。その横にある何通もの手紙を
デスクの端に雑に並べた何通もの手紙――それは、すべてテディ宛の
『愛しいテディ
君は本当に美しい その髪の一本一本に口吻けて
そのきめ細やかな肌の隅から隅までを舐め尽くしたい』
『愛する僕のテディ
今日はひとつだけ忠告があるんだ
躰にぴったりとしたシャツは着ないほうがいい
君はもっと自分の美しさを自覚しなければいけない
今度また扇情的な恰好をしたら僕がお尻を叩きに行くからね』
『僕のテディ
ルカ・ブランドンのものだなんてあれは嘘だろう?
僕は信じない
ユーリ・レイボヴィッツとも最近接近しすぎだ
何度も云うが君は僕のものだ そうなるべきなんだ』
『愛しい僕のテディ
君が旅立ってしまってから僕は淋しくてたまらない
毎日君のビデオを観ているよ
けれどそれだけじゃ足りなくて、ベル・アミのビデオのなかに
君に似た感じの子をみつけて君の美しい顔と重ねあわせている
僕もあんなふうに君を犯してやりたい
早く帰っておいで 待っているよ』
癖のある筆跡から同じ差出人と思われるこの手紙の主は、どうやらテディの熱狂的なファンであるらしい。それも、かなり異常な。
あのタトゥーについて書かれた妙な手紙を読んでから、確かに何度か見たことのある字だと確信したロニーは、過去に届いていたすべてのファンレターをスタッフ総出でチェックし、同じ筆跡と思われるものをピックアップさせた。そして内容を確認し、同じ差出人だというのが明らかなファンレターを、こうして新たに四通みつけた。
消印の日付順に並べてみると、少しずつエスカレートしてきているのがわかる。ベル・アミというのがなにかわからずインターネットで検索してみると、二十代前半くらいの美形ばかりが出ているゲイポルノがヒットした。
ポルノを観ながら誰かを想像するのは勝手だが、叩きに行くとか犯してやりたいとかいう文面はいただけない。熱烈なファンであろうがなんだろうが、マーク・チャップマンの例もある。
今はこれ以上、余計なことに神経を使わせたくはない。テディは気が進まないようなことを云っていたが、やはりアルバム制作準備と避寒を兼ねて、どこか暖かいところに別荘でも借りて滞在しよう。気分を変えて、また皆で一緒に飲んで騒いで、楽しく過ごせるのがいちばんだ。
そう決めるとロニーは、ラップトップを開き最適な場所を探し始めた。
* * *
玄関のブザーが鳴って、テディが立ちあがりかけるとユーリはそれを止めた。飲みかけのビールの瓶をわざわざ手に持って立ち、ユーリは玄関に向かい、チェーンをかけたままそっと扉を開けた。
隙間から顔を見せたのはルカだった。
「なんでおまえがいるんだよ」
「おまえか。ま、たぶん同じ理由さ」
チェーンを外してルカを招き入れると、ユーリはビールを飲み干しながら元の場所――ソファに坐っている、テディの隣に腰掛けた。ルカが呆れたように天井を仰ぐ。
「なにぴったりくっついて坐ってんだ」
ユーリはひょいと肩を竦め、戯けてみせた。
「本命のご登場だ……俺は向こうに坐るよ」
テディの耳のあたりに口吻け、移動する。すると、テディが少し驚いたように目を瞠った。
ルカの表情を見てなんとなく察したのだろう。テディはルカと自分の顔を見比べながら、「……ひょっとして、もうばれてる?」と苦笑した。
「ばれてるな」
「ま、気にすんな」
「おまえは少し気にしろよ」
なにやら買ってきたらしい袋をそのままテーブルの上に置いて、ルカはどかっとラグに腰を下ろし、胡座をかいた。
「なんだ、せっかく隣を空けてやったのに坐らないのか」
「俺はおまえみたいにべたべたすんの好きじゃないんだよ」
「確かに」
テディがくすくすと笑いながら云った。「ルカは昔からこんな感じで、あんまりくっついたりしないね。ユーリは、いつも常にどこか触れてる感じだけど」
「いやらしい奴め」
「まあ、俺はそういう役割だから」
「役割?」
ユーリはにっと口角を上げた。
「ファックバディ」
「おまえ、ほんとにもうちょっと気にしろよ」
呆れたように云いながら、ルカは持ってきた袋のなかからシードルをだすと「おまえも飲むか」とテディに差しだした。テディがソファから身を乗りだして素直に受けとり、そのままラグに坐りソファに凭れる。
「……怒ってないんだ?」
「怒ったらおまえ、やめるのかよ? あー、嘘だ嘘だ。なんだかな……もうめんどくせえ。ひとりでクルージングスポット行って、名前も知らない相手とやりまくってこられるよりはずっとましだって思うしかないだろ。変な心配しなくていいし。……っていうか、もうあんなことはできないよな、有名人になっちまったし」
「……ブダペストの話か?」
「なんだ、そんなことまで聞いてるのか」
ユーリはテディを見つめながら「ああ、このあいだ少し」とだけ返した。ふん、と少し唇を尖らせて、ルカが続ける。
「こいつは偶に無茶やらかすんで、昔は俺も怒りまくったんだけどな。何度も繰り返されると、もう呆れるのと心配のほうが先になって――」
「ルカ。そんな話しなくてもいいだろ……」
テディがシードルの瓶を持ったまま膝を抱えて俯いてしまうのを見て、ユーリは手でルカを制した。ルカは少ししまった、という顔をして口を噤み、自分がソファに戻ってテディの髪を撫でるのを黙って見ていた。
「なんだろなあ、そういうときがあるんだよな。滅茶苦茶やりたくなるような。で、やってる最中はもうわけがわからなくなってるし……しかも終わってから後悔するしな。でもいいんだよ、どんなことをやってもなにをされても、おまえはおまえだ。そんなのはもともと、たいしたこっちゃねえよ」
独り言のように云ったユーリを、テディが不思議そうに見上げた。
「ユーリ……?」
ユーリはふっと笑みを浮かべると、着ていたパーカーのポケットから小さなケースを取りだし、尋ねた。
「ジョイントいるか?」