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Epilogue 「今日からスタート」

 バーミンガム・ニュー・ストリート駅へと向かうバスの中で、ルカとテディは並んでいちばん後ろのシートに坐っていた。

 窓の外は大きなビルに囲まれた、やはり雑然とした雰囲気が拭えない景色が広がっている。ルカは窓から外の景色を眺め、やっぱり住むならもっと緑の多い、のんびりとしたところがいいなと考えていた。郊外にあるアパートメントから、バスで十分ほど移動すれば賑やかな街へ出られるくらいが理想だな……と想像し、そんな場所でのテディとの生活を思い浮かべてうっとりと目を細める。

「……なにひとりでにやにやしてるの?」

 テディにそう云われ、ルカは「ああ、えとさ……」と、にやけてしまうのをごまかすように、一度咳払いをした。

「どんなところに住もうかって考えてたんだ。静かな公園とかが傍にあってさ。部屋は狭くてもいいけど、景色が見渡せるように上のほうのフロアがいいよな。川の傍もいいかもな。で、週末には近くでストリートマーケットが開かれてたりして、買い物ついでに食べ歩いたりできたらいいなって――」

 楽しげに云うルカを暫し真顔でじっと見つめ、テディは大きく溜息をついた。

「な、なんだよ。俺、なにかおかしいこといったか?」

「うん。最初から最後までね」

「え……」

 ルカが途惑い気味に黙り、悩んでいる様子を見ると、テディはやれやれといった感じに苦笑してを始めた。

「郊外で静かな公園の傍って、子育て世代なんかにいちばん人気があって、なかなか空きがないんだよ。それに、ふつうアパートメントっていうのは上の階にいくほど家賃が高くなるんだ。おまけに近くでマーケットがあるなんてところは地価も高いだろうから、とんでもない家賃になると思うよ」

 そうなのかと思いつつ、テディが「まあ、しょうがないよね。ルカは今まで、賃貸になんて住んだことないんだから……」と云うのを聞いて、なんだか小馬鹿にされた気がしてむっとする。

「でも、それはロンドンとか、もともと都会で物価も高いところの話だろ? おまえが昔いたっていうブダペストとかプラハとか、あの辺りならこっちよりも安いから、ちょっとはいいところに住めるんじゃないか?」

「……ブダペストはともかく、プラハってチェコだよ? ルカ、チェコ語話せるの?」

「昔はひとつだったチェコスロバキアってハンガリーの隣だろ? 言葉なんか似たようなもんじゃないのか」

「ハンガリー語ってかなり特殊だよ。チェコ語はスラヴ系だからセルビアとかクロアチアあたりの言葉とならそんなに変わらないけど、ハンガリー語とはぜんぜん違うよ」

「……おまえ、いったい何ヶ国語話せるの?」

「えっと……英語とハンガリー語、チェコ語、ポーランド語にセルビア語に……片言も数えていいなら広東語と、授業でやったドイツ語と……だから、七ヶ国語かな?」

 両手を使って指折り数えるテディに、ルカは初めて完全な敗北感を味わった。

 参った、とルカは肘をついてまた窓の外を眺めていたが――テディが、駄目押しのようにもうひとつ指摘をしてきた。

「それにさ、俺たちまだ十六だから保護者の同意書とかがないと国境を越えられないよ」

 そうだった――知らないわけではなかったのに、すっかり失念していた。ルカはむすっとむくれてテディのほうを振り返り、「じゃあ、今からいったいどこに行くんだよ」と尋ねた。

 テディは笑みを浮かべ、答えた。

「ロンドンかな」

「ロンドン!? 帰るのかよ」

「都会にいたほうが住むところも仕事も多いし、それに、まったく知り合いがいないのって心細いもんだよ? なにかあったときとかにさ」

「……俺だけじゃ心細いっていうのかよ」

 むくれたまま不満げに云うと、テディは「もう、そうじゃないよ」と笑いながら寄りかかってきた。

「俺には従叔母いとこおばがいるし、学校にはまだマコーミックやデックスや、ジェシだっているじゃない。それに、あの楡の木……今の監督生プリフェクトって、あの木のこと教えられてない気がするんだよね」

 そういえば、とルカは思った。以前ミルズは、あの木のことを代々伝えられる秘密だと云っていたが、ヘイワードのあの性格からして前監督生から教えられたとは思えない。オニールも同様だ。

「そりゃあまずいな。監督生が伝えるに値しない奴でも、伝統は守らないと」

「ね? ウィロウズハウスにひとりくらい、ちゃんと知ってる奴がいないとだめだよね」

「ジェシに教えるか。でも、登れるかな、あいつ」

「ロープがあるし」

「ダイエット応援してやらないとな」

 ふたりしてくすくすと笑いながら、膝に乗せたリュックサックの影でそっと手を繋ぎ、見つめあう。

 その灰色の瞳をふっと翳らせて、テディは真顔になって、云った。

「ねえルカ……。俺、またルカのこと、怒らせたり困らせたりするかもしれないよ? それでも……一緒にいてくれるの?」

 ルカは握った手に力を込め、きっぱりと頷いてみせた。

「ああ、云ったろ? 俺たちはずっと一緒だ。俺はおまえと離れたりなんかしない。離さないって」

 テディが、また泣きそうな笑みを浮かべる。その顔をじっと見つめたまま、ルカは云った。

「もうこんなわかりきったことは訊くなよ。こうして傍にいるのが答えなんだから。……今までに何度、同じことを云ったと思ってるんだ。もう、これが最後だからな」 

 テディが目を潤ませる。ルカはきょろきょろと車内を見まわし、テディの肩に手を置いて、すっと頭を低くした。テディもそれに倣う。それほど混んでもいないがぱらぱらと客の姿が見えるバスのなかで、ふたりはシートの陰に隠れてキスをした。


 ようやく巨大な駅に着き、バスを降りたふたりは、もうじき冬を迎える寒空の下を肩を並べて歩きだした。

 ほとんど荷物を持たない身軽さで、軽やかに。









- THE END -


𝖹𝖾𝖾𝖣𝖾𝗏𝖾𝖾𝗅 𝗌𝖾𝗋𝗂𝖾𝗌 #𝟤 "𝖳𝖧𝖤 𝖫𝖠𝖲𝖳 𝖳𝖨𝖬𝖤"

© 𝟤𝟢𝟤𝟦 𝖪𝖠𝖱𝖠𝖲𝖴𝖬𝖠 𝖢𝗁𝗂𝗓𝗎𝗋𝗎

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