「ルーファス様。婚約を解消してくださいまし」
「おやおや。何回目ですか?貴方も懲りない人ですね。何度言われようと婚約を解消する気はありませんよ?」
そう嘲笑う様に言うのはこの国の宰相であるルーファス・クライナート。
銀髪の美しい髪にムカつくほど整った顔をしている彼は最年少で宰相の座につきその評判も上々。
そんな彼の婚約者がリリー・エーヴェルト。
良くも悪くも全てが十人並の彼女は、ルーファスの婚約者と言うだけ疎まれ妬まれ蔑まされる。
百歩譲ってそこは目を瞑ろう。
元より独りが好きだったし、仲良くしているつもりでも腹の中は探り合いの友達なんて必要ない。
リリーがルーファスと婚約破棄したい一番の理由は、今後出逢うであろうヒロインとの恋愛事情に巻き込まれたくない為だった。
──そう。リリーは転生者。
ここが前世読んでいた『恋の花紡』と言う小説の世界だと気づいたのはルーファスとの初顔合わせの時。
「初めまして、ルーファス・クライナートと申します」
微笑みながら手を差し出すルーファスを見て「あ、これ転生したわ」と自分でも驚くほど冷静に判断出来た。
この小説のヒロインは当然リリーではない。かといって悪役令嬢でもモブキャラでもない。
ルーファスの婚約者として何度か登場するだけの当たり障りないサブ中のサブキャラ。
ヒロインはシルビアという子爵令嬢。
一度顔を見たことがあるが、ヒロインらしくコロコロ表情の変わる可愛らしい人だった。
シルビアに恋焦がれるのはリリーの婚約者であるルーファスの他に王太子、騎士団長、森に住む魔術師の四人。
最終的にシルビアに選ばれるのは王太子だ。
その為、ルーファスは婚約者であるリリーと愛のない結婚を余儀なくされる。
ルーファスがリリーに触れたのは初夜の一度だけ。後継者の為には仕方ないと渋々の行為は作業的で事が済めばリリーの事など気遣うこともせず、すぐに部屋を出て行ってしまったルーファスの後姿を寂しく見つめるリリーの心情が書かれていた。
読者からすればヒロインであるシルビアが幸せならハッピーエンドだと思えるかもしれないが、当事者となった今のリリーではこの結末を到底受け入れられるはずがない。
いくら愛のない結婚だからと言えど、夫婦となったなら最低限の思いやりだって必要だろう!?
「なに上の空になってるんです?話がそれだけならもういいですか?私も暇ではないんですよ」
リリーが仏頂面で考え込んでいると、相変わらずの塩対応。
リリーが婚約破棄を望むのは何もヒロインとの色恋沙汰だけでは無い。
このルーファスの態度も理由の一つ。
ルーファスはリリー以外の人間には人並み程度には愛想がいい。
塩対応なのはリリー限定。
ルーファスとシルビアが初めて出逢うのはルーファスが宰相になってすぐの頃。
偶然城へ来ていたシルビアが迷子になっている所をルーファスが助けると言うなんともテンプレ展開で、花が咲いたように笑うシルビアを一目で気に入り何度か話すうちに興味が好意に変わった。
今はルーファスが宰相になって半年。
気持ちはもうシルビアに向いているはず。
だからリリーは自分の為でありルーファスの為にも、婚約を解消してくれるように事ある毎に頼み込んでいるのだが、何故だかその願いを聞き入れてくれないのだ。
(言葉と態度がちぐはぐなんだよ)
早急に婚約を破棄すれば、原作が変わってルーファスにも勝算があるかもしれないのに……
「お?リリーじゃねぇか。その様子じゃまた聞いてもらえなかったみたいだな」
「ウォルター団長」
溜息混じりに廊下を歩いていると、団服に身を包みニカッと笑う姿が眩しいのはルーファスの恋敵である騎士団のウォルター団長。
四人の中で一番の年長者だが、その分包容力が素晴らしい。
結婚相手として選ぶなら間違いなくこの人を選ぶだろう。
「一体リリーはあいつの何が不満なんだ?こう言っちゃなんだが、あいつ程の優良物件はそうそういないぞ?」
「私は別に優良物件を欲してる訳ではないんですよ」
結末を知っているリリーには優良物件だろうが不良物件だろうが事故物件だろうが関係ない。
「まあ、お前がそこまで言うんならあいつに何かしらの問題があるんだろうな。本気で困ったら俺に言え。力になってやるよ」
そう言いながらリリーの頭を撫でるウォルターは年の離れた兄のような存在だった。
リリーがルーファスとの関係に悩んでいた時にウォルターと出会った。
その時に婚約を解消してもらうつもりでいる事を話した。
初対面の人間にいきなり婚約破棄なんて重苦しい話を聞かせてしまったが、ウォルターは苦笑いはしたものの別に責めることも止めることもしなかった。
ただ黙ってリリーの話を聞いてくれた。
その事があってから見かけたら声をかけてくれるようになり、今では世間話をするほどにまでの仲になった。
「……………ウォルター団長が婚約者だったら良かったのに」
「は?」
あまりにも自然に口から出たから、当のリリーも何を言ったのか自分でも分からず慌てて口を押えた。
「──まったく、こんなおじさん揶揄うんじゃない」
困ったように笑うウォルターの姿を見て、リリーは黙って俯くことしか出来なかった。
リリーは全てを知ってるから、この人が本当に愛する人を。
そして、その恋が実らない事も……
小説に描かれているウォルターは屈強な男で正義感が人一番強く、ヒロインであるシルビアをとても大事にしていた。
死と隣り合わせの騎士という仕事と年の差を気にし、ウォルターは最後まで自分の気持ちを伝える事はなかった。
チラッとウォルターを見ると、優しく微笑み返しくれる。
この笑顔を曇らせたくないなぁと思うが、モブであるリリーにはどうすることも出来ない。
(せめて悪役令嬢クラスの存在感と発言力があれば……)
そこで、リリーはハッとした。
元々原作通りの展開を望んでいないのだから、悪役令嬢が誰になっても問題ない……もし、悪役令嬢になれば断罪は必然だが、幸運なことに原作では処刑はされず国外追放で終わる事になっている。
リリーが悪役令嬢になってウォルターの実らぬ恋も芽が出る前に摘み取ってしまえばいい。
それより何よりリリー自身も無事に婚約破棄はできる。
もとより中身は平々凡々のド平民。貴族社会に思い残すことも無いし、断罪後は僻地でのんびり暮らすのもよかろう。
よしっ、悪役令嬢乗っ取ろう。
「おい……お前、何かよからぬ事を企んでいないか?」
流石は騎士団長。相手の顔色をよく見ている。
リリーはニヤつく顔を引き締め「いいえ?」と応えた。
ウォルターは渋い顔をしていたが、しばらくして溜息を一つ吐いた。
「あんまり一人で突っ走るなよ?……あいつももう少し……なぁ……」
最後の方はよく聞こえなかったが、リリーはそんな事気にしている場合ではなかった。
そんなリリーを呆れたように見ていたウォルターだが、今は何を言っても無駄だと思い「じゃあ、何かあったら言えよ」と言いながらリリーの頭を撫で、その場を後にした。
「はぁ~……面倒な事にならなきゃいいが……」
そう呟きながらウォルターは頭を掻いた……