次の日、病院から連絡があった。
「ご主人ですか? 奥様のことですが、残念ながら陽性でした。このまま入院となります。また、大変申し訳ありませんが、入院中の面会はご遠慮願っています。感染拡大防止のためです。ご了承下さい」
私にとっては大変なことなのだが、連絡は事務的な感じだった。おそらく現場ではしょっちゅうのことだろうし、医療関係者も疲れているのだろうということはテレビの報道で耳にしていたが、身近でそういう話を生で聞いたことがない分、実際に耳にする心にズンと響いた。
しかも今回、それが自分の妻の身に起こったのだ。感情が入るとこれまで客観的に思えていたことが一気に様相を変える。
もっとも、話は検査結果が陽性で、入院して治療を行なうことになるので、そこに期待するしかなかった。そう思うと少し気持ちが楽になったが、一方でコロナで亡くなった人の話も報道で耳にする。まさか康子はそちらのほうにならない、と思うようにしたが、不安な気持ちの割合が大きい。だが、私には何もできない。祈るだけなのだ。
その時、私は思い出した。
「そうだ、康子と初めて会った深大寺、確か疫病退散のご利益があったな。以前、お守りを買った。2年以上前ものだが、一生懸命お願いしよう」
私は一緒に買ったお守りを取り出し、藁にも縋る感じで康子の回復を祈ることにした。現実には気休めにしかならないだろうと思いつつも、私に今できることはこんなことぐらいなのだ。
次の日、私は朝イチで病院に電話した。康子の容態を聞くためだ。
「もしもし、雨宮と申しますが、昨日、コロナで入院した雨宮康子の容態をお尋ねしたいのですが・・・」
「申し訳ありません。今、テレビでも報道されているように、コロナの病棟は全てのスタッフが対応しており、手が足りずに忙しい状態です。私たちも全力で患者様の治療に当たっていますので、ご心配だとは思いますが、個別のお問い合わせはご遠慮願っています。どうか、ご了承ください」
問い合わせもできない、という状態だった。せめて容態を、と思っていたがそれもできないということで私の気持ちは落ち着かない状態になっていた。
康子が陽性となったことから会社には連絡し、私の検査結果が出るまで有休扱いにしてくれた。
私は無事、康子が戻ってくれることを願っていた。その時、私が元気が無かったら康子に申し訳ない。食欲はないが無理してでも食べ、帰ってきた時に心配させないようにしよう、と思うことくらいしかできなかった。