約束の日、私たちはマスターの店を訪れた。時節柄、客数は少ない。コロナを警戒して飲食店への出入りは少ないことを目の当たりにした。そして自分たちも外食することが少なくなったことを改めて感じていた。もっとも、私たちの場合、家で食事することが中心になっているので当然なのだが、この店はいろいろな意味で別だ。それが足が遠のいていたことに申し訳なく思う2人だった。
「マスター、ご無沙汰しています」
「お久しぶり。どう、新婚生活は? 幸せ? あっ、聞くだけ野暮か」
「はあ・・・」
何とも言葉が出にくい感じだった。コロナの問題が無ければ違ったリアクションが取れたのだろうが、こういう時は気の利いたことを言わなければと思えば思うほど、逆に出ないものだということを実感していた。
「お客様に立たせっ放しは良くないので、座ってください」
マスターは空いている席に案内した。今はカウンターの席ではなく、テーブル席だけに座ってもらっているらしい。マスターもマスク姿で、以前の様に饒舌な感じではない。感染への懸念もあるだろうが、経営的な心配も絡んでいるかもしれない。心なしか立ち姿にも力がない感じが漂っている。
そんなマスターに康子はカウンターまで行き、持参したクッキーを手渡した。
「マスター、久しぶりにクッキーを焼いたの。皆さんで召し上がってください」
「ありがとう。康子さんのクッキー、久しぶりだね。早速今いるお客様に配ろう」
マスターはそう言ってクッキーを皿に盛り、各テーブルに届けた。
「ウチの常連さんからの差し入れ。この店で婚約し、まだ新婚さんからの差し入れです。こんな時代だからこそ、少しでも幸せが広がればいいね」
その言葉に私たちは顔が赤くなった。もちろん、マスターは何の意図もないわけだが、思わぬセリフにどうつくろえば良いのか戸惑う私たちだった。
クッキーを配り終えた後、私たちがオーダーしたコーヒーがテーブルに届いた。久しぶりのプロのコーヒーの香りが私たちの鼻をくすぐった。
「やっぱりいい香りね。家でいれるコーヒーとは違うわ。マスター、美味しい」
「ありがとう。ゆっくりしていってね」
そう言った後、マスターは洗い物に専念した。その様子はこれまでとは異なっており、感染を気にしてのことだと分かった。
「何か、今までと違うわね。マスター、可愛そう。本当はお客さんといろいろ話したいんだろうけど、気を使っているのね」
康子も私もマスターのことを知っているだけに、今の様子は辛いだろうと推察できた。私たちも最近のことをマスターに話したいと思っていたが、他にもお客さんがいる。初めて見る顔もある。変に親しげにすることでそういうお客さんの心に差し障りが出ることを心配した。私たちは小声で何気ない世間話だけにし、飲み終えたら店を出ることにした。
「マスター、ごちそうさまでした。また、近い内に来ます。美味しいコーヒー、また飲ませてください」
「お待ちしています。今日はクッキー、ありがとう」
私たちが店を出る時、ドアまで見送ってくれた。
「何だか寂しそう。気の毒だわ」
康子の言葉だった。