駐輪場に向かう途中、何かに気づいて、ふと足を止めた。
―─あれは何だ?
海斗は三人の動きに目を見張った。この位置からは遠くて、はっきりとした事までは分からない。ただ黒のシルエットが三つあるのだけは分かる。大柄の男二人に誰かが挟まれて歩いている。何か様子がおかしい。
その時、携帯が振動した。親父からのメールだろう。早く帰ってこい。とでも書いてあるに違いない。携帯を手に取り、画面を確認した。絵蓮からのメールだ。しつこい奴だ。まだ何か用があるというのか。
『あなたの親友が大変な目に遭うかもよ。その辺りにいるから探したら?』
海斗は再び遠方へ視線を移した。大柄の男二人が車の後部座席に誰かを押し込んでいる。
親友……。まさか、あれは楓月なのか。
男たちに向かって走り出そうとした時、車が動き出した。ダメだ。間に合わない。海斗は踵を返して逆方向へ駆け出した。バイクだ。バイクなら追いつける。海斗は駐輪場へ急いだ。
「もう良いだろ。いてもたってもおれん。咲良さんが心配だ。車で探すくらいなら、警察も文句は言うまい」
美由紀は危険だからと止めたが、宗一郎は頑として言うことを聞かなかった。押しの強さに負けて結局、美由紀は付いて行くことになった。状況を顧みない父の行動に呆れつつも、衰えを知らない姿を見て嬉しくもある。
「香流甘ちゃんと言ったかな。あの子の母親に教会のことを漏らしたのは、結果的には大正解だったのかもしれんな」
「そうね。まさかあんなことをするなんて思いもしなかったけどね。きっと信者を片っ端から捕まえて、本部の場所を聞き出したに違いないわ。ところでお父さん、どこに行くつもりなの」
「分からん。勢いよく家を飛び出したは良いが、皆目見当もつかんよ」
美由紀はやれやれといった表情を浮かべた。
「さすがに本部や支部にはいないでしょうね。警察が調べているはずだし」
咲良がどこかの建物の中や車内に監禁されているのなら、見つけ出すのは不可能に近い。私たちは外を探そう。外ならば人気のない場所に限られる。山中か、或いは海か。美由紀は悩んだ末、決心した。
「お父さん、海へ向かって。海沿いを走っていたら、それらしい場所が見つかるかもしれない」
山の中なんて、そう簡単に見つかるわけがない。それに山中ともなれば、どうしても車から降りて行かなければならなくなる。山中や建物内の捜索は警察に任せるべきだ。
「分かった。海だな」
もう夜は遅い。海岸には釣り人や恋人がちらほらと目に付く程度で、それらしい人物は見当たらなかった。辺りは静寂に包まれており、物々しい雰囲気は感じられない。
「山かもしれんな」
もうかれこれ二時間は探している。場所を変えた方が良いのだろうか。
信号が青色から黄色に変わり、宗一郎が車を減速させた、その時。一台の車が猛スピードで脇を通り抜けて行った。その後方をバイクが追いかけていく。
「確か黒のバンと言ってたな。あの車を追いかけるぞ」
荒木は信者たちからの報告に怒りで肩を震わせた。
「ふざけやがって。どこのどいつが遣りやがったんだ」
まさかトラックで倉庫に突っ込む馬鹿がいやがるとは……。
脅してさえおけば、大抵の奴は黙り込む。あの女どもは解放しても警察に駆け込むことはなかったはずだ。荒木は足元を見て舌打ちをした。この女には本当に辟易させられる。
「さっさと、お前が口を割りゃあよ、こんな面倒なことにはならなかったんだ。どう責任取ってくれんだよ」
膝を抱えて座っている咲良に向かって、荒木は吐き捨てるように言った。
「話した方が身の為だぞ。強情な女だな」
そう言って、荒木は煙草に火を点けた。
「捕まった奴がいるみてえだが、俺が捕まることは絶対にねえ。監禁に関しては、俺は直接手を出しちゃあいねえからな。やったのは他の奴らだ。捕まったとしても、知らぬ存ぜぬで押し通せば警察も諦めるだろ。後はお前らから絵を奪って、黙らせることさえできたら、俺は安泰ってことだ」
そう言って荒木が不敵な笑みを浮かべた。
「おいトカゲ。しっかり見張っておけよ。次、ミスしたらお前、海に捨てるからな」
荒木がトカゲに近づき、耳打ちをした。
「あの女、お前のことを馬鹿にして笑ってたぞ。分かりやすい尾行をしていたマヌケだってな」
バイクを走らせながら海斗は焦りを募らせた。どこに行ったんだ。確かこの辺りに入って行ったはずだが……。
この場所は大通りから離れている。よほどの用がない限り訪れないはずだ。早くしないと楓月が危ない。
正面から車が近づいてくるのが見えた。ハイビームで視界が奪われて見えづらいが、黒のバンではないことは確かだ。車の横を通り過ぎて、海斗は道路脇にバイクを止めた。視力が回復するまで少し待とう。
光の残像が消えていき、再び辺りが暗闇に包まれた。
―─あれは?
暗闇にぼんやりと映し出されている車に目を遣った。駐車場の奥に車が止めてある。あの車ではないか。海斗は辺りに注意を払いながら近づいて行った。特徴的なステッカーが貼ってあることを追跡中に確認してある。
やはり、そうだ。この車で間違いない。
淡い光を放つライトが橋の形状を浮かび上がらせている。花火の時に何度かここに来たっけ。楓月は幼い頃の記憶に思いを馳せた。関門橋が遠くに見える。
「おい。突っ立ってないで、さっさと歩け」
金髪に突き飛ばされ、楓月は勢いよく前方に崩れ落ちた。辺りはひっそりとしており、岸壁を叩く波の音と遠くで鳴る汽笛以外は何も聞こえない。楓月は立ち上がらずに、周囲の状況を伺った。
「誰もいねぇよ。邪魔な奴らは追い出したからよ」
いつもなら何人もの釣り人たちが、この場所で夜釣りを楽しんでいる。
「いつまでじっとしてんだよ」
鈍い痛みが顔面を急襲した。金髪が顎を蹴り上げたのだ。
「おっと、こっちへ来るなよ」
今度は恰幅のある男に身体を持ち上げられたかと思うと、強い力で突き飛ばされた。海沿いに立てられた柵に身体が打ち付けられ、背中に強い衝撃が走る。
「舐めてんじゃねーぞ、クソガキ」
金髪に足の裏で頬を蹴られ、鮮血が口から滴り落ちた。地面に倒れ込んだ僕の身体を二人は無言のまま、あらゆる箇所を蹴り続けた。にやついた表情を浮かべている。この人たちは荒木と同種の人間だ。人を傷つけることを心の底から楽しんでいる。
絶望感に苛まれる中、遠くで砂利を踏みつける音が聞こえた。音はこちらに向かってやってくる。