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教会本部へ④

 海沿いの国道を北に向けて進んでいく。外の景色を眺めて微睡んでいる咲良をよそに、ハンドルを持つ手に力が入る。久しぶりの運転だ。

 向かう先は候補地の一つ、角島だ。手あたり次第に島を巡るより、狙いを定めた方が見つかる可能性が高い。まずは土地勘のある場所から見て回ることにした。真田が旅先から帰って来るまでには、まだ時間がある。

 海岸線を北上するに連れて、辺り一帯を鮮明に染めていた赤がくすみ始め、陰を落とした。夕焼けは、その時々で様々な姿を見せてくれる。楓月は前のめりになっていた身体を後方のシートに預けて、肩の力を抜いた。後はこのまま一本道を進むだけで角島に辿り着く。

「日が落ちそうですね。少し急ぎましょう」

 楓月はアクセルを踏み込んだ。夕日を見なければ意味がない。


             ◇


 香流甘は一人静かに海を眺めた。深緑色をした水面が膜のように揺れている。

 このまま身を沈めたら、どれだけ楽になれるだろうか。

 栗色の髪が風に吹かれ、細雨のように首に纏わりついた。香流甘はそれを振り解こうと、頭を左右に振った。

 私だって自由に生きても良いはずだ。もう我慢はしたくない。


             ◇


 角島に着いても、それらしい景色は見当たらなかった。

「もっと奥に行ってみましょう」

 咲良の母が『絵には大きな岩と鷹が描かれていた』と言っていた。絵は景色を描き写したものとは限らないが、そこに行けば何か見つかるかもしれない。灯台に着くと、僕らは壁に背を預けて海を眺めた。夕日が細波の先端を輝かせている。

「この景色ですかね」

 誰に向けるわけでもなく、一人呟いた。綺麗な景色を見れば、少しは感銘を受けるのかと思っていた。しかし、この景色は僕の心を動かしてはくれない。

 心なしか咲良も優れない表情をしている。

 角島には様々な思い出が詰まっている。まだ人生に行き詰まりを感じていない晴れやかだった頃の思い出だ。その頃の僕が語りかけてくる。

 ―随分とつまらない人生を送っているんだな、今のお前は。と……

 日が陰り、空や海、そして大地、全ての色が失われていった。島に静けさが訪れる。暗闇の中に潜む何かに対して、恐れる自分が現れる時間だ。

 一人、二人と恋人たちや親子連れの姿が消えていき、島に残っているのはサラリーマンと傍らにいる女性のみとなった。女性はとても若い。二人は僕らから離れた場所にいる。

「僕らも帰りましょうか」

 ここに長居しても、もう何も見つかりそうにない。僕らは駐車場に向かった。サラリーマンたちも帰るようだ。二人を追い抜くのは気まずいと思い、僕らは前を歩く二人から少し距離を置いて歩いた。

 辺りはすっかり暗くなっている。足元が暗くて見えないからか、前方の二人は草の上を避けて外灯のある舗装路を歩いている。僕らもそれに倣った。外灯に照らされた舗装路が煌びやかに光り、後方に流れて行く。この光景は、あの日見たものと同じだ。事故に遭った帰り道、舗装路の光を眺めながら歩いた、あの時の光景だ。

 前方の二人が街灯の下を通った時、外灯の光が男の姿を照らした。あの男は……。事故直後、野次馬に混ざって、こちらの様子を伺っていた男ではないか。あの男に似ている。男は後方にいる僕らに少しも関心を示さないまま、駐車場へ入って行った。思い過ごしだろうか。スーツを着ている人なんてどこにでもいる。

「あっ」

 助手席に座った若い女性を見て、思わず声を漏らしてしまった。クリーム色のバッグを胸に抱いている。市香と追跡した時に見たバッグだ。外灯に照らされて、時折、光る小物は、おそらく白ふくろうのチャームだろう。

「咲良さん、助手席を見て下さい。あの人が香流甘さんです」

 何が起きたのかと驚いている咲良に小声で伝えた。

「香流甘さんって、美由紀さんたちが探している女の子のことですか」

 咲良は香流甘のことを知らない。見たのは今日が初めてだ。男は僕らの存在に気づいていないのか、こちらのことなど気にする素振りも見せない。

 車のエンジン音が聞こえ、男がハンドルに手を掛けた。ゆっくりと車が動き出す。どうやら小倉方面へ向かうようだ。

「咲良さん、追いかけましょう」

 急いで後を追った。海沿いを走る国道は一本道が続く。これならば進行方向が同じでも、怪しまれることはない。

 関門海峡に差し掛かった頃、車が左折して坂道を上って行った。この先にあるのは公園だ。夜景でも見に来たのだろうか。

 僕らが遅れて公園に着いた時、男と香流甘は海に面した公園から離れていくところだった。夜景を見に来たわけではないようだ。二人は公園の裏手にある丘へ向かっている。

「何だか気味が悪いところですね」

 咲良が丘を見上げて言った。丘の上に建物が見える。

「僕、ちょっと見てきます。咲良さん、ここで待っていて下さい」

 咲良が心配そうにこちらを見つめた。

「確認して来るだけです。直ぐ戻ってきます」

 丘の周辺は外灯の数が少ない。月明かりを頼りに慎重に歩いて行った。

 香流甘の母も僕の母と同じだ。子どもを自分の所有物だと思っている。香流甘が親元を離れたがる気持ちはよく分かる。だけど本当に香流甘は教会で活動したいと思っているのだろうか。香流甘が僕と似た境遇で育ったのなら、そう簡単に人なんて信じないはずだが……。

 香流甘たちは既に建物の中に入ったのか、丘の上には誰の姿もなかった。恐る恐る建物に近づき、中を覗き込んだ。まるで消灯時間を過ぎた病棟のようだ。

─―ガシャン!

 突然、背後から大きな金属音が鳴り響いた。

 振り返ると、鉄扉が閉められており、その前方に先ほどのスーツ姿の男が立っていた。背後にいるのは香流甘だ。どういうわけか怯えた顔でこちらを見ている。

「付いてこい。お前に聞きたいことがある」

 香流甘からすれば、僕の方が怪しい人間ということになるのか……。

 鉄扉は高く、頑丈な造りをしている。この状況で逃げるのは難しい。男に言われるまま建物の内部へ足を踏み入れた。咲良を残して来たのは正解だった。僕が戻ってこなければ、何かしら行動を取ってくれるはずだ。

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