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教会本部へ③

「私、あの人たちみたいには絶対になりたくないのよ」

 絵蓮がぽつりと呟いた。誰のことを言っているのか直ぐに分かった。絵蓮は父と母を見下げることが度々あった。

「確かに裕福な家庭ではなかったわね」

「それもあるけど、それ以前の問題。最低でしょ。あの人たちって。褒めるところが一つもない。頭が悪いくせに偉そうにしてたしさ」

「お母さんはともかく、お父さんは私たちに優しく接してくれたし、真面目に働いてくれてたじゃない。絵蓮に対しては何もしなかったはずだけど」

「真面目に働けば良いってものじゃないでしょ。あの人には稼ぐ能力が全くなかった。毎日ダラダラと無駄に長時間働いてさ。最後は会社にゴミのように棄てられてた。あの人がやったことは全て無駄だったのよ」

 絵蓮の言葉に愕然とさせられた。父には何の落ち度もなかった。人の良さが仇となっただけだ。いつも自分のことを後回しにして、周りの人たちのことを何よりも優先する人だった。他人を押しのけて利益を奪い取ることをしない。心優しい人だ。その父を、ここまで悪く言うなんて……。

 絵蓮が権力に擦り寄るようになったのは、これが理由だったのか。

「お姉ちゃんは良いよね。何でも簡単に手に入れることができて」

 絵蓮の毒気を孕んだ言葉が胸を衝いた。目が冷めきっている。

 両親が離婚してから、私たちは母と三人で暮らした。失業した父を母が支えることはない。パート暮らしのシングルマザーでは、姉と妹のどちらか片方のみに教育費を注ぎ込まなければならなかった。犠牲になったのは絵蓮だ。当時の絵蓮はこれといって秀でたものがなかった。

「だけどね、絵蓮。私は母の言いなりにならなければいけなかったのよ。いつも顔色を窺っていたし。私には自由なんてものはなかった」

 行動の全てを母に監視され、自分の意思で取った行動は全て否定された。母に何も言われないようにする為には、母が好む人物を演じるしかなかったのだ。

「だけど大学には行かせてもらったでしょ。それだけでも十分恵まれているのよ」

 進学する時、絵蓮と母が衝突したことがあった。その時の母の言葉は酷いものだった。『あんたが大学に行ってどうするの。お金が無駄になるだけでしょ』絵蓮も母に否定されて育ったのだ。しかし期待された私と、期待されなかった絵蓮とでは心の傷の深さは異なる。絵蓮にとって、私を含めて家族全てが敵なのかもしれない。

 目を伏せていると、廊下から歓声が上がった。

「お姉ちゃん、始まったよ。これを見せたかったの」

 信者たちが羨望の眼差しを廊下の奥に向けている。その視線の先には、派手で禍々しい蛾のような服を着た女性がいる。両サイドに側近らしき女性を携えており、廊下の中央をこちらに向かって歩いてくる。吐き気がするほどの自己顕示欲だ。信者たちは廊下の端に寄って、その女性の進行を妨げないように配慮している。この三人が教会内部で身分が高い人たちなのは一目瞭然だ。

「あの中央の人はベリー」

「ベリー?」

 何を言ってるのか分からない。名前だろうか。

「ベリーってのは、幹部という意味。支部長より上に位置する人。因みに支部長は両サイドの人たち。私たちはナッツって呼んでる。あの人たちと個別で会うには、お金を払う必要があるのよ。会う為の権利としてね」

 お金を支払う人なんているのかと勘繰りたくなる。しかし騒ぎ立てている信者を見る限りでは十分に有り得る話だ。彼女たちなら支払うだろう。

 ナッツを両サイドに携えたベリーがこちらに向かってくる。

「リーフは歩行の邪魔にならないようにしなきゃいけないの。リーフとは信者のことね」

 私は信者ではないのだけど……。仕方なく絵蓮や信者たちに倣って道を譲った。

「トランクへようこそ」

 私から見て左サイドを歩くナッツから、また、おかしな用語が飛び出した。彼女は口角を上げて、気持ち悪いほどの笑みを私に向けている。

「本部へようこそ。という意味よ。因みに支部はブランチね。木をイメージしているの。トランクは幹、ブランチは枝のことを指してる」

 絵蓮が耳元で囁いて教えてくれた。横文字を無意味に使って、悦に浸りたがる人たちにはうんざりさせられる。英語なんて話せないくせに。

 トランクの廊下を、ブランチの長であるナッツを両サイドに携えたベリーが、リーフを掻き分けて歩いて来ると言ったところか。もはや訳が分からない。

 由香里は通り過ぎていく三人と、それを崇める信者たちを冷めきった目で見つめた。

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