図書館に着くと、直ぐに本棚に向かった。僕らは本を何冊か手に持ち、人がいない場所を選んで座った。ここならば小声で話せば周りの迷惑にならずに済む。
「それって長谷川等伯ですか? わたし京都に行った時に何度か見たことがあります」
「祖母の家にある襖絵に描かれていたのを思い出して、調べてみたくなったんです」
「どの絵ですか?」
「小さい頃に見たので記憶が曖昧ですけど、多分、この手長猿の絵ではないかと」
そう言って、咲良に等伯の画集を手渡した。
「これですか? 『えんこうそくげつず』と書いてありますね」
そこには池に映し出された満月を掴み取ろうと、懸命に手を伸ばしている手長猿の姿があった。墨一色で描かれた素朴な絵だ。
「可愛いですね。月がお饅頭に見えたのかも」
等伯の画集を閉じると、今度はガイドブックを開いた。恋人や家族が手にする観光目的の本だ。父は船舶免許を持っていたとはいえ、よほどの理由がない限り、ルートが確立されていない島には行かないのではないか。観光地に絞って良いはずだ。
「楓月さん、どの辺りですか」
「当時、父が行った可能性があるとしたら、この辺りではないかと」
指先で、海岸沿いに浮かぶ島々を囲った。
「ここはどうでしょうか?」
咲良が能古島、志賀島を指さした。
「志賀島は陸で繋がっているし、行きやすそうですね。どちらも可能性としては有りだと思います」
「きっと糸島は違いますよね。島じゃないから。藍島、大島、角島……」
咲良が島を一つ一つ、呼称していった。藍島は、今でこそ猫がいる島として有名だが、当時は観光地と呼べるほど有名な所ではなかった。はたして当時、この島に父は行こうと思っただろうか。大島は島にしては広大な土地だ。もし夕日を見た場所が大島なら、場所の特定には時間が掛かる。大島ではないことを祈りたい。角島は比較的小さな島だ。父が生きていた当時から人気がある。
「角島は私の好きな場所です」
「僕もです。島に架かる橋が綺麗なんですよね」
ページを捲ると、見開きで掲載された大きな写真が現れた。他の島とは似ても似つかない神々しい島だ。
「神宿る島ですね」
咲良が言った。さすがに、この島ではないだろう。足を踏み入れてはいけない神聖な島だ。
閉店の時間が近づき、館内のざわめきが小さくなっていった。
「咲良さん、そろそろ出ましょう」
図書館を出て、少し離れた位置まで歩いてから、ゆっくりと振り返った。樹々に覆われた図書館はコンクリート造りだというのに無機質な印象を与えない。屋根はグリーン一色に統一されており、周囲の風景に溶け込むように工夫されている。
咲良と別れた後、バスに乗って帰った。あの事故の後だ。怖くて自転車に乗る気にはなれない。
自宅に着き、玄関の鍵穴に鍵を挿し込んだ。
―─あれっ、玄関が開いている……
玄関脇に母の自転車はない。母はどこかに出かけている。出かける時に施錠するのを忘れたのだろうか。
恐る恐る玄関のドアを開けて中の様子を伺った。特に変わった様子はない。浴室やトイレなど、潜むことが可能な場所を一通り調べたが、誰の姿も見当たらなかった。しかし何かがおかしい。この違和感はどこから来るのか……。
部屋の中央に立って周囲を眺めた。壁に立てかけてあったはずのキャンバスが倒れている。他の画材道具の位置も僅かにずれているように感じる。誰か入って来たのではないか。教会の存在を知って以降、帰宅する時には常に後ろを警戒してきたつもりだ。自宅を知られているとは思えないが……。
落ち着きのない足取りで洗面台へ行き、顔に冷水を浴びせた。少し冷静にならなければ。僕が居ない間に母が部屋を物色しただけかもしれない。
絵蓮の話しぶりからは、絵の存在は知っていても、何が描かれているかまでは知らないようだった。誰かが入って来たのならば、手当たり次第に絵を持って行くのではないか。僕が描いた絵は残されたままにしてある。
咲良は大丈夫だろうか。咲良は一緒に絵を探しているだけだ。狙われることはないと思うが……。携帯を手に取った。
「咲良さん。そちらは何も起きていませんか」
「はい、大丈夫ですが、何かあったのですか」
「いえ、誰かが家に来たような気がしただけです。きっと気のせいです」
色々あったことで、疲れているのだろう。
「咲良さん、祖母の家のことですが、いつ行けそうですか」
「私も付いて行っても良いのですか」
祖母の家は広々とした一軒家だ。一人増えたくらいでは何の問題もない。
「もちろんですよ。僕は咲良さんも来るものとばかり思っていました」
「私なら、いつでも大丈夫です。仕事はまだ先の話なので」
「それでは、月曜日で調整しておきます」
教会の人たちも探している。できるだけ行動は早い方が良い。