目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

作戦会議②

「咲良様、どうぞ」

 全員が咲良に注意を向けた。

「楓月さんの事故のことですが……。私、絵を描いている楓月さんを後ろから監視するように眺めていた中年の女性を見たんです。楓月さんが絵を描き終わって帰る時、その人が『今から、そちらに向かいます』と電話で誰かに話していたのが気になって……」

「その『中年の女性が、そちらに向かう』という意味じゃない? それなら別におかしくはないけど」

 美由紀さんが言った。

「楓月さんが去って行ったと思える方角を見ながら話していたので、わたしには『楓月さんが、そちらに向かう』という意味に聞こえました」

 どよめきが起き、全員が顔を見合わせた。緊張感が場を支配していく。まさか、あの事故は計画的なものだったとでもいうのか。

「思ったより事態は深刻じゃないか」

 宗一郎さんもようやく真剣な顔つきになった。

「それでは、事故について話を進めて行きます。楓月さん、事故当時の状況を簡潔に説明してもらえないでしょうか?」

「はい。事故が起きる直前、僕は坂道を自転車で下っていたのですが、対向車線をはみ出してきた車が突然、目の前に現れて、僕を目掛けて突っ込んできたんです。お互いにハンドルを切ったので、事なきを得ましたが」

「それは今回の景色と何か関連がありますか」

「事故の後、女性が一人、駆け寄って来たんです。その人は父の絵画について、あれこれと聞いてきました」

「今の楓月さんの話を踏まえて、皆さんは何を思いますか」

それぞれが思いついたことを発言していく。

「偶然にしては変じゃないか。絵のことを聞いてくるなんてな」

「絵を探している人たちが他にもいるってことよね」

「絵のことを聞きたいなら、事故を起こす必要はないのにな。拉致して絵を奪おうとしたんじゃないか」

「でも車は走り去ったわけでしょ。拉致目的ではないと思うわ」

「じゃあ、怖がらせるのが目的だな」

「そうかもしれないわね。相手もハンドルを切ったのなら、最初から大怪我を負わせるつもりはなかったってことだし」

「それだと『怪我をしたくなければ速やかに絵を差し出せ』という脅しということですよね。僕は絵なんて持ってないのに」

「それか『俺らが探しているのだから、お前は探すな』という意味かもしれんぞ」

「どうして楓月さんのお父さんの絵を探す必要があるのでしょうか。人生を変えたのは景色であって、絵ではありませんし」

 これでは収拾がつかない。結論を出すには情報が少なすぎる。

「皆さん、静粛にお願いします。事故に関して分かったことは、主に次の三つでしょうか」



一、事故は故意の可能性が高い。


二、事故を起こした理由は、絵に関しての情報収集。脅しによる牽制の可能性あり。


三、絵を探している理由は不明。



「探している人たちって、誰なんでしょうか。教会ですかね」

 それが一番気になる。

「教会に行った時は、あまり危険な人たちだとは思わなかったです。親切でしたし」

 咲良は感じたまま素直な感想を述べた。

「こういったものは組織の上層部だけが把握しているものだからな。末端の者は何も知らされていないことが多い。良く分からないまま指示通りに動いている連中がいるのだろう」

「そうね。仮に指示の内容が非常識だと気づく人がいたとしても、そのような人は自主的に組織を去るか、組織の悪質な行為を止めようとして組織から排除されるわ。ブラックな組織に残り続けるのは、指示通りに動く考える力のない人や気づいても見て見ぬ振りをする要領の良い傍観者、分かった上で行動を取る悪意を持つ人で大半を占める」

「そういうことだな。そのような組織に、善意と行動力を併せ持った人間が残り続けることはまずないと思って良い。上に立つ者にとって、何も考えず行動を取ってくれる有難い駒は貴重なんだ。そのような人材を重宝し、残す傾向にある」

「残念だけど、それが現実なのよね。そうなると、その人たちを意のままに操るだけではなく、絵を買わせることも簡単にできてしまうって事になるわね」

「『人生を変える絵』とでも言っておけば良いわけだからな。誰かの人生を一変させた絵なんて誘き寄せる餌としては、これ以上の物はない。簡単に食い付くだろう。なんせ論理的な考え方が一切できない人たちなのだからな」

 何もしないのに人生が好転するなんて、そんなバカな話はない。

「私の母もそうなのですが、当時、誰もその絵に興味を示した人は居なかったみたいです。楓月さんのお父さんの景色に纏わるエピソードを利用して、絵画の価値を上げようとしているのかもしれません」

 一呼吸置いて、宗一郎さんが真剣な眼差しでこちらを見た。一体、どうしたのだろう。さっきまでと様子が異なる。

「楓月くん、そろそろ動き出したらどうかね」

「僕がですか」

「そうだよ。それを君が探し出すんだ」

 男はこちらを見据えて言った。

「だが君次第では、人生が暗転するかもしれないがね。世の中の多くの人たちは何も考えずに他人の道を歩んでいる。お節介かもしれないが、君には自分の道を歩んでもらいたいと思っているんだ。志半ばに倒れた君の父親もそう願っているはずだ。このまま何もせずに朽ちていくなんて出来やしないだろう? 願っているだけでは何も手に入らないんだよ」

 宗一郎さんの言う通りだ。願えば叶うなんて嘘だ。奇跡なんて待っていても起こるわけがない。

「分かりました。やってみます」

 これは僕に与えられた課題でもあり、チャンスでもある。受け身だった人生に終止符を打つ時かもしれない。

 状況を冷静に見守っていた心音が作戦会議の締めに入った。

「それでは楓月様と咲良様。絵を探している人たちの動きに十分に注意して行動を取って下さい。今日の作戦会議は、この辺りで閉めさせて頂きます」

 心音は簡潔に締め括った。礼儀正しさは市香と同じだが、市香のような古風さや柔和な雰囲気はなく、元秘書らしく格式があり、どことなく冷めた印象を与える。同じ姉妹でも随分と異なるものだ。

 作戦会議が終わって、僕らは縁側に移った。苔が覆い茂る庭園に、時折、鹿威しの音が鳴り響く。

「わあ、すごい飛行機雲」

 咲良が一点を見つめて目を輝かせている。

その声に反応して、僕らも空を見上げた。どこかのアーティストが感性の赴くままに筆を振り下したような一筋の白い雲が空を切り裂いている。

 時間を忘れて空を眺めた。緩やかな時間の中、雲が形を変えていく。

「神の鉄槌のような雲だな」

 宗一郎さんはそう言うが、僕には殻を突き破る一筋の矢に見えた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?