足元に小魚の群れが見える。一つの塊となった小魚たちは群れから離れてしまわないように必死だ。目立つことは危険なのだと小魚たちは知っている。個性を持たない弱い個体は群れを形成しなければ生きていくことができない。
家を出る時、通行人に成りすましてこちらを眺めている人がいた。今の荒木は目立つ行動を取ることができない。まだ顔の割れていない信者だろう。きっと僕らが乗船した時もどこかで見ていたはずだ。
「親父に内緒で来ちまったよ。漁をするわけでもないのに、沖に行くから船を貸してくれって言ったって、断られるに決まってるからさ」
「無理言ってごめん」
「いや、それは別に良いんだよ。ただ親父が気づく前に返さなきゃいけない。たぶん大丈夫だとは思うけどさ。今は身体壊しているから頻繁に船を見に行くことはねえし。ただ気になるのは夕方以降だな。海が荒れてくるみたいだから、目的を果たしたら直ぐに引き返すぞ」
これから起きる出来事は僕の人生に何をもたらすのだろう。
「スピードを上げるぞ。海に落ちるなよ」
重く淀んだ空気を船首が切り裂くように、波しぶきを後方へ吹き飛ばしていった。船と並行していたカモメたちが、いつの間にか姿を消している。しばらく航行していると、眼前に断崖絶壁の島が現れた。荘厳な雰囲気を纏っている。これ以上近づいてはならないと、僕らに警告を発しているかのようだ。
雲の隙間から射し込む光の帯が島全体を包み込んでいる。さすがに上陸はしていないだろう。しかしこの島の近くまでには来たはずだ。
「海斗この辺りで」
波しぶきを上げていた船が止まり、鈍いエンジン音が辺りに響き渡った。
この場所に父の想いが眠っている。
「荒れて来たな。思ったより早く時化てきやがった」
海斗が辺りを見渡して言った。
遠くの空が厚い雲で覆われており、海面に暗い影を落としている。
「楓月、来たぞ」
一艘の船がこちらに向かって来る。船が近づくに連れ、船首に立つ人物が露になった。やはり来たか。勝ち誇った顔をしているが、追いかけて来ることくらいは想定済みだ。
「その安っぽい船で、よくここまで来れたな」
荒木が船上から叫んだ。荒木の他に操舵手が一人いる。
海斗が焦りの表情を浮かべている。相手の船体はこちらの二倍はある。性能も向こうの方が上なのかもしれない。荒木を乗せた船が船首方向に回り込み、僕らの進行方向を塞いだ。高波が船を大きく上下に揺らす。
「何だ? あいつが気になるのか? あの操舵手は金で雇った部外者だ。他に誰もいやしねえから、安心しろ。お前らなんて俺一人で十分だからな」
操舵手はこちらを見向きもせず正面を見据えている。僕らには関心がないようだ。
「あいつはな。最初は渋っていたくせに、札束を見せたら態度をコロッと変えやがってよ。笑えるだろ。だけど、これが人間って奴なんだよ。脅すか、金を払うかさえすれば大抵の奴は言うことを聞く」
荒木がわざと操舵手に聞こえる声で話している。お金を持っているからといって、それが一体どうしたというのか。それに、そのお金は信者から奪い取ったものだ。何の自慢にもならない。そのようなことでしか自分を語ることができないとは……。
「あんたが欲しいのは、これだろ」
荒木に見せつけるように絵を掲げた。
「何だ? 絵を持って来ているのか。取っ捕まえて口を割らせようと思ったが、手間が省けたようだな。お前、その絵をどうするつもりなんだ?」
荒木の質問には答えず、無言で荒木を見据えた。
「まさか、捨てるつもりじゃあねえだろうな。てめえ頭がおかしいのかよ」
お前なんかに、この絵を渡すわけにはいかない。
「お前らしいよな。絵を捨てたら全てのことから解放されるとでも思ってんだろ。また逃げるのかよ。ゴミ屑みてえな人生を送りやがって。お前、今まで戦ったことあるのか? 情けねえ野郎だな」
荒木が声を出して笑った。
「そうじゃない。先に進むために捨てるんだ」
「何を訳の分かんねえこと言ってんだよ。おっと、捨てるなよ。捨てたら、あいつを海に落とすからな。おい、上がってこい」
船の地下から女の子が姿を現わした。
「誰でも良かったんだけどよ。絵蓮の奴を攫って連れてきたところで、お前に助ける義理はねえし、お前の相方は死にかけているからな」
「もう香流甘さんは教会とは無関係のはずだ」
「ああ関係ねえな。だけどそれがどうかしたのかよ」
荒木がニヤついている。利用できるものは何でも利用する。こいつらしい発想だ。