楓月はテレビを点けた。何やらテレビが騒がしい。また何か事件が起きたのか。ニュースが流れている。
この犯人たちを愚かな奴だと一笑に付すのは簡単だ。だけど、この人たちと同じ家庭で育ち、同じ過程を経て生きて来たならば、僕も同じことをしていた可能性がある。犯罪に手を染めなかったのは運が良かっただけだ。人生は運に大きく左右される。
この先、僕はどこに向かって行けば良いのか。そして運に振り回されない為には、どうすれば良いのか。考えれば考えるほど分からなくなる。
約束の時間より少し早いが出かけることにしよう。このまま家に籠っていても鬱々とするだけだ。
目的地の神社には一時間ほどで着いた。階段が果てしなく続いている。見る度にうんざりさせられる光景だが、この階段を昇る価値は十分にある。
頂上に着くと、身を翻して一人静かに海に沈む夕日を眺めた。参道が遠くの海まで一直線に続いている。
あの頃の僕は大切なものが奪われていた。それは命そのものだった。
本部にいた信者や会社の同僚のように、思考するのを止めることができたら、どんなに楽だろうか。流されて生きていくのも一つの手なのかもしれない。だけど小さく纏まる人生に何の楽しみを見出せというのか。
どうして、皆おかしいと思わないのだろう。
教祖の声が聞こえる。
『考えることを止めた人間に対して、特定の思想を刷り込むなんて造作もないことですよ』
同僚たちの話す内容は一字一句すべてが同じだった。彼らは指導者から聞かされた言葉をそのまま口にしていた。それが正しいのか間違っているのか考えもせずに……。彼らは自分自身や家族を犠牲にすることを厭わなかった。「会社の為」と大義名分を掲げていたが、そこに彼らは何を見出していたのか。彼らと信者との境が分からなくなる。
『洗脳なんてものは、何も宗教団体ばかりが行っているわけではありません。私が言うのもなんですが、まだ信者たちの方が優れているのではないですかね。信者の大半は悪意を持っていませんから。それに対して世間の人たちはどうでしょう。悪意を内包しているのにも関わらず、表向きは善人の振りをして生きている。より悪質性が高いのはどちらの方でしょうか』
教祖の声が頭の中で鳴り響く。
「なんだ楓月、もう来てたのか」
「家に居たくなくてさ」
「また親と何かあったのか」
「ううん、親は出かけていたから。まあ、常にいるようなものだけど」
「あのさ、楓月……」
見上げると、海斗の表情が消えて、真剣なものになっていた。
「ごめん。もう少しで楓月を裏切るところだった。絵だって無くなるわけじゃないし、それにお金に換えられる物を利用しないのは勿体ないと思ってさ。もしバレたとしても、楓月なら許してくれると思ったんだ……。情けないよな、俺」
絵蓮と対峙していた時の海斗は別人のようだった。生気がなく、あの快活だった海斗とは似ても似つかなかった。
「いいよ。気にしなくて。海斗は結局、何もしなかったし。それに助けてくれたからさ」
海斗は大事なものを持ち続けている。だから踏み留まることができたのだ。
「助けたって言っても、助けたのは船乗りたちだけどな」
あの暗闇の中、海に飛び込むなんて僕にはできない。
「そうだ。楓月、気づいてたか? あの船、最初は離れていたのに、どんどん近づいて来てたろ。あの人たち、荒木を監視してたんだってよ」
「監視?」
「ああ。いつもの場所で釣りをしようとしてたら、荒木たちに追い出されたみたいでさ。何かあると思ったんだろうな」
そうだったのか。あの人たちがいなかったら、今頃二人は……
「だけど海斗、よくあの場所が分かったね」
「それが、どういうわけか絵蓮の奴が教えてくれたんだよ。それで慌てて周囲を見回したら、二人組の男に連れられて行く人を見たからさ。もしかして楓月じゃないかと思って」
「警察を呼んだのも、まさか絵蓮?」
「いや、どうだろう。美由紀さんたちじゃないか。俺はそこまで頭が回らなかったけどな」
絵蓮がそこまでするわけがないか。後処理を海斗にやらせようとしただけだ。
「神社の祭りで偶然、会ったのは、絵蓮が教えてくれたから?」
「ああ、そうだよ。楓月、誰かに見張られているんじゃないか」
発信機を付けられた時に、それには気づいた。まさか祭りにまで追跡してくるとは思いもしなかったが。絵なんて持って来ているわけがないのに。
「それはそうと、あいつ、まだ捕まってないらしいぜ」
「あいつって?」
「荒木だよ。他の奴らは捕まったみたいだけどな」
絵蓮が警察に情報提供したはずでは……。警察が来る前に逃げ出したのか。あいつこそ捕まらなければならない人間だというのに。