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はじめに

 肩書きで自己紹介をするのは好きではありません。その前に自慢できるような経歴や資格などは持ち合わせていません。それを追い求める人生も送りたくはないと思っています。形骸化したものを書き連ねても相手には何も伝わらない。そのようなことよりも、今までどのようにして生きて来たか、そして何を考えているのか、これから何をしたいのか。そちらの方が大事になってくると思います。

 私の家庭環境は決して恵まれたものとは言えませんでした。母親は所謂、毒親と呼ばれるものでしたが、母の両親が宗教に傾倒していたことが原因で母の人格がこじれた経緯があります。母もまた被害者だったのです。私はその煽りを受けた形となりました。これらを理解して受け入れるまでには長い年月を要し、いよいよこれから母との人間関係の修復ができると思った矢先、母は癌で突然亡くなってしまいました。しかし、こればかりは仕方がないと割り切るしかありません。これが私の人生なのです。父は私が小学生の頃に家を出ています。その為、大した思い出はありません。その場に父がいるだけで重苦しい雰囲気になっていたことだけは覚えています。

 私が学校を卒業した頃、世間では氷河期と呼ばれる時期でした。家庭に恵まれた人たちは思う存分にスキルアップをすることができたので、就職することは可能でしたが、私はその立ち位置にはいませんでした。その為、そのまま社会から排斥され、日の当たらない場所で何年も過ごすことになりました。しかし私よりも酷い境遇で育った人は星の数ほど存在します。私はまだ恵まれた方と言えます。

 祖父母と両親が亡くなって以降、一人になった私は「人生とは一体、何なのか」「どうして生きて行かなければならないのか」と改めて考えるようになり、否応なく、自身と向き合うことになります。医療の仕事をしていたのも理由の一つです。表向きは善人そのものでも、裏では他人の人生を壊し、時には命を奪う。そのような人たちを何人も見てきました。それらの人間に問題があるのは言うまでもありませんが、私が恐怖を覚えたのは周囲の人たちの言動でした。加害者たちに積極的に協力して悪質な行為に走り、問題が発覚しないように隠蔽し、誰かが非難してきた時には、恫喝してでも黙らせていた。被害届を出したり、スラップ訴訟を起こしてでも、被害者を叩き潰す姿は異様としか思えなかった。

 悪質な行為は必ずしも主犯格が実行するとは限りません。主犯格は汚れ仕事を他人に行わせます。彼らは自分たちの行動を正当化する為に、周囲の人たちに嘘に満ち溢れた話を吹聴して回り、全責任を被害者に押し付ける事もしていた。学生時代にも似たような人たちはいましたが、それはまだ脳が成熟する前であり、善悪の区別も碌につかない頃の話です。成人した人間が起こしているという事実には大変驚かされたものです。新聞やニュースで見るのと、実際に体験するのとでは雲泥の差があります。

 その場にいる人たちが、目の前で起きていることに対して異常だと認識することができない。そのような奇妙な出来事を間近で見てきたのです。この体験は私の人生に強い影響を与えました。

 加害者連中の経歴や振舞いは立派なことが多い。結局は綺麗に着飾ったものばかりを見ていても、何も見えて来ないということです。

「他人から良く思われたい」「評価されたい」「立派な経歴を誇っていたい」などと思っていたら、卑怯な手を使われて功績を奪われた時、多大な精神的ダメージを受けることになります。だったら初めからそれらに価値観を見出さなければ良いのです。

 小さな頃から感じていた世間への違和感や生きづらさを解消する為。今まで多くの書籍を読んできました。知識を頭の中に入れるだけでは意味がないと感じたので、僧侶や神主を含む多職業の方々と対話を通して研鑽も重ねてきました。その体験から得たものは掛け替えのないものとなっています。参考文献として三冊取り上げましたが、厳密に言うならば今まで読んだ書籍全てであり、出会った人たち全てとなります。作品に登場する登場人物たちは個性的な面々が並んでいますが、実はそれぞれが「私」なのではないかと思っています。

 明確な答えを提示するのは好きではありません。その前に明確な答えなんてものは存在しないと思っています。自身が向かうべき先はどこなのか、何を大事にしていけば良いのか、読み手それぞれが何かに気づき、そして何かを感じてもらえたら幸いです。



参考文献

「毒になる親」

「シークレット」

「サピエンス全史」


                    著者 秋月友希


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