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第16話

 先日、彼女は人を殺した。

 彼女が殺したところを直接この目で見たわけではなかったが、そうだと思うにはじゅうぶんな時間と証拠があった。翌日現場に赴いた時には遺体はすでになく、局にもそれらしい事案は上がっていなかった。

 いわゆる手詰まり状態だった。

 オリビアはオリビアでなにかあったらしいが話そうとしない。のらりくらりと避ける始末で情報は聞き出せそうにない。

 残る情報としてはあのメモリカードとあの男くらいか。

 オリビアと親しそうに歩いていた男。

 どこかで見た覚えがあった。

 局の犯罪者リストに入っていないか調べてみるも出てはこない。

 あーくそ。

 どうしてこんなくそ面倒くさいことを。

 オリビアが話せば済むことだろ。

 先ほどの、バーンズといったか。

 あの男の勝ち誇ったような顔が浮かんで舌打ちがついて出た。

 あいつには話すのか。

 俺には目さえ合わさないのに。

 どうしてこうなった。

 俺がなにをした。

 彼女の信用に足る人間ではないのだろう。

 パソコンの向こう、オフィスの一画にはガラスを木枠で覆った個室が設けられその中に呼ばれたオリビアとバーンズがデスクに座ったボスからが指示を受けているところだった。

 その光景から目を背けるようにオフィスをすり抜けてエレベーターの中に駆け込むと光っていない上のボタンを押した。

 後ろからは舌打ちをともなった煙たい視線を向けられていたが無視をした。悪いとは思わなかった。






 犯罪分析官にはネットに関するあらゆる権限が与えられている。捜査官と連携をとり事件を解決へと向けサポートを行い、要請を受ければ銃を携帯し現場にも出動する。働く者の中には局からの逮捕を免れる代わりに仕事を提示された者が多くを占めている。刑期を終えて再び痛手を負うよりも利益があると上層部が判断し設立されたと聞いている。彼らにかかれば秘密などないに等しくその腕をもってすれば政府の情報機密さえ見れるらしい。

 だから例えば俺の問題など容易く解決できるはずだ。

「嫌だよ。だって君はこんな時しか頼みに来ないじゃないか」

 彼は嫌そうに眉をひそめると回転椅子を回してモニターに向き直った。

「ルーカス、これには捜査官の将来がかかっている」

 デスクの横に立って手をついて訴える半眼で睨んでため息を吐いていた。

「……じゃあ聞くけれど僕が君に頼み事をしたことは?」

 逡巡してみたがそれらしい答えは見つからなかった。

「だろうね。僕たちはそういう間柄であって僕には君を助ける義理はない。だって僕は犯罪分析官でこんな場所に箱詰めにされているんだから」

 ばっさりと切り捨てられてジルは二の句が告げないでいた。

 それは彼を利用しているというといいたいのだろう。

 でも、それでも、俺は彼女を助けたい。

「これは俺じゃなくてオリビアの為だ」

「オリビア、ああ君の相棒の。それなら尚のこと君がそのオリビアのために行動すればいい話だろう」

「それは無理だから言っている」

「無理? 君は捜査官だろう。内調に見張られてるわけじゃあるまいしなんのために権限が与えられていると思っているんだ」

 そこで一旦区切ると、

「……まさか内調と取引はしていないだろう?」

 とモニターから顔を上げた。

 彼のその問いには答えられずに目を逸らすことしかできなかった。

「君は馬鹿なのか?」

「頼む。ルーカス。男の身元を調べてくれないか」

「僕はそんなことをするために入局したわけじゃないし内調に目をつけられたくはない。悪いが他を当たってくれ」

 もう話はすんだとばかりに席を立って向かいの扉に足を進めた背中に言葉を投げかけた。

「わかった。なんでも言うことをきく」

「……なんでも?」

 虚ろいでいた目がぎょろりと変な動き方をしたような気がした。

「今、君、なんでもって言った?」

「……あ、ああ」

 彼女の潔白を晴らすためならなんだってしようと決めていたが上半身を前へと傾けて掬いあげるように顔を覗き込まれれば顔の近さにぎょっとして足を後ろに引いていた。

「その言葉、忘れないでくれよ」

 眼鏡の向こうで夜明け色の瞳が光に反射して鋭く煌めいた微笑に唾を飲みこんだ。

 俺は頼る相手を間違えたのだろうか。

 デスクに戻ると新たにパソコンを取り出して画面を開いていく。

「それで? 君の望みは?」

 どこまで話すべきか。この男、ルーカスウォルターは仕事の腕は一流だが少しばかり癖があると聞く。どうでもいいことならばここにはこない。これは彼女の為だと自身に言い聞かせて詰めていた息を吐き出した。

「局に登録されていない犯罪者を調べることができるか? 8日前の22時頃の三番街。交差点を右折した路地の長身の男を調べてほしいんだが」

「誰にものを言っている。交通局のカメラに入るなど容易い」面白いものでもみつけたように、にいぃっと口角を上げた。

 パソコンから壁一面に嵌め込まれたモニターに映し出される街の一画に見覚えのある男が映った。

「この男?」

「ああ」

 カメラを早送りにして映像を一旦止めて顔を線で囲っていく。

「なにをしているんだ?」

「モニターの男の顔を切り取って周辺の防犯カメラと顔写真をクロス検索だよ。まあ君に言ったところでわからないだろうけど」

「こんなものでわかるのか」

「ああ。このシステムにすべてを詰め込んだからな。僕のデータベースにはすべての人間の個人情報が入っている。こんな男造作もない」

「どうやってそんな」

「……知りたいか?」

「いや、いい」

 男の嬉々とした声を断ったところでモニターがアラームを知らせた。

「ああ。この男、ずいぶんとあくどいことをしてきたんだな。今まで捕まらなかったのが不思議なくらい。人身売買武器の密輸売春斡旋。恐喝暴行。ざっと見たところだけでこれだけヒットするとは」

「なぜ局のデータベースにはなかったんだ」

「消されてるデータだからな」

「消されてる?」

「たまにあるんだよ。不都合な事件は揉み消されることが」

 僕の前では無意味だけど。と付け加えて口元を緩ませた。

「それは誰にとって不都合なんだ」

「さあ。僕の関与するところではないから」

 モニター内の男の横には金色の髪を風に靡かせて歩く女の姿があった。ルーカスはその女の顔写真を切り取って検索し見慣れた女の顔写真と経歴がモニターに映し出されていた。

「これ、君の相棒だよな」

 ああ、この女が情報を揉み消してるのか。

 苦々しく吐き捨てたルーカスの横顔を見ているとこちらに気づいた彼と視線があって「なんだ」と嫌そうな顔を向けられ「いや別に」と端的に返す。

 この男にも局の一員としての誇りがあったのかと意外に思っていたが口にすれば不利になりそうで思いとどめた。

「君が内調と取引をしたのはこの為か」

「君、相棒を売るつもり? それとも局を裏切るつもり?」

「俺はただ真実が知りたいだけだ」

「ならなぜ彼女に直接訊かないんだ」

「それは」

「君も彼女が裏切り者じゃないかと少なからずそう思っているからだろう? だからわざわざ僕に頼みに来たんじゃないのか?」

 今の俺にはルーカスに反論できるだけの言葉を持っていなかった。

「まあ僕には関係ないけれど、良い方に転がることを願っているよ」

 気まずい雰囲気を打破するように口を開いた言葉にはあたたかみを感じ咳払いをしてから口を開く。

「それと、これも調べてもらえるか」

「これは?」

「オリビアが出てきた路地で死んでた男の服に縫い付けられていたものだ」

「わかった。調べておく」

 短く礼を述べてから犯罪分析室を後にした。

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