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第8話

「ずいぶんはやいな」

 迎え入れたバッカスからは起きたばかりなのかコーヒーの香りがした。「まあ」眠れなかったとは言えずにコーヒーを口に含むと苦さで目が覚める。

「支度を済ませるから君はそこにいてくれ」

 覚めたはずなのに階段をあがる彼に声だけで答えて眠りに誘われていたことにきづいたのは支度を終えたバッカスが呆れたように顔をのぞいてきた時だった。

「ごめんなさい、寝てたのね」

 慌てて立ち上がると目眩がしてよろけた。

「オリビア、大丈夫か?」

「ええ」

 冷静に、なんでもないように答えて彼の腕から離れる。この身体は小さくて、まるでひとりの女性のような気分になってきまりが悪い。とくに気心が知れた人物に知られたくない。服の裾を払って気持ちを整える。

「じゃあ行くぞ」

 バッカスはなんでもないように外套を羽織ると扉を開けて外に出るように促していた。

 慣れた道順で進む車にはジャズが流れて少しばかり救われる気分になる。

「途中で寄り道をしてもいいか?」

 交差点に差し掛かった時バッカスが口を開いた。

「ええ」

 彼がハンドルを握る車は所定の場所で止まると待っていてくれと言った彼に頷いて彼のあとを目で追うと窓から外を窺うとそこは花屋だった。

 店員がこちらに目を向けたのがわかった。必然とバッカスとも視線が重なったがバッカスが不自然に目を逸らしたのがわかった。それから店員と数回言葉を交わすと花を抱えて戻ってきて後ろの座席へと大事そうに花束を置いてから運転席へと乗り込んでくる。なんとなく「悪いな」バッカスの様子がおかしいような気がしたが知らないふりをして「べつに」軽く返しておいた。

 次に顔を見せたのは馴染みの酒屋だった。

 店主とフランクに話していた視線がこちらを捉えてにやりと含みを持たせて笑ったのがわかった。それは私たちの間には似つかわしくないもので反応に困って酒を見るふりをして背中を逸らしてから会計を終えるころに合わせて外に出た。

 様子が気になって付いてきたもののやっぱり車で待っておけばよかったと後悔していると少しして出てきたバッカスは心底嫌そうな顔をしていた。それは私も同じよ。

「君と歩いているとジェニファーに申し訳ない気分になる」とため息を吐いた。

 周りの目など気にならないはずのバッカスが居心地が悪そうに声をあげたのは店主から向けられた視線のことをさしているのだろう。

「私はオリビアよ。あなたとどうこうならないことくらいあなたが一番わかっているでしょう」

「ああ、わかってはいるが」

「それともあなたもこういう顔が好みなの?」

「……あなたも?」

「なんでもないわ、忘れて」

 意味に気づいて追求を逃れるように車に乗り込んでいく。これは私らしくない。今日はジェニファーに会いにいくんだからしっかりしないと。

 やがて辿り着いたのは鉄格子が囲む敷地だった。その一画で車を降りてアーチ状の鉄格子の下を通りバッカスの後をついて進む。芝生が青々と生い茂る中を等間隔に並ぶコンクリートの間を通り抜けたところでバッカスが足を止めた。

 わりと新しいそのコンクリートには名前と生存年月日が記されていてそれは数年前の今日で終わりを告げていた。

 ジェニファークレバー。それが彼女の墓標だった。

「やあジェニファー。今日は君のすきな花を買ってきた」

 花を添える。

「今日はオリビアもいる」グラスにワインを注いでいく。

 それはジェニファーが好んで飲んでいたものだった。

 ひとつはジェニファー。

 ひとつはバッカス。

 そしてもうひとつは私。

 ありがとう。断れずに少しだけ口をつけたが、喜んで飲んでいたそれはいまではずいぶんまわりがはやい。

 少しばかり足元がふらつく。

 断りをいれて車で待っていることにした。





 *




「ジェニファー」

 自身の歳の半分にも満たない少女の背中を見送って彼女に向き合う。

「彼女がオリビアだ」

「信じられるか?」

「彼女が生き返った」

「だから、もしかしたら、君もどこかにいるんじゃないかと考えてしまう。そうであってほしいと。どうして生き返ったのが君じゃないのか」と、そこまで口にして頭を振り払う。

 わかっている。

 死んだものは生き返らない。

 だからこんなにも悲しいのにどうして君じゃないのかと考えてしまう。

 君が恋しくてたまらない。

 奥歯が擦れた音がした。

 すまない、ジェニファー。

「また来るよ」口つけた手で墓標に触れる。

 見慣れた車内には見慣れない人物が乗っていた。

 少し酔ったみたいだ。すまないが君が運転してくれるかと言って座席に寝転んで答えを聞くことから逃れた。

 今はまともに顔を見れそうになかった。

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