バスを乗り継いでやってきた街の路地をいくつか曲がり坂の途中にある扉の呼び鈴を鳴らす。
少しするとロマンスグレーの襟を正した男が扉を開けた。
「なにか?」
あまり好意的ではない声を向けられる。
「私、オリビアよ。あなたの同僚のオリビアバレル。憶えているかしら?」
「誰だって?」
「だからオリビアだってば。今日は用があって、」
「なあ嬢ちゃん」低く響いた声が私の声を黙らせる。
「悪い冗談はやめておけ。私は今酷く機嫌が悪い」
「私、知ってるわ。あなた私に借りがあったはずよ」
「生憎君に借りはない」
「いいえ。私は何度もあなたの命を救ったわ」
「私と君は今日初めてあったはずだが」
「あなたがバスケスに叱られて泣いた時、捕虜になった時、親友のジェニファーをあなたに引き合わせた時」
額に銃口が当てられる。
「私は機嫌が悪いと言ったはずだ。今すぐ立ち去るか頭に風穴を開けられたいか選べ」
「98264587312。あなたの番号よ。それは私とあなたしか知らないでしょ。娘の名前を却下されてジェニファーと喧嘩した。毎週金曜日に花束を買って帰る。もちろんジェニファーのためよ。本当はコーヒーより紅茶がすき。あとはそうね。あなたはジェニファーと付き合う前にパイプカットをした。結局無駄に終わったけど。まだ信じないならあなたとの出来事を全部話してもいいわ」
額に押し当てられていた冷たい銃口が離れる。
「わかった。話を聞こうか」
私が通れるだけの隙間を開けて招き入れてくれた彼の手には銃が握られたままだった。
家の中は狭い土地に住居が乱立したせいで細長い造りとなっている。階段を横目に廊下を進み左の扉を潜れば応接用のソファーを勧められた。
「目的はなんだ?事と次第によっては君を殺すことになるが」
机を挟んだ向かいに座る彼から眼光鋭く睨まれる。腕置きに置かれた手に握れた銃の銃口はこちらに向けられたままだった。
「あなたがしたいならいいわ」
「威勢の良さは彼女そのものだな。仮に君がオリビアだとして私を訪ねてきた理由は?」
だからそう言ってるのに。
用心深さは相変わらずね。
「君はオリビアだと言うが、私は君を確かに埋葬したはずだが?」
「そうね、たぶん私は墓の下に眠ってるわよ?」
「それはどういう意味だ」
「私、ちがう人になったみたい」
何を言っているんだ。と不審な目を向けられる。
「中身は私なんだけど、身体はちがう人なの」
「すまないがもう一度話してくれないか?」
「私はオリビアで身体は知らない人なの」
「……そんな馬鹿な話があるか」
「実際おこったからこうして訪ねてきたんじゃない。私が裏付けられた証拠よ」
彼は頭に手をあててうなだれている。
「私がオリビアじゃないって言うの?」
「その見た目でどう信じろと」
「バッカス、今日はこんな話をしに来たんじゃないのよ。彼、私の相棒がどうしてあんな腑抜けた男になったのか聞きに来たのよ」
「知るかあんな男」嫌々しく唾を吐き捨てるように言い捨てて顔を顰めた。
「じゃあこう言ったら話してくれる?私今彼の隣に住んでるの」
正確に言えば私じゃなくてこの身体の持ち主が住んでただけだけど。
「彼?」
「ジルよ。ジルレネット」
「……やめろオリビア。あの男はやめろ」
「あら。やっと認めてくれたのね。私がオリビアだって」
「そんなことはどうでもいい。あの男は駄目だ。君を裏切り者だと進言した奴だぞ」
「彼がそう言ったの?」
「ああ。だから君を殺したと」
「それね、そのことなんだけど、引っかかるのよね」
「どこがだ」
「私も同じことを言われたのよ。上から。だから彼を探ってたんだけど、彼が私を裏切り者だって言うのはおかしいと思わない?」
「……それはつまり君たちふたりが嵌められたってことか?」
「そうなるわね」
これはこれはおもしろい話だなぁ。と口角を上げて銃をサイドテーブルに置くと煙草を取り出して火をつけて煙を吸い込んでいく。
「他人事だと思って」
「他人事だからな」
「だからもしその嵌めた奴を見つけたら私が殺すわ」
「今の君がどうやって殺すんだ」
「それはおいおい考えるとして、私が死んでから名をあげたのは誰か教えてくれる? バッカス」
そうだなぁ私が憶えている限りではいくつかあるが。と前置いて、「まずジルレネットだろう」と口にした。
「バッカス!」
「ああ、いや私があいつをよく思っていないことは置いてもまずあいつに話を聞くのが早いじゃないのか?お前ら仲良かっただろ」
それはそうだけど今更私がオリビアですって色々気まずい。言えるわけない。
「なんだ、なにかあったのか?」
「べつに」
「じゃあ決まりだな。こういう話は当人同士で話した方がはやい」
なにか情報があったら教えてとだけ伝えてバッカスとの話を終えた。