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第16話 意識なき行動

 目の前で起きた出来事に、呆気にとられ立ち尽くす伊舎那いざな楼夷亘羅るいこうらが矢を握り潰した事により、惨劇には至っていないものの事態は一刻を争う。というのも、ここは修練の場ではなく憩いの庭園。従って、規則を乱した者にはそれなりの罰があるのは事実。


 本来ならば、処罰を下すのは上位の大僧正だいそうじょうに限る。ゆえに、どんな事情があるにせよ、未だ修行の身である楼夷亘羅るいこうらに裁く権限ない。ところが、事態は予期せぬ方向へと進むことになる……。


「――おい、お前! ここを何処だと思ってやがる。稽古のためとはいえ、戒律を破ったのは事実。つまり俺に何をされても、文句は言えないということだよな?」

「すっ、すまない悪気はなかったんだ……」


 低く重みのある声量で話す楼夷亘羅るいこうらは、弓を放った聖人を抑え込み掌で喉を締め上げる。瞳は赤く染まり、空虚な面持ちで淡々と問いかけた風貌。身体からは闘気が荒々しく漏れ出ており、今にも殺しかねない勢いだった。


「悪気はない? なるほど、それで済むなら大僧正だいそうじょうの位なんて要らないな」

「ほっ、本当だ。今後、ここでの稽古はしない。約束は守る、だから許してくれ」


 このように圧倒する姿を窺えば、戒律を破った者は無位の修行僧。しかし、装束から確認できたのは、楼夷亘羅るいこうらよりも遥か上の位である大律師だいりっしと断定出来る。ではなぜ、反撃をして屈服させないのだろう。


 こう思われるも、理由は別にあるのかも知れない。一つは自らの行いを悔い改め抵抗しないこと。もう一つが尋常でない力で抑え込まれている。現場の状況から考えれば、この二つが大方の事情に違いない。


「許してくれだと? 貴様は何を甘えたことを言ってるんだ? 伊舎那いざなに矢を向けておいて、よくもそんな事が言えたもんだな」

「確かに……私は戒律を破り、それだけの行いをした。殺されても文句は言えないが、やらなければならないことがある」


 上位の僧に顔を近づけ、冷ややかな表情で話す楼夷亘羅るいこうら。いつもの優しく接する姿は何処にもなく、まるで性格が入れ替わったような別人。この状況に驚く伊舎那いざなは、慌てて離れた二人の元へ駆けつける。


「やらなければ? 貴様にそんな権利がどこにあるんだ。といいたいが、許してやる代わりに喉でも潰してしまおうか?」

「ぐぅぅ……喉をつぶされては指揮がとれぬ。それだけは勘弁して貰えないか。見たところ、そなたは大法師位だいほっしいに達していない伝燈止まり下位の僧。とはいえ、私を屈服させるまでの見事な力。今は無理かも知れないが、いずれ時がくれば恩返しは必ずさせてもらう。だから……見逃してくれないか」


 楼夷亘羅るいこうらは更に掌に力を込め、本当に喉を潰す勢いで首を掴む。これには堪らず、やっとの思いで息を吸込み吐きかける僧侶。


「はあ? 何を寝ぼけたことを言っている。俺が欲しいものは、伊舎那いざなの心だけだ。貴様の薄汚い恩など、俺には何の価値もないごみ同然」

「そこを何とか……お願いできない……ものか」


 やっとの思いで言葉を伝えようとする僧侶。あと数分もすれば意識を失うに違いない。やがて目はぼんやりと一点を見つめ、瞳孔が見え隠れする……。


「じゃあな、これで最後だ。自分のした罪の罰を受るんだな!」


 ――そんな時だった‼


「何をしているの――、楼夷るい! その手を放しなさい‼」


 声と同時に、突如として現れた人影。この伊舎那いざなが発した言葉に反応し、楼夷亘羅るいこうらは手を緩める。


「どうしたのよ楼夷るい、貴方はこんな事をする人じゃないはずよ」

「いっ、伊舎那いざな…………」


 伊舎那いざなの声に驚き、締め上げた掌を慌てて解き離す楼夷亘羅るいこうら。赤く染まる瞳は黒く艶やかな状態に戻り、空虚な面持ちは覇気のある顔つきへと変貌を遂げる。


「こ、これは俺が……?」


 一体どういう状況なのか、本人にも理解し難い光景。その雰囲気から窺えば、どうやら無意識のうちに行動していたようだ。


「――がはぁっ! すまない、助かった」

「いいえ、こちらこそ楼夷るいが乱暴なことをしてしまい申し訳ありません」


 その瞬間、僧侶は締め上げられた束縛から解放され、激しく咳き込みながら息を取り戻す。これにより、申し訳なさそうな表情を浮かべる伊舎那いざなは、楼夷亘羅るいこうらの代わりに深く頭を下げ謝意を示した。


「そういう事だから、楼夷るいは先に帰ってて。これ以上ここに居ても、何をするか分からないでしょ」

「わっ、分かったよ。伊舎那いざながそういうなら……」


 そう言い残し、楼夷亘羅るいこうらは背中を押されるようにこの場を去る……。


 本来であれば、弓を放った聖人に対して怒りをぶつけるのが正しい姿。とはいえ、二人が無事であったことが何よりも嬉しいのは事実。安堵の気持ちを胸に抱きつつ、姿が見えなくなるのを見届けた。


 こうして、しばらく静寂に包まれる空間の中。どうして、 楼夷亘羅るいこうらは突然暴れ出したのか、伊舎那は理解できない様子でいた…………。

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