生い立ちや出会った経緯などを語り合う二人。話に花が咲き、いつの間にか半刻もの時が過ぎ去っていた。すると――、両腕をだらりとたらし、疲れ切った顔の楼夷亘羅が元気なく現れる。
「はぁー、まさか教典を半刻も読まされるなんて、思っても見なかったよ」
「お帰りなさい。いい勉強になったでしょ」
放心状態の顔つきで、溜息混じりに呟く楼夷亘羅。首筋に手を当て、凝りをほぐすかのように左右へ揺れ動かす。
「勉強というよりも、あれは拷問だね。それよりも、どうしたの二人して?」
「楼夷を待ってる間、いろんな事を吒枳君と話していたのよ」
「楼夷? 吒枳?」
「ええ、こっちは提和・吒枳。ややこしいから吒枳君って呼んでるの」
「そ、そう…………」
「どうしたの楼夷? もしかして、楼夷亘羅って呼ばれる方が良かったの?」
せっかく伊舎那から紹介を受けるも、急に黙り込み気まずそうに沈黙する楼夷亘羅。
「いや、別に楼夷でもいいんだけどね」
「じゃあ、なんで黙ったの?」
「それは……紹介されなくても同じ|僧院の組だから姓は知ってたよ」
「なるほどね。だから先生が呼んでいても、知らない振りをしていたのね」
今までに楼夷亘羅が何度も引き起こしていた不思議な行動。ようやく事の次第に気付き、納得して何度も頷く伊舎那であった。
「ごめん、ばれちゃうと伊舎那の笑顔が見れないと思ったから」
「楼夷……」
伊舎那の喜ぶ顔が見たかった。この想いから、楼夷亘羅はずっと黙っていたという。
「だったら、こうしましょう。せっかくだから、謝罪と一緒に自己紹介というのはどうかしら」
「そ、そうだね」
伊舎那の計らいで向き合う二人。事情が事情だけに、ばつが悪いのだろう。少しの間、沈黙の状態で佇んだ。とはいえ、謝意を示すため心を落ち着かせる楼夷亘羅。吒枳を見つめ話しかけようとした瞬間――、何故か同時に言葉を放つ。
「「――あっ、あのさぁ」」
楼夷亘羅が突如として声を発したかと思うと、吒枳も同じように言葉を放つ。
「ふふっ、どうしたの二人共?」
「酷いよ、伊舎那。笑わなくてもいいじゃん」
よほど、その光景が可笑しかったのだろう。伊舎那は声を出すのを堪え、思わず吹きだした。
「ごめんね、楼夷。つい被ったことが面白くてね。だけど、そんなに考える事もないでしょ」
お腹を抱える伊舎那は、笑い目に溜めた涙をゆっくりと指先で拭き取る。
「だってさ、吒枳が酷い目に遭ったのは俺のせいな訳で。だから、なんて言ったらいいのか分かんなくて」
「僕の方こそ、はっきり言えばよかったです。そうすれば、楼夷亘羅がきつく怒られることはなかった。そう思ってたんです」
申し訳なさそうな表情を浮かべる二人。同じことを想い同様に反省していたらしい。
「ふふっ、おかしな二人。それにしても、楼夷と吒枳君はお互いの気持ををよく理解しているじゃない。じゃあ、これでわだかまりは無くなったようね」
二人は俯いた顔を上げ、改めて心の想いを伝え合う。
「ごめんな、吒枳」
「こちらこそ、すみません」
お互いを認め合い力強く握手をする二人は、今までの事がなかったかのように仲良く笑いあう。そんな些細なことがキッカケで友達となる三人。僧伽藍摩ではライバルでもあり、競い合いながら切磋琢磨して修練を行うことになる。
こうして二人と過ごしていく内、固かった吒枳の表情は次第に明るく笑顔を見せ始めた……。
◆◆◆
――そんな三人達が学びを受ける場所とは……。
そこは七堂伽藍の近隣へ建てられた僧院。武術や法術、これらの技術を学び習得する神聖な場所である。ここで無位の者達は共同生活を行い、徳の高い僧になるため過酷な鍛錬を積む。そして、人々を救うべく少しずつ高みを目指し、来世へ想いを繋げてゆく聖域ともいえた。
しかし、一概に過酷な修練場所ともいえないだろう。何故なら、周辺には庭園などの心安らぐ憩いの場もあり、緑豊かな草花や樹々が【五感】を楽しませてくれる。それは、聖職者から聖樹と呼ばれる存在である。如何にもといった大層な名前と思われるが、周りに生えた樹木と大差はない。
違いがあるとするならば、【目】を楽しませる彩り豊かな花であろう。この花は鮮やかに咲き乱れ、見るもの全てを癒して魅了する。また、ほんのり甘い蜜の香りが【鼻】を刺激し、緊張した身体を緩め心を落ち着かせた。そればかりか、美しき樹々の姿から趣ある薫りも窺える。
更に、聖樹には花の魅了からか、可愛らしい小鳥達が無数に集まり、疲れた羽をゆっくりと休める。その際に、【耳】に伝わる綺麗なさえずりの鳴き声によって、疲弊した気持ちを穏やかにさせてくれた。そして時おり吹き抜ける風が、一片の花びらを空へ舞い上げる。こうした舞い散る花吹雪は、頬を撫でゆく風と共に【肌】へ風情を伝えた。
これだけでも心を解放され、安らぎを与えてくれそうなものだが。もう一つだけ、幸せな気分にさせくれる要素が残されていた。それは樹々に宿る甘くて柔らかな実。一口食せば、【舌】から伝わる甘味が疲れた心を癒やし。二口食せば、身体の中から活力が満ち溢れる。
どうやら、その樹木には不思議な力があるらしい。これが聖樹と呼ばれる本当の所以なのかも知れない。それゆえ、無位の者達は諦めず頑張って行けるのだろう。こうした理由から安らぎを求め、庭園にはいつも人が賑わいでいたという…………。