こうした沈黙の中、ようやく今までの状況を理解したのだろう。永華は吒枳の掌に触れると、申し訳なさそうな顔つきで話しかけた。
「本当にごめんなさい、先生の勘違いだったわ。何度も叱ってしまって、吒枳君には何てお詫びをしたらいいのか……」
「せっ、先生、僕の事なら大丈夫です。誤解が説けたのなら、それだけで十分ですから」
目の前に跪き、身体を両手でそっと抱きしめる永華。その表情は先程までと違い、鬼のような形相から仏の顔つきに変貌を遂げる。そんな状況に驚きを隠せない吒枳であったが、この奇妙な一件が解決した事に胸をなでおろす。
「吒枳君は、なんて謙虚な子なんでしょう。それに比べて、いまの今まで黙っていた、こちらが本当の提和君という事でいいのかしら?」
吒枳の頬にそっと掌を当てる永華は、慈しむような表情で呟く。そして、この騒動の元凶を思い出すと、ゆっくり顔を楼夷亘羅に向けた。
「では、本当の提和さん。これから説教部屋でゆるりと、お話しでもしましょうか」
「はっ、はい、先生。お手柔らかにお願いします……」
永華はニヤリと奇妙な笑みを浮かべ、最後にぽつりと言葉を呟いた。そんな態度を見つめる楼夷亘羅は、引き攣った顔で固唾を呑んだ後、暫くして何処かへと連れていかれてしまう……。
「初めまして。伊舎那さんでしたっけ? 先程は本当にありがとうございました」
「いいのよ、お礼なんて。もっと早く、こうしていればよかったわね」
お辞儀を一回する吒枳は、誤解を解いて貰ったお礼を述べる。
「もっと早く?」
「ええ、実は前から知っていたのよ。楼夷亘羅が私のためにって、無憂樹・沙羅・蓮華。色んな種類の花を毎日、私に持って来てくれていたの。そんな事情もあってね、中々言い出せなくて……。そうしたら、今日なんか菩提樹の実までもぎ取ってきたから、このままじゃいけないと思ってね」
「なるほど、そういう理由でしたか」
「でも、だからといって、あの子を憎まないでやって欲しいの。本当は純粋無垢で優しい人、私にも原因があったのだから」
事情を聞き入れ内容を理解する吒枳。元はと言えば、そうした想いが今回の原因。自分にも少なからず責任があるのだと、切なげに話す伊舎那。
「そんな、憎むだなんて滅相もない。ハッキリ先生に伝えなかったのが原因なんですから。それに、そこまで尽くしてくれる人がいるなんて羨ましい限りですよ。僕なんて、誰かを好きになった事なんて生まれてこの方ないですからね」
「えっ、楼夷亘羅が私のことを好き? それは、ないない。 あの子は、側付きをしているだけなのよ。そんな感情なんて、あるわけないじゃない」
意味ありげな吒枳の言葉に、掌を何度も大きく振る伊舎那。少し頬を赤く染め動揺した表情を見せる。
「そうですか? 楼夷亘羅が伊舎那さんを見つめる目。どことなく、何か特別なものを感じたように思えましたが? 僕の勘違いだったのでしょうか……」
「そうよ、勘違いに決まってるわ。楼夷亘羅は少し天然なとこがあるからね。そのせいじゃないかしら」
「うーん、おかしいな? 人の感情を読み解く能力は持ち得ていたはずなのに……」
「もっ、もういいから、その話はよしましょう。ところで吒枳くんがいいのであればね、この機会に友達にならない?」
不可解な面持ちで、何度も首を傾げる吒枳。幾度となく繰り返す言葉に、伊舎那は顔を赤らめ別の話題にすり替える。
「はい、別に構いませんよ。ですが根暗な僕といると、他の僧院生から除け者にされるかもしれません。それでも良ければ大丈夫です」
「もちろんよ。私や楼夷亘羅は、そんな事なんて気にしないからね」
「なら良かったです。では改めて、僕の名前は、吒枳といいます。どうぞよろしくお願いします」
「私の名は、伊舎那よ。こちらこそよろしくね。じゃあ、せっかく友達になれたんだし、親しみを込めた名前で呼び合わない?」
「そうですね」
「だったら、私が勝手に決めちゃってもいいかしら」
「はい、お好きなように」
「じゃあ、遠慮なく決めちゃうね。えっと、楼夷亘羅はこの際だから楼夷でいいとして。吒枳くんも……そうねえ、いっそ二人共名前で呼んじゃいましょうか」
深く考えることもなく、伊舎那は独断と偏見で一方的に決める。
「はい、僕はそれで大丈夫です。その方が、今回のように間違いがなくていいですからね」
「それもそうね」
「ですが、楼夷亘羅さんに事情を説明しなくてもいいのですか?」
「大丈夫よ、私の言う事なら何でも聞くから。じゃあ、それで決まりね」
満足げに語る伊舎那。楼夷亘羅の許可を得ることなく、勝手に決断するのであった…………。