少し離れた場所から、指導者の永華が呼びかける光景を眺める二人。やがて、その傍を心地よい風が吹き抜け同時に見習いの僧院生も通りかかる。
「おや、先生? そんなにも血相を変えて、どうされたんですか?」
「はあ? どの口がそう言っているの。どうしたかの前に、まずはごめんなさいが先でしょ!」
「えっ、なんで僕が謝らないといけないのですか?」
「なんで? それはあなたが蓮華の花をむしり取ったからよ」
少年の名は【提和・吒枳】といい、怒られた意味が理解できず首を傾げながら問いかける。ところが、永華は事情を確認する事はなく、感情を露わにさせ突然にも怒り出す。始末。
「――せっ、先生! ちょっと待って下さい。それは僕じゃないです」
「僕じゃないですって? そんな事を言っても無駄よ。その状況を見た子がいるんだから」
「だけど先生。僕は今さっきまで、書庫の中で本を読んでいたんですよ」
「本? だから何度も言ってるでしょ、生徒に聞いたんだから間違いないわ。『提和君が悪戯してました』って、言ってたもの」
威圧的な態度で迫られ、後ろへ仰け反り小さな声で呟く吒枳。弁明にて理解を求めようにも、反論の機会さえ与えられない。さらに永華は、仁王立ちで構え大きな声で睨みつける。
「えぇーー、そんなぁ……」
「――で、どうなのよ!」
情けない声で言葉を発する吒枳。理不尽ではないのかと、掌を小さく広げ主張してみせる。しかし、そんな事情など知る由もない永華は、憤怒の面構えで真相に迫る。
「すみません、先生。僕がやりました……」
「ほら見なさい。噓などつかずに、最初からそういえばいいものを。じゃぁ、こっちにいらっしゃい。今日という今日は許しませんからね」
自分ではないと切実に訴えかけるも、信じてもらうこと叶わず沈黙の時は過ぎる。けれど、結局のところ気が弱かったせいもあり、吒枳は遂に犯行を認めてしまう。
こうした結果に、満足げな表情を浮かべる永華は、意気揚々と吒枳をどこかに連れていこうとする……。
「楼夷亘羅……もしかして、この蓮華の花って?」
「えっ、何のこと? 俺は池に落ちていたのを拾っただけだよ……」
俯く吒枳を連れて、二人の横を通り過ぎていく永華。嫌な予感がした伊舎那は、咄嗟に手に持つ蓮華の花を後ろへ隠す。そして、少し間を置き事実を楼夷亘羅へ尋ねてみるも、目は泳ぎ落ち着きない様子。
「はぁ……反省の余地なしって顔をしてるわね。まあいいわ、だけどあの子には後でちゃんと謝っておくのよ」
「はぁぃ……」
伊舎那は呆れた顔つきで、今回だけは黙っておいてあげる。そう伝えると、楼夷亘羅は小さな声で頷いた…………。
◆◆◆
――ところが、次の日も再び甲高い声が晴天の空に響き渡る。
「提和――‼ ったくもうー、提和は何処にいるの?」
「はい、先生。今日はどのようなご用件でしょうか」
前日同様に、既視感のような光景。そこに再び、何も知らない吒枳が訪れ、指導者に何事かと問いかける。
「どのようなご用件? なるほど、自分じゃありません。そう言って、あくまで白を切るつもりね」
「白を切る? とは、どのような意味なのでしょうか?」
両腕を組み、まじまじと見つめる永華。一体、指導者は何を言っているのだろう。状況がいまいち理解できないでいた吒枳。しばらく掌を胸へ当て身の潔白を訴えかける。
「なるほど、またそうやって噓をつこうとするのね。じゃあ、『提和君が菩提樹の実をもぎ採ってました』このように、生徒から聞いた私の耳が勘違いだった。あなたは、そう言いたいのかしら?」
吒枳の言葉を受けた永華は、自らの耳に指先を三度ほど触れ覗き込むような素振りをみせる。
「はぁ……またですか」
「まっ、またとは何ですか! 少しは反省というものをしたらどうなの!」
溜息混じりに浮かない表情でそっと呟く吒枳。今回も同じように何を言っても駄目に違いない。半ば諦めかけ永華と共に、その場を去ろうとした。
その瞬間――、突如として行く手を遮る伊舎那。
「指導員の先生! 突然目の前に現れて、大変申し訳ありません。私の名は伊舎那。これでも一応、大法師位の地位を持っており、今は大律師様の元で修行に励んでおります」
「――いてて! ちょ、ちょっと待ってよ、伊舎那」
過ぎ去ろうとした永華を呼び止める伊舎那。嫌がる楼夷亘羅の手を引き、指導者へ語りかける。
「その歳で大法師位の地位とは優秀ですね。ところで、伊舎那さんでしたかな? 私に何かご用でしょうか」
「はい。先生が手にしている沙弥の名前は、『提和 吒枳』こっちにいるのは、『提和 楼夷亘羅』お探しの腕白小僧は、こちらの提和だと思います」
突然の自己紹介に驚く永華は、不思議そうな面持ちで上から下まで容姿を確認する。それに伴い、どうして不意にこの場へ現れたのかと、事の次第を詳しく説明する伊舎那。
そして沙弥とは、見習いの僧である少年や少女のことを呼び。男性であれば、先ほどのように沙弥といい、女性ならば沙弥尼というらしい。
「そっ、そんなぁー、酷いよ伊舎那」
「何を言ってるの、自業自得というものでしょ。悪いことをしたら罪を償う、僧院でそう教わらなかったの」
その場に連れて来られ、引き攣る表情を浮かべる楼夷亘羅。永華の顔を一瞥すると、気まずそうに俯き黙る。こうして今までの事情を話し、伊舎那は身柄を指導者へ引き渡す。
「そういえば……あの子達も、提和 楼夷亘羅と言っていたような気もするわね。という事は、もしかして……?」
「はい、僕じゃありません」
過去の情景を思い返す永華は、そっと吒枳の体に触れると申し訳なさそうな顔を浮かべるのであった…………。