「なるほど、そう言う理由だったのか。だったら尚更、伊舎那一人で大律師達の側付きなんて大変だよな?」
「そんなことはないわ。私一人じゃなく、蘇摩という女の子もいるの。それに他にも側付きの人はいるから大丈夫よ」
では、どうして位を得た大法師位の者が側付きをしているのだろう。それは単純な理由からで、自らが志願して行っていたという。志願者は四人おり、大律師一人につき、大法師位一人が身の回りの世話を行うらしい。だが伊舎那だけは、その者達よりも更に上の位。大僧都の堅牢に従え僧職をこなしていた。
とはいえ、こうした事は苦労ばかりではなく利点もある。何故なら、大律師達から詠唱や技の使い方について修行を受けていた。その中で学べる事は沢山あり、苦と思った事は一度もないという。
「――本当か? それなら良かったよ。なんか辛い顔をしていると、見ていて胸が苦しくなるからな。だからさ、伊舎那が笑っていると、俺も安心する」
「そうだったのね、気にしてくれてありがとう。私も同じ気持ちよ。嫌なことがあったとしても、楼夷亘羅の顔を見ていると落ち着く気がするわ」
「そっ、そうか。じゃあ、なにもない時はなるべく伊舎那に顔を見せるようにするよ」
「ふふっ、ありがとね。でも、無理はしなくていいのよ。寄れる時だけでいいからね」
自分のことを必要としてくれる想い。こうした一生懸命に取り組む姿が何よりも嬉しかったのだろう。伊舎那は胸に手を当て、満面の笑みで言葉を返す。
「それにしても、なぜそこまでして上を目指すんだ。急がなくても、今のままで十分じゃないのか?」
「それはね、身寄りのない私をここまで大きく育ててくれた人がいるからよ。その方と同じようにね、誰もが幸せに暮らせるよう導いて行きたいと願うからかな」
「えっ、伊舎那って、身寄りがなかったのか?」
「そうよ。今があるのは、こんな私に手を差し伸べてくれた恩師のお陰。数年前までは、引退しても僧伽藍摩で指導者をしていたのよ。でも突然、姿を消していなくなってしまったわ。だから今は、何処でどうしてるのかさえ分からない」
「そうか……色々と大変だったんだな」
「ええ、でも私は諦めないわ。恩師が目指した平和な国を築き上げるまではね。そしていつの日か、全ての人々を救えるような立派な大聖になってみせる」
遠くの空を見つめ語り掛ける伊舎那。それは、少しでも恩師に近づきたいという想いだった。いつか自分の手で、この世を安寧に導き恩返しがしたい。そうで願い、寝る間を惜しんで修練に励んでいたという。そんな唯一の休息といえば、心寄せ合い楼夷亘羅と共に過ごす安息の日々。
「それなら俺が代わりになってやるぞ! そうすれば、伊舎那が辛い修練なんてしなくてすむだろう」
「ふふっ、楼夷亘羅が私の代わりに?」
楼夷亘羅は自らの胸を軽く叩き、任せろとばかりに真剣な表情で想いを伝える。そうした心の優しさに触れる伊舎那は、口元に掌を当て薄っすら微笑む。
「あぁー、またそうやって馬鹿にして笑う」
「馬鹿にしてないわ、気のせいよ…………」
楼夷亘羅の呟きを軽く受け流す伊舎那。けれど、気持ちが込められた言葉はとても嬉しく、今まで一人で頑張ってきた想いが胸に込み上げたに違いない。だからなのか、薄っすら目に涙が溢れ出し、慌てて指先で拭い去ろうとした。
「やっぱり笑い泣きしてるじゃん」
「だから気のせいだって」
このようなやり取りの中、しばらく和やかに笑い合っていた二人。すると――、遠くの方から指導者の呼ぶ声が聞こえてきた。
「――提和。提和は何処にいるの。――早く出てきなさい‼ 今なら特別に許してあげてもいいから」
周辺に大きな声で呼びかける女性。その名は少僧正の位を持つ永華といい、僧伽藍摩にて指導を行う教職員。だが、声量から察するに、ただでは済まされない雰囲気である。
「どうしたの楼夷亘羅? 先生が呼んでいるみたいだけど、行かなくてもいいの?」
「うん。ヘーキヘーキ」
のんきに構え落ち着いた様子の楼夷亘羅は、陰から永華の状況をそっと窺う。しかし、なぜ名前を呼ばれているのに出ていかないのだろうか。伊舎那は不可解に思ってはみるものの、同じように傍で見つめていた…………。