東の空が赤く染まる頃、デイヴィットは顔を上げた。
あの後桐原に連絡を入れ、市街地に一番近い惑連の関連施設にヘリコプターの着陸地点を変更し、人質及びその関係者への対応を引き継いだ。
その後この部屋に転がり込むように戻って以来、王樹はスミスの処置で付きっきりになっている。
自分が『ヒト』の表面上の強さを過信したせいだ。脆さと言う物をもっとよく理解していれば、少なくともこのようなことにはならなかったはずだ。
その言葉が幾度となく、デイヴィットの脳裏に浮かんでは消える。
虚ろな視界の先に引っ掛かってきたのは、スミスが常に持っていた、あの端末機だった。
無意識の内にそれを手元に引き寄せ、立ち上げる。何をどういじったのかは、定かではない。が、彼が気付いた時、画面上には一人の女性が写しだされていた。
彼女の持つ鈍く輝く硝子色の瞳に見据えられ、デイヴィットは言葉を失っていた。
──……この回線に接続できるのは、情報局の許可を持つ者に限られます。データベース上に貴官の登録は認められません。速やかな切断がなされなければ、しかるべき処置を取ることになります──
端正だが無表情な顔に、淀み無い言葉。そして彼女が身に付けている軍服の肩口には、硝子の目を持つ鋼鉄の鷲の徽章。
それらの情報から、デイヴィットは彼女が自分と同じ『Doll』であることを理解した。
シリアルIDは〇二一・〇一四。階級は確か少尉で、役職は特務本部専任……主席技術士官付。つまりつながった先は、情報局の『特務』を統括する場所だ。
偶然のいたずらに感謝し、彼はあわてて言葉をついだ。
「自分は仮登録シリアルID〇二一・〇・〇二一。状況はマルス及びフォボスでの試用です。あの……」
──声紋及び顔面骨格パターン照合、確認しました。〇二一・〇・〇二一中尉待遇、試用登録任務中に当局との接触は禁止されていることは、ご存知ですか? ──
どこかスミスの語り口に似た平板な口調で告げる彼女。取り付く島も無いところを、デイヴィットは必死に食い下がる。
「ですが、緊急事態なんです。至急ᒍ……主席技術士官殿に取り次ぎを……」
──先刻申し上げた通りです。これ以上の接続は……──
──どうした、レディ? 何かあったのかい? ──
聞き覚えのある声が、女性の言葉を遮った。しかし彼女はまったく表情を動かす事はない。
──少々、失礼いたします──
言い残し、彼女は画面から姿を消す。
どうやら向こう側で、何やらやり取りをしているようだった。
待つこと、数分。
画面に現れたのは、褐色の肌に癖毛の白髪頭の
そう、デイヴィットが初めて出会った『人間』、ジャック・ハモンド、通称ᒍである。
──どうした、デイヴ。そんな情けない顔をして──
柔和な笑みと優しい言葉を投げ掛けられて、デイヴィットは返す言葉に詰まった。気の弱いヒトならば、涙をこぼしているところだろう。
が、この機会を逃しては、永遠に事実を直接伝えることはできない。
意を決して彼は両手を握りしめ、『生みの親』に向かい切り出した。
「申し訳ありません。自分は貴方のご期待に応えることができませんでした。そればかりか、ご友人の少佐殿を巻き込んでしまって……」
──妙なことを言って……。エドがどうしたんだ? ──
尋常ではないデイヴィットの様子に、ジャックはわずかに身を乗り出す。
その視線を受け止めることが出来ず、彼は反射的にうつむいた。そのまましばし重い時間が流れる。
──本当にどうかしたのかい? お前さんの性格は、陰気にしたつもりはないぞ? ──
「けれど、自分は、ᒍ……貴方のご友人を……」
「規約違反見つけた。何、自分から泥沼に足突っ込んでるの?」
前触れの無い第三者の声に、デイヴィットはあわてて振り向く。果たしてそこには、苦笑を浮かべた王樹の姿があった。
「ですが、研究員殿……どうしても自分の口から事実を伝えたくて……いえ、伝えるべきだと……」
その言葉に、王樹はあきれたように表情を浮かべながらため息をつく。
「それで、ᒍとの直通回線開いたの? それだけの根性があるなら、自分の目で確かめてみなよ」
「え……?」
驚くデイヴィットに、王樹は更に続ける。
「だから、エドに会って来なよ。大丈夫、この程度の違反なら、ᒍがチャラにしてくれるだろうから」
言いながら王樹は片目をつぶってみせる。そして、スミスがいる寝室を指さした。
不安気な顔でその場を立ち去ろうとするデイヴィットに、王樹は言った。
「あ、回線はそのままでいいよ。僕もᒍに伝えたいことがあるから」
デイヴィットが声を上げる前に、王樹は勝手にジャックと話を進めている。
取り残されたデイヴィットは、恐る恐る寝室へと向かった。
※
閉ざされた扉の前で、ためらうことしばし。
大きく息をつき覚悟を決めてから、デイヴィットは扉を叩くものの、予想通り返事は無い。
「失礼します……」
かすれた声でそう言いながら、彼は扉を開いた。
室内には、点滴や酸素マスクといった医療器具の
では一体どうやってスミスの処置をしていたのだろう。
疑問に思いながら、彼は扉を閉めるためベッドに背を向けた、まさにその時だった。
「……作戦立案とその実行力、及び現場での判断力は、まったく問題はない。しかし、状況証拠から現状を推測する能力に関しては、まだまだ調整する必要がありそうだ」
聞こえるはずの無い声が、デイヴィッドの耳朶を打つ。驚きの表情を浮かべ、彼は振り返る。
その様子にベッドに横たわるその人は、低く笑った。
「……少佐……殿?」
唖然とするデイヴィットに、スミスは更に笑う。そして、あきれたようにこう言った。
「どうやら、本当に気付いていないようだな。もっとも、スクラップ同然の私の記録など、最新型の君に入っていなくても不思議ではないが」
言葉を失うデイヴィットの前で、スミスは半身を起こす。
その顔には、『ヒト』ではあり得るはずのない、硝子色に輝く双眸があった。
「……貴方も? ならば、どうして……? 自分が感知できる範囲内で、稼働している『Doll』は、一体も……」
「それは、一から人の手で造られた、君と同じセカンド・ナンバーの話だろ? 脳死体をベースにしたファースト・ナンバーは、感知できない。違う?」
いつしか背後には、笑いを噛み殺したような表情を浮かべた王樹が立っていた。
スミスと王樹。双方の視線を痛いほど受けながら、デイヴィットは得られた情報を再分析し、ようやくある結論に至った。
現存する最古の『Doll』。彼らの中でもっとも高い階級にある存在、それは……。
「……No.5少佐殿……」
ようやく解答にたどり着いた『後輩』に、No.5……シリアルID〇一二・〇・〇〇五は苦笑を浮かべた。
「だから前にも言っただろう? 役目を終えれば、有無を言わさず処分されるのは、私も同じだ、と」
「もっともエドの場合は、ᒍが絶対に首を縦に振らないだろうけどね」
そう茶化して言う王樹に、No.5は常と変わらぬ皮肉混じりの口調で応じた。
「私は、保存溶液の中でもがき続ける過去の遺物だ。……こんな形で役に立つとは、思っても見なかったが」
「……では、今まではどうして……? 生体反応は、確かに感じられなかったのに……」
未だショックから立ち直れずにいるデイヴィット。
ついに王樹は、我慢しきれずに吹き出していた。
「自己修復機能が働いていたんだよ。ま、エドの場合は、ダメージ部分の痛覚を切り離す程度のことしかできないけど」
「……はあ……」
知らなかったのは自分だけ、と言うわけだ。
騙し討ちにあったような思いに捕らわれて、デイヴィットは深々とため息をつく。そして、いつの間にかベッドの端に腰を降ろしている王樹に尋ねた。
「じゃあ、サングラスの差し入れは一体どういう意味だったんですか? そろそろ限界とか……」
「君と違って、あまり長時間カラーコンタクトレンズを付けっぱなしにできないからさ。片腕が使えない状態じゃレンズの交換は難しいし、裸眼でいたらすぐにバレちゃうだろ?」
第一僕は一言もエドが人間だとは言ってないよ、と、悪びれもせず言う王樹。
言い難い表情を浮かべながら言葉もなく立ち尽くすデイヴィットを無視し、No.5は王樹に問うた。
「ところで、研究員殿。お願いしていた件は……」
「ちょうどデイヴが直通回線を開いていてくれたから。早々にᒍに報告しといたよ」
そのやり取りに、思わずデイヴィットは身を固くした。その内容は、彼自身の『合否判定』に他ならないからだ。
その様子にNo.5は、あっさりと言った。
「安心したまえ。少なくとも君が持つ能力は、私のそれを遥かに超えている」
しかし、その言葉が何を意図しているのか理解しかねて、デイヴィットはきょとんとして首を傾げる。その様子に、再び王樹は笑いの発作に襲われていた。
「ちょ……大丈夫? 本当に調整し直してもらった方がいいんじゃない?」
「ですが、一体……」
「合格だよ、合格。あの状況から一気にひっくり返したんだから、誰も文句の付けよう無いじゃない」
ようやくそれだけ言うと、王樹は溢れてきた涙を拭い上半身を折り曲げて笑い続ける。
課題をクリアしたという安堵感より、ペテンにかけられたような思いに捕らわれて、デイヴィットは複雑な表情を張り付けたまま、王樹とNo.5とを見つめていた。