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第7話 作戦決行

 細かい砂煙が舞い上がる。

 その原因は、目前に鎮座しているヘリコプターだった。ほぼ長方形をした鋼鉄の塊は、曇り空にも似た色にカモフラージュされている。

 大地と水平に配された二つのプロペラは、規則的に鼓膜を叩くような轟音を立て、乱暴に空気をかき回していた。

 わずかに離れた所に、一人の男が立っていた。風に乱れる髪を直そうともせず、青ざめた顔でこちらをみつめているのは他でもない。運悪く巻き込まれてしまった桐原だった。

 おそらくこの人も、惑連に入局した当時は夢と希望に溢れ、故郷のために働くことに大きな喜びを感じていたのだろう。

 その複雑な心中をおもんばかって、デイヴィットは頭を揺らす。が、今はそんな感傷に浸っている時間はない。

「……お待ちしていました。ご希望の物は、あらかた揃えたつもりです。これでよろしいですか? 確認をお願いします」

 硬い声で、桐原は告げる。

 一つうなずくと、デイヴィットは万一の時に備え、充分に警戒しながらヘリコプターに近付く。

 そこに待機していたのは、乗務員二人が搭乗した、最大三十人まで乗ることができる惑連軍の主力輸送ヘリコプターである。

 もちろん人を乗せるのは帰り道だけなので、行きは空気を運ぶことになる。しかし、それではあまりにももったいない。

「……機関銃に光線銃、レーザーライフル。念の為、防弾チョッキも。機体に装備されている機関砲も、すべてフル充填されています。あと、ミサイルが二門……」

「自動目標追尾可能の物ですね?」

 すべて、朝方の電話でデイヴィットが用意するよう依頼ていた物である。

 確認するデイヴィットに、桐原は力無くうなずいた。しばしの間、デイヴィットは火器の山を見つめていたが、おもむろにレーザーライフルを取り上げると、それをスミスに向けて差し出した。

「少佐殿は、これを。何より発射時の反動が無いので、お体には障りません」

 一瞬の沈黙の後スミスはそれを受け取り、すぐに構えられるように背負う。そして、わずかに唇の端を上げた。

「良ければ銃も貸してくれないか? 何よりこれでは、小回りがきかなくて困る」

 この期に及んでまで、この人は接近戦をするつもりなのだろうか。

 その言葉に、ややためらったデイヴィットだったが、しぶしぶながら一丁の光線銃とエネルギーパックを差し出した。

 理由は他でもない。言いくるめるだけの話術と時間がないと判断したためである。

 そうこうするうちに、操縦士が窓から顔を出し、出発時間が迫っていることを告げた。

 うなずいて返すと、デイヴィットとスミスはヘリコプターへと向かう。

「あ……あの……これで、この件で、私のことは……」

 この時とばかりに叫ぶ桐原に、デイヴィットは向き直った。

「先ほどお約束した通りです。自分達はマルスにも、フォボスにも、テラの本部にも……」

「ただありのままを報告するだけです。作戦に対して協力してくれた、と」

 やや毒を含んだスミスの言葉に、桐原は不安げな表情のまま口を閉ざす。

 が、それが今回の取引条件だった。

 今の桐原氏に残された道は、ただ一つ。デイヴィット達が籠城している自称M.I.B.を制圧後、人質となっている人々を残らず無事に助け出し、このヘリコプターに乗せて何事もなく帰還することを祈る、これだけである。

 が、そのような桐原の心の内はいざ知らず、期待をかけられている側は早々にヘリコプターに乗り込んでいた。

 感傷などという余計な感情は元よりデイヴィッドには存在しない。

 次第に大きくなるプロペラの音と共に、鋼鉄の長方形はふわりと垂直に浮き上がる。宙港の上空を大きく旋回してから、それは彼方へと消える。

 あとに残された桐原は、完全にその姿が見えなくなるまで呆然としながら見送っていた。


      ※


 離陸してから三十分くらいたった辺りから、眼下に広がる景は建ち並ぶビル群から広大な農場へと一変した。

 しかし、強化ガラスで四方を囲まれ商品作物を生産する農場は、農地と言うよりは工場と言う方がしっくりくる。

 二十四時間、三百六十五日、コンピュータで日照時間、気温、湿度、養分、水分を管理された中で生産されるそれは、もはや『作物』ではなく『製品』である。

「……に、しても、味のほうはどうなんでしょうかね」

 ライフルや銃を一丁ずつ確認しながら、デイヴィットは言った。その手がわずかに震えているのは、機体を伝わってくる振動だけが原因ではない。

『造りモノ』とは言っても、デイヴィット達Dollが不死身という訳ではない。動力を制御する頭部プログラムチップや、動力源である胸部小型原子炉を破壊されれば、確実に終わる。

 桐原が用意してくれた防弾チョッキを着込んではいるが、どこまで耐えてくれるか定かではない。最悪胸部を撃ち抜かれた場合、当たりどころが悪ければ小規模な爆発が起きる可能性もある。

 そんなことになれば事態を収拾するどころか、拡大してしまう。だからこそ、こんな所でおしまいにする訳にはいかないのだ。

 果たして、そのデイヴィットの思惑を、得体の知れない試験官氏はどのように判断しているのだろうか。

 手にしていたライフルを下ろしながら、デイヴィットはその表情を盗み見る。しかし、これまでと同じく、サングラスによってそれを計り知ることはできなかった。

「旋回します。ご注意ください」

 その時、パイロットが叫んだ。

 程無くして機体は大きく傾き、デイヴィットはあわててシートに手をかけ体勢を立て直す。

 と、突然闇の中から光の点滅が浮かび上がる。

「前方、未確認建築物より発光信号です」

 鋭いパイロットの声が、機内に響く。

 デイヴィットは思わず身を乗り出して、操縦席の背もたれに取りついた。

「解読できるか?」

 相変わらず冷静なスミスの声が、高揚したデイヴィットを引き戻す。視線を凝らして、デイヴィットは光の点滅を見つめ、噛みしめるように口を開いた。

「……コノ度ハ惑連ノ寛大ナ配慮ニ感謝スル。貴君ノ善戦ヲ祈ル……。以上です」

 返信しますか、とは口に出さず、デイヴィットはスミスを顧みた。

 わずかにずれたサングラスを人差し指で直しながら、決断を迫られた側は薄笑いを浮かべる。

「まあ、最低限の礼儀を尽くす程度で良いだろう。今後のことを考えると」

「英断ニ感謝スル。フォボス及ビマルスノ和平ヲ切ニ願ウ。このぐらいでいかがですか?」

 無難だな、とスミスがうなずくのを確認してから、デイヴィットは副操縦席に潜り込み、ライトのボタンを操作する。その視界の先には、以後見ることはできないであろう敵の本部がある。

「……ついでだから、一発ミサイルを撃ち込んでおきたい、とでも言いたげな顔をしているな」

 投げかけられたスミスの言葉に、デイヴィットは思わず振り向いた。

「……そりゃ、そうですよ。こんなに無防備な横っ腹を見せつけられているんですから。ですが……」

「それなりの打撃を与えることはできても、遠からずこの星は血に染まる。手始めはさしずめ、占拠されている紅リゾートかな」

「……理解されているなら、なぜそんなことを?」

「確認しただけだ」

 が、そう口にしながらも、スミスは悪びれる様子はない。

 そんなやり取りをするうちに、機体は大きく西に旋回し、ダミーから本来の目的地へと向かう。

 落ち着け。そう自らに言い聞かせながら、デイヴィットは大きく息をついた。


     ※


 窓の外には、無数の光が瞬いている。無為に資源を食いつくすだけで、暖かみなど微塵にも感じさせない人工的な光が。

 そして、夜と言う名の安息を忘れた人間達は、寸暇を惜しんで動き回っているのだろう。

 人間が炎を手に入れたのは、落雷や火山の噴火等々、自然災害による偶然がきっかけになったと言われている。突然目の前に現れたそれを、彼らは神聖なものとして崇め奉り、絶やさぬように苦心したと考えられている。

 その神聖な物が、今では簡単に作り出す事ができる。それこそまったく苦労もせずに。

 果たしてそれは、人間にとって『幸運』なことだったのだろうか。

 そして、人間はどこまで『自然の摂理』と呼ばれる神秘の領域に、土足で足を踏み入れるのだろう。

 窓に映る自らの顔に、王樹は苦笑を向ける。こんなことを考えている彼自身が、既に『そこ』へと片足を踏み込んでいるのだから。

 苦笑いを浮かべたまま、王樹は腕時計に目をやった。今となっては唯一の生命線と言ってもいいそれに。

 機械的に時を刻み続けるそれを見つめながら、王樹は再び思考の波へと身を委ねた。

 何故自分は、『彼』を信じようと思ったのだろうか。初対面かつ、厳密に言えば『生命』を持たない『人形』である彼を……。

「先生。時間切れだ。早いところ食堂へ戻ってくれ」

 不意に、答の出ない思考は途切れた。

 背後からかけられた無粋な声に、王樹は大げさに肩をすくめて見せる。

 黒の目出し帽を被りレーザーライフルを構えた見るからに怪しい男が、いつの間にかそこに立っていた。

 不機嫌な男を挑発するかのように、王樹は振り向くことなく、ひらひらと手を振った。

「了解。でも、何もそんなに急ぐ事はないんじゃない? ぱっと見た限り、命に関わる重病人はいないみたいだし」

 それは、不幸中の幸いと言って良かった。

 万一、動かせない状態の人間がいればこの計画は実行不可能だ。

「先生、あんた本当に医者かよ? 格好といい、その言い種といい……。重病人を出さないためにも、あんたらは危険を犯してここに来たんだろ?」

 無論、重病人の発生は敵にとっても望まないことではある。予想通りの男の反応に、暗がりで視界がきかぬのを良いことに王樹は薄笑いを浮かべた。

 ありがたくも、あんたらの尻拭いをするために、わざわざ出向いてやったんだよ。

 心中でそう嘲笑いながら。

 が、それを収めると澄ました表情で王樹はようやく振り向いた。

「失敬。じゃ、ありがたくも皆様の崇高な使命のお手伝いをさせて頂きますか。改めて」

 大量に毒と皮肉を含んだ言葉を吐き出してから、王樹はにっこりと笑う。

 対して男は忌々しげに舌打ちをする。まさにその時だった。

 かすかに分厚い窓が振動する。それは確実に大きく、そして次第にはっきりとしてくる。

 同時にばらばらという規則正しい音が近付いてきた。闇の中から響いてくるそれは、紛れもなくヘリコプターのプロペラ音だった。

「……な……っ!」

 想定外の出来事に、男は茫然と立ち尽くす。

 彼方からの機影が、次第にはっきりとしてくる。

 窓の外の暗闇を、オレンジ色の光が切り裂いた。防衛のために彼らが仕掛けていた自動発射式の地対空ミサイルが、獲物に向けて放たれたのだ。

 光の筋が放物線を描き、中空で鮮やかな光と炎の花が咲く。

 目の前で一体何が起きているのか理解できず、あんぐりと口を開けたままの男に対し、王樹は迅速に動いた。

 逆光の中、王樹は身を屈めると、男に向かい突進した。無防備なそのみぞおちに右膝を叩きこみ、ショックでバランスを失った男の襟首に組んだ両の手を力の限り振り下ろす。

 無機質な音が廊下に響くと同時に、男は床に倒れた。

 その手を離れて転がった機関銃を、王樹は肩で息をしながら拾い上げる。

 男が完全に失神しているか確認すると、王樹は銃を背負い窓に向かい敬礼した。

「及ばずながら、僕も何とかするよ。エドにこれ以上無理させる訳にはいかないからね」

 言い残すと、王樹は闇の中へ消えていった。


     ※

 至近距離で何かが破裂する。

 目映まばゆい光の洪水の中で、武骨な機体は激しく左右に揺れる。

「地対空ミサイルです! 発射方角は目的地周辺!」

 副操縦士が叫んだ直後に、今度は直下からの振動が襲う。幸いにも、敵の照準は微妙にずれているようで、放たれるミサイルは、いずれも機体からやや離れた所で爆発を繰り返している。

 必死に姿勢を保とうとするデイヴィットに対し、スミスはやはり冷静だった。

「熱源反応はいくつだ? 場所の細かい特定ができるか?」

 その声に、デイヴィットは不気味に浮かび上がる目標を見つめる。

暗視モードに切り替えられた視界には、いくつかの緑色の物体が浮かんだ。

 すぐさまその形を分析し、それが排除すべき目標であると確信した。

「正面玄関付近と、職員通用口。そして屋上ヘリポート近くにそれぞれ一つずつ。いずれも無人式と思われます」

「最後が一番厄介だな。地上の二つはミサイルで片付けるとして、屋上を着陸に支障ないよう排除することは、可能か?」

「ヘリ搭載の機銃で可能です。まもなく射程距離に入りますが」

 スミスがうなずくのを確認してから、デイヴィットはまず、ミサイル発射制御装置に取りついた。

 先ほど割り出した熱源反応の座標値を、間違わぬよう入力する。刹那、ヘリコプターの機体が安定した所を見計らい、デイヴィットは発射ボタンを押した。

 ヘリコプターの左右に搭載されたミサイルが、光をまとい離れていく。

 その軌跡を見やりながら、今度は機銃の狙いを定め、力強くトリガーを引いた。無数の火花が周囲に散り、程なくして前方に火柱が上がる。

「目標、オールクリア。これより接近します」

 緊張した操縦士の声が、規則的にリズムを刻むプロペラ音に割って入る。

 ふと、デイヴィットはスミスの様子を盗み見た。決戦を目前にしているにもかかわらず、その顔にはいつもの斜に構えた笑みが浮かんでいる。

 無論、レーザーライフルはいつでも使用できるよう、無傷な右腕で支えられている。

 安堵と呆れが入り交じった表情を浮かべながら、デイヴィットは突入後両者をつなぐ唯一の命綱となるインカムの無事を確認し、同時に王樹の位置をトレースする。

「着陸します! 振動に対応してください!」

 再び操縦士からの鋭い声が飛んだ。ややあって、下から突き上げるような激しい揺れが機体を揺らす。

 それまで無機質に空気を打ち付けていたプロペラ音はいつしか途絶え、耳が痛くなるような静寂が機内に広がる。

 その数秒後、デイヴィットは機関銃とライフルを背負い、ヘリコプターの扉を開いた。

 先ほど破壊された無人地対空ミサイル発射装置から立ち上る黒煙が、風にかき回されて消えていくのが見える。

 そのまま勢い良く屋上ヘリポートに降り立ったデイヴィットは、振り向きざまに叫んだ。

「敵影確認! 少佐殿は、その場で援護を!」

 その言葉が終わるとほぼ同時に、光の筋が闇を裂いた。

 屋内へ続く非常階段の入口を固めていた敵がこちらに向けて、レーザーライフルを乱射してくる。

 反射的に身を屈めるデイヴィットの頭上を、真後ろから放たれた光線が通過していく。

 その軌跡を追った彼の視界の先で、一人の敵が胸を射抜かれて倒れた。

 片腕しか使えない状態で、ここまで正確に撃てるとは。

 表情を少しも動かさぬスミスに嘆息しながらも、彼は残りの一人に狙いを定め、引き金を引いた。閃光が走ると同時に、突入口を遮るモノは完全に消えた。

「入ります。人質の方が脱出してきたら、ヘリへの誘導をお願いします。万一何かありましたら、すぐに連絡下さい」

 言い放つが早いか、デイヴィットは屋上を駆け抜け、非常階段の入口に張り付いた。

 いまだ燃え盛る炎の照り返しを受け、闇に浮かび上がるスミスが構えたライフルを掲げるのを確認してから、彼は非常灯がともる非常階段を飛び降りるように駆け抜けた。

 踊り場に降り立つと、無数の弾丸が彼の周囲を通過していく。

 あわてて腰を落とすと、目指す最上階入口に人影が見える。

 反撃しようと身体を動かすたび敵は戸口に身を隠し、こちらから踏み出そうとするたびに銃弾の雨が浴びせかけられる。

 動くに動けない。

 その状況にいらただしさを感じ、彼は舌打ちをした。

 ここで足止めされると、犯人達に時間を与えることになる。それだけは絶対避けたかった。

 この際、多少の被弾覚悟で突っ込むか。

 頭上を通過していく弾丸を見やりながら、デイヴィットは銃を構え直し、腰を浮かせる。

 ちょうどその時、至近に『味方』の気配を感じた。

 第三の銃声が響くと、黒い人影は床に崩れ落ちた。

 一瞬何が起きたのか理解できず、銃を構えたまま立ち尽くすデイヴィット。

 その前に靴音を響かせて現れたのは、他でもなく針ネズミ頭の研究員だった。

 とりあえず銃を下ろし階段を降りる彼の目の前で、王樹は自分が撃った『敵』の手当てを始めた。

「……一応、僕は医者だからね。見殺しにする訳にはいかないだろ?」

 王樹の言葉に、デイヴィットは内心を読まれたような感覚に捕らわれた。

 追い打ちをかけるかのように、王樹は更に続ける。

「解んないかもね。ま、人間なんて、こういう矛盾の塊なんだけど」

 手際良く止血を済ませると、王樹は手の甲で汗をぬぐう。

 神妙な面持ちでデイヴィットはその様子を見つめていたが、見上げてくる王樹の視線に気付き、あわてて口を開いた。

「……いえ。それより遅くなってすみません。あの……」

「人質は全員元気だよ。問題は敵味方とも、いかに少ない出血量で脱出を成功させるか、だね。ところで君達、上で何人片付けたの?」

「二人です。……残念ながら、即死の可能性が高いですが」

「僕もこれで二人目。都合残りは八人倒す計算だね」

 まあ、どうにかなるさ、とため息を付きながら、王樹は失神している籠城犯から通信機を外し、デイヴィットに差し出した。

「悪いけど、これ、君達が使ってる周波数に合わせて。エドは上にいるんだろ?」

「そうですが……一体どうされるつもりです?」

 嫌な予感がする。

 それを裏付けるかのように王樹はにっこりと微笑んだ。

「僕も混ぜてよ。君がどんなに優れた戦士だとしても、多勢に無勢なのは否めないし、人質ってハンデがある」

「それは、そうですが、でも……」

「おまけに、あんな派手に乗り込んで来るんだもの。敵さんはてぐすね引いて待ってるよ」

 そうにこやかに告げられて、デイヴィットは返す言葉がなかった。

 無言で通信機の調整を終えると、彼はバツが悪そうにそれを王樹に差し出した。

 受け取るや否や王樹は笑みを収め、イヤホンをセットし通信回線を開いた。

「あ、エド? うん、僕だけど。具合はどう? そう、解った。うん、合流したよ。じゃ、すぐにそっちへ行けるよう努力するから」

 ありきたりな会話を終えると、王樹はおもむろに壁の一点を指差した。

 それは、このフロアの非難経路を示したプレートだった。

「僕らが今いるのは、この非常階段A」

 デイヴィットは一つうなずく。それを確認してから王樹は指先をすい、と動かした。

「で、敵さんが立て込もってるレストランに入れるのは、ここから正面入口に続くエレベーターホール経由のルートと、こっちの非常階段Bからぐるっと回る厨房経由のルート。ここまでは了解?」

 更に続ける王樹に、デイヴィットは再びうなずいた。その脳裏には、幾度となく眺めていた内部の図面が浮かび上がる。

「一網打尽。同時に出入口を押さえるのが、一番楽かな。兵力分散するのは、あんまり気が進まないけど」

 どうする、と問いかけてくるような王樹の視線に、デイヴィットはすぐさま答えた。

「自分が下の階を突っ切って、厨房へ回ります」

「それが一番妥当だね。じゃ、僕はエレベーターホールへ回る。君の準備ができたら、連絡をちょうだい」

「準備って……一体?」

 会議室を通り抜けるだけですよね、と言うデイヴィットに王樹は片目をつぶってみせる。

「休憩を口実に、何回か出歩かせてもらったんだけど、防火扉の前に色々と積み上げているっぽい。細工も少し、してるかも」

 悪びれもせずに言う王樹に、デイヴィットは深々とため息をつく。

 どうやら敵も、楽をさせてくれそうもない。しかし、ここで頭を抱えていても事態が好転する訳ではない。

「では、行ってきます。くれぐれも、自重を」

 銃を構え足を踏み出すデイヴィットに向かい、王樹はひらひらと手を振ってみせる。

 一抹の不安を感じながらも、デイヴィットは暗い階段を駆け降りて行った。


     ※


 立てこもり場所の一つ下の階を占めているのは、学会やカンファレンスなどに使われるホールである。

 無論、用途によって様々な種類のテーブルや椅子を使い分けることになる。

 そして当然の事ではあるが、使用しない時それらは収納される。

 そこまで分析した所で、デイヴィットは足を止めた。

 果たして目前には、予想通りの光景が広がっていた。

 防火扉に至る道筋には、無数の椅子とテーブルがバリケードよろしく積み上がっている。

 さて、どのように通過しようか。

 ぐるりと周囲を見回したその時、彼の足に何かが触れた。

 何事かと足元に視線を向けると、至近距離から銃声が響いた。

 床に伏せる彼の頬と肩口を、銃弾がかすめる。発砲音のした方向に銃口を向けるが、人の気配はしない。

 その姿勢のまま、息をひそめることしばし。

 注意深く見回すと、彼は自分の足に細い糸が絡みついていることに気がついた。どうやら単純な罠が仕掛けられていたらしい。

 休み無く弾を吐き出す機関銃を撃ち抜いて黙らせてから、彼は閉ざされた防火扉に取り付き慎重にノブを回す。

 そして、体重を預けながら鉄製の重い扉を押し開いた。

 暗い廊下のそこかしこには、時折思い出したように机や椅子が放置されている。

 しかし、別段変わった様子も、人の気配もない。

 また何かの罠なのだろうか。

 一瞬、彼は足を止める。

 が、ここで無為に時間を浪費する訳にもいかない。改めて銃を構え、姿勢を低く保ったまま、デイヴィットはフロアに足を踏み出し一気に駆け抜けた。

 無秩序に転がる机や椅子を蹴散らして暗闇を走ることしばし。ようやく目の前に、非常階段Bへと通じる防火扉が見えた。

 ノブを回してみるが、そう簡単に事は進まなかった。階段側で施錠された扉が、彼の侵入を拒む。

 咄嗟に彼は腰のブラスターを引き抜き、ノブと鍵穴に向けて発砲する。

 高熱で焼き切れたノブが廊下に転がると、扉は音も無く開いた。

 緊張した面持ちのまま、今度は階段を駆け上がる。

 静寂の中、彼の規則的な靴音だけが反響した。

 目的地までおよそ十数段という所で、光線が彼の頭上を通過する。

見上げるとそこには、銃を手にした男が立っていた。

 突然の闖入者ちんにゅうしゃを知らせるべく男が口を開くよりも早く、デイヴィットは持っていたブラスターの引き金を引く。

 脇腹から血を流した男が、バランスを崩して階段を転げ落ちるのと入れ替わりに、彼は一気に駆け昇る。

 レストランフロアに足を踏み入れるなり、彼は反対側に待機している王樹に向かい呼びかけた。

「突入開始します! お願いします!」

 ブラスターを腰に戻し、デイヴィットは戸口に背中を貼り付け、中の様子をうかがう。

 天井から無数の鍋やフライパンがぶら下がっているその先に、煌々《こうこう》と光が灯っているのが見えた。

 真正面を見据え踊り込む彼の頭上を、幾筋もの弾丸が通過する。

 未だ人質は敵の手の内にある。人質を無事解放するには、更なる流血は避けられないだろう。

 ふとデイヴィットの脳裏に、先程自らが撃った犯人を手当てする王樹の姿が浮かんで消えた。

 守られる命と、そうではない命。この違いは、一体何なのだろう。

 恐らく何度分析を試みても答えは出ないであろうこの命題を頭の外へ振り落とすと、彼は狙いを定め引き金を引く。

 中空に放たれた光線は、ためらうことなく立ちはだかる男の腹と足とを射抜いていた。

 それまで視界を占めていた白黒の世界に、紅の花が咲く。倒れた男の手から離れた銃を思い切り蹴飛ばすと、彼はまばゆい光にあふれたレストランに飛び込み、銃を構え、叫んだ。

「惑連です! おとなしく武器を置いて投降してください!!」

 視界に入ってきたのは、窓際に乱雑に積み上げられたテーブルと椅子。

 中央に集められ、憔悴しきった表情でこちらを見つめる人質達。

 彼らに銃を突き付けている二人の男。

 そして人の輪の中で何かを握りしめ、仁王立ちしている男の姿だった。

「その言葉、そっくりお返しさせてもらうよ。えぇ?」

 そう言い放つ男の瞳には、狂気の光が宿っている。言い返そうとしたデイヴィットを、反対側に立つ王樹が制した。

「待った! デイヴ、良く見るんだ!」

 その言葉に、デイヴィットは改めて敵の指揮官とおぼしき男を注視した。そして、あることに気付き、口をつぐむ。確認できた物、それは紛れもなく爆弾だった。

「答えを聞かせてもらおうか、え? お二人さんよ?」

 勝ち誇ったように笑う男。

 王樹は無言のまま、手にしていた銃を床へと放り投げる。そして頭の後ろで手を組み、ひざまずいた。

「そっちのチャラチャラした兄ちゃんはどうかな?」

 勝利を確信したかのような男の態度に、デイヴィットは小さく舌打ちをした。が、自分はともかく、人質の命を第一に考えなくてはならない。

 不承不承、彼は床に銃を置き、膝を折る。と、銃を構えた男が一人、そろそろとデイヴィットに近寄ってくる。

 すべての視線が、そこに集中していた。ごく一部の例外を除いて。

 床に伏せようとする彼の視界の片隅に、王樹がいた。その顔には、かすかな微笑が浮かんでいる。

 今までの王樹の行動パターンから、彼はある事態を予想した。

 そして……。

「うわぁ!?」

 間抜けな叫び声がレストラン内に響く。

 見ると、王樹は一瞬の隙をついて自らに銃を突き付けている男に、足払いをかけたのだ。

 派手に転倒する男。

 人質達の叫び声。

 混乱するレストラン内で、今度はデイヴィットが動いた。

 強く床を蹴ると、デイヴィットは低い体勢で水平に飛ぶ。

 そのまま彼は、爆弾を掲げる男の足元に体当たりを食らわせていた。

 咄嗟のことに、その身体はバランスを失い崩れ落ちる。

 同時に男が手にしていた爆弾は、持ち主が倒れると同時にその手を離れ床の上に転がった。

「皆さん、伏せて下さい!」

 叫びながらデイヴィットは、起爆装置が作動しランプが点滅し始めたそれを恐れることなく拾い上げ力の限り窓へと向けて投げつけた。

『ヒトならざるモノ』の力で投げ出されたそれは強化ガラスを突き破って空中に舞い、闇の中に轟音と火花を撒き散らす。

 と破れた窓の穴から、突風が室内へと流れ込んでくる。人質達は目を閉じ耳をふさぎ、口々に悲鳴を上げる。

 一方倒れた敵の指揮官と思しき人物は、打ちどころが悪かったのかピクリとも動かない。

 形勢不利とみたのだろう、慌てて逃げ出そうとした残る一人の肩口を、デイヴィットはブラスターで撃ち抜き戦闘不能にする。

 そして、改めて彼は人質たちに向けて呼びかけた。

「脱出します! 皆さん、こちらへ! 研究員殿……」

 声をかけられた王樹は、大袈裟に肩をすくめて見せてからデイヴィットに応じる。

「君、ちょっと派手にやり過ぎじゃない? 重症者……と言っても全員犯人だけど、その救命処置要員として僕の仲間は残していくよ。外で待機してる惑連軍に入ってくれるよう、エドに連絡してもらって」

「解りました」

 先ほどの爆発について説明を求められるのではないかとびくびくしながら、デイヴィットはヘリコプターの側にいるスミスとの回線を開く。

 が、予想に反して戻ってきたのは、了解、という極めて簡潔な言葉だった。

 不審に思いながらも、デイヴィットは王樹と共に人質達を誘導する。

 風が吹き込む非常口の先に、鋼鉄の塊に身体を預け銃を構えたスミスの姿があった。

 彼は開け放たれた後部扉から、人質となっていた人々をヘリコプター内部へと誘導する。

 ややあって、少女を抱き上げた王樹が姿を現した。

「残留組を除いて、中にいた人質はこれで最後。お疲れ様」

 にこやかに片目をつぶって告げる王樹にも、スミスは無言でうなずくのみである。

 何か、おかしい。

 違和感と不安を覚えながらも、デイヴィットはヘリコプターへ乗り込み扉を閉める。

 扉を厳重に施錠してから彼はパイロットに離陸するよう指示すると、ようやく安堵の息をつき床に腰をおろした。

「突入が始まったみたいだね」

 小窓から地上の様子をうかがっていた王樹が、おもむろにつぶやく。

 その言葉に、初めて事の終わりを実感したデイヴィットは、改めてスミスに向き直った。自分の『運命』を握る、その人に。

「少佐殿、自分のわがままにお付き合い頂き、ありがとうございました。もう思い残す事はありません。どんな結果でも謹んで受け入れます」

 けれど、返答は無い。先程から深々と座席に腰をおろし膝に頬杖をついた前傾姿勢のまま、スミスは微動だにしない。

 不安が、やや強くなる。

「……少佐殿?」

 それが不敬な行為と知りつつも、彼はスミスに歩み寄り恐る恐るその肩に手をかける。瞬間、バランスを失った上半身が重みに耐えかねて崩れ落ちた。

「少佐殿!」

 あわててデイヴィットはスミスの身体を支えた。

 サングラスか外れてあらわになったその瞳は固く閉ざされ、顔は蝋のように青白く冷たい。

 デイヴィットは人質達がいるのをいとわず、大声を上げていた。

「覇研究員殿! すみません、早く来て下さい!」

 自分が取り乱していることを、彼は理解していた。が、震えは止めようも無い。

 異変に気付いた王樹が駆け寄る。

 そして事態を一瞥するなり、デイヴィットに向かいこう告げた。

「……僕らだけ途中で降ろしてもらって、あのマンションに戻ろう。覚悟は、できてるよね?」

 自分のごり押しが招いた結果だ。それが今、目の前に突き付けられている。

 いつになく真剣な王樹の眼差しに、デイヴィットはうなずくことしかできなかった。


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