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第6話 接触

 瓦礫の山はあらかた現場から取り払われ、現場から集められた建物の破片から遺体の破片をより分ける作業が進んでいる。

 行方不明者の数が減っていくのと反比例に、死亡者の数が増える日々が続く。

 だが、現場責任者である桐原の表情は一向に晴れなかった。

 その原因は言うまでもなく、テラからの客人である。

 あの事件以来二人の姿は忽然と消え、知らされた電話にかけてもも一向に繋がらない。

 あれほどの事故である。当然二人とも巻き込まれて無事ではないだろう。

 そう考えた桐原は、『M.I.B.広報』から接触があった直後、すぐさまテラに客人二名の歯形とDNAデータを送るよう正式に届け出をした。

 彼の経験では、返答は早くて即日、遅くとも翌々日には届くはずだった。しかし、今回彼にもたらされたそれは、今まで抱いていた嫌な予感を増幅させるに充分な物であった。

『該当する職員名無し』。

 この返答から導き出される可能性は、二つあった。

 一つは、照会入力する際氏名のスペルまたは職員番号を誤った、桐原の単純ミス。

 だが、いかに疲労がたまっていたとは言え、客人二人とも間違えるなどということはまずあり得ない。

 そして浮かび上がるのが、もう一つの方。テラも桐原も間違っていないという可能性、つまりは客人達は何らかの理由で共に偽名を使い、このフォボスに乗り込んできたということである。 

 自分は、一体何と関わってしまったのだろうか。

 その不安を煽るように、『M.I.B.広報』の客人はただ者ではないという声がまざまざとよみがえってきた。

 瞬間、桐原は大きな不安に捕らわれた。

 あの客人達は、自身の実質上の惑連に対する裏切り行為を明らかにするためテラから送り込まれた監査部の人間なのではないか。

 だとすれば、両者が偽名を使っていたことに説明がつく。

 けれど、あれほど慎重にしていたにも関わらず、どうしてそれがテラに漏れ伝わったのだろう。

 同僚に感付かれ通報されたのか、或いは……。

 ホテル崩壊と共に沸き上がった不安と恐怖と猜疑心は、桐原の心中しんちゅうに暗い影を落としていた。

 だが、彼生来の真面目さと勤勉さは、このような状況に置かれても目の前にある職務を放り出す事を許さない。

 極度の緊張感から派生した不眠と胃痛に耐えながら桐原は今日もいつものように出勤し、すれ違う職員に会釈を返しながら自席につく。 

 端末を立ち上げ、まずメールをチェックする。それが入局以来続いている、彼の日課だった。

 まず、緊急のフラグがついている内部文書に目を通そうとしてマウスに手を伸ばした、その時だった。

 着信時間ごとに並んだ差出人の名に、無機質なアルファベットの羅列で形成された奇妙なアドレスが紛れこんでいる。

 この端末を通して送受信されるメールは、機密漏洩やウイルス感染を防ぐ意味もあり、惑連のサーバーでチェックされているはずだ。

 スパムやダイレクトメールの類いである可能性は、皆無と言って良いだろう。

 だが、発信者が使用しているドメインは、見慣れたフォボスやマルスの惑連職員が使うそれではない。

 桐原は震える手でマウスを操作し、そのメールを開く。画面に広がる文字列を目にして、彼は自らの血の気が引いていく音を聞いたような気がした。

「どうしたんだよ? 顔色がすごく悪いじゃない。大丈夫?」

 向かいの席に座る同僚が彼の異変に気付き、声をかける。

 額ににじむ冷や汗を手のひらでぬぐい、彼はやっとの事で息を吐き出した。

 そして、何でもない、とだけ答えると改めてその文面を目で追った。

──本日の勤務終了後、ホテル崩壊現場に来られたし。双方の身の保全のため、一切の他言は無用。なお、万一拒否される場合はどうなるか、聡明な貴官であればご理解いただけるかと……──

 無味乾燥な文体は、皮肉なまでに冷静なテラからの客人そのままだった。

 背後にサングラス越しの鋭い視線を感じたような錯覚に捕らわれ、桐原は思わず身震いし周囲を見回す。

 が、もちろんそれは気のせいで、目に入ってくるのは各々仕事に集中している同僚たちである。

 しばしその文面を眺めやった後、朦朧とした意識の下で彼は返信を打っていた。

 無論、拒絶するという選択肢は、彼に残されてはいなかった。


     ※


「どうやら餌に食いついたようだ」

 端末を見つめていたスミスが、不意に顔を上げた。肉食獣のような笑みを浮かべながら。

 おそらくこのサングラスさえ無ければ、いたずらの成功に喜ぶ少年のような表情に見えるだろう。

 そう分析しながらデイヴィットは食いつかざるを得なかった桐原の心中をおもんぱかり、小さくため息をついた。

 それをまったく無視して、スミスは視線をデイヴィットに転じる。

「覇研究員の状況は?」

 冷静なスミスの声が、デイヴィットの耳朶じだを打つ。しかし、その声は弱冠小さくなっているようでもあった。

 一瞬不安げな表情を浮かべてから、デイヴィットは答えた。

「時折、食堂を離れてテラスや洗面所へ移動しています。どうやら無茶な拘束はされていないようですね」

「犯人達にも、まだ理性が残っているようだな。それがどこまで続くかは、定かではないが」

 皮肉を含んだスミスの言葉に、デイヴィットはわずかに眉根を寄せる。『ヒト』が生きていく以上、睡眠欲や食欲といった様々な生理現象を伴うということくらい知っている、とでも言うように。

 そんなデイヴィットに微笑を向けてから、ふとスミスはつぶやいた。

「……マルスからの名実共の独立、か」

「はい?」

 聞きとがめて、デイヴィットはわずかに首をかしげた。

 その様子に、スミスは笑みを浮かべる。どこか作り物めいた、人形のような笑みを。

 唖然として固まるデイヴィットに、スミスはそれを納めて言葉をついだ。

「難しい問題だろうな。治安を守る側もフォボス現地採用の兵員となると、M.I.B.の活動理念の独立思想に同調できる所もあるだろうし」

 マルス及びその背後にあるMカンパニーによる、政治及び経済的な支配。常に母星の管理下に置かれ、母星無くしては存在できないように形成されてしまった社会制度。

 入植一世世代ならばまだしも、この星で生まれ育った生粋の『フォボス人』達にとっては、搾取され続けている故郷の現状は許しがたいものだろう。

『生まれ故郷を愛する』という同じ思いを持った人間達が、所属する団体という些細な違いにより敵味方に別れ銃口を向けあっている。

 しかも、危険にさらされているのは、まったく無関係な一般市民だという皮肉なおまけ付きだ。

 そこまで分析し、デイヴィットはうなずいた。それを確認してから、スミスは更に続ける。

「Mカンパニーも、罪作りだな」

「開拓者の特権というおいしいところだけをとって、派生した義務を果たそうとしないから、ですか?」

「それが普通だろうな。権力者は利潤をむさぼり、しわ寄せは末端に押し付けられる」

 理解不能か? とでも言うように視線を投げかけてくるスミスに、デイヴィットは返す言葉がなかった。 

『ヒト』という生物が、テラという惑星にしがみついていた頃から繰り返される暗い歴史。だが、その理不尽さを、デイヴィットはどうしても理解できなかった。

「〇と一では割り切れないのが『人間』だ。まあ、そこが面白い所でもあるんだが」

「非合理的ですね。自分から見ると」

「逆に言えば、非合理だからこそ関係が築けるのが人間だ」

 更に否定しようとするデイヴィットを、スミスは片手を挙げて制した。そして、コップ一杯の水を要求する。

 痛み止めの薬の効く時間が、僅かずつではあるが短くなっている。

 湧き上がってきた不安を隠すように、デイヴィットはキッチンへと走った。

 棚に並んでいる大量生産品とおぼしき無個性なコップへ、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを注ぐ。

 そんなデイヴィットの脳裏に、ある情報が浮かび上がった。

「……そういえば、少佐殿はもともと後方勤務だったとか……」

 言いながらデイヴィットはスミスにコップを手渡す。

 瞬間、スミスの表情がかすかにゆがんだ。

 小さな錠剤を口に放りこんでから、スミスはいつもの口調で問う。

「発信源は、一体どこかな?」

「……あの……覇王樹研究員殿が……」

 決まり悪そうに白状するデイヴィットに、スミスは苦笑を浮かべる。 

「やれやれ……困った御仁だな。まるで貝の口だ」

「と、言いますと?」

「温めてやれば、いとも簡単に口を開く」

「……なるほど」

 同感です、とでも言うようにデイヴィットは肩をすくめた。

 コップの水を飲み干すと、予測に反してスミスはあっさりと求められているであろう答を口にした。

「研究員殿が言ったことは、大方事実だろう」

「では、何故転籍されたんです?」

 差し支え無ければ、と付け加えるデイヴィットに、スミスは唇の端をわずかに上げながらそれに応じた。

「私の素性及び経歴が、この事件と何か関係でもあるのかな?」

 それは間接的な拒絶だった。

 踏み込んではいけない所に触れてしまった事に気付き、デイヴィットはあわてて口をつぐむ。確かに怪しい人とは言え、試験官氏の個人情報を詮索することは今回の任務とはまったく関係ない。それがいかに興味深い事であっても。

 自らの軽はずみな発言に珍しく意気消沈し、所在なげにしているデイヴィット。だが、そんな彼にスミスは空になったコップを差し出しながら、いつもより穏やかな口調で告げた。

「まあ強いて言うなら上の都合、と言ったところかな」

 思いもかけず返答が得られたことに、デイヴィットは数度瞬く。

「組織という名の強大な権力の前では、個人はまったくの無力、ということですか?」

「理想と現実との差は、予想以上に大きい。残念ながら。……先方との落ち合い場所は、事故現場。時刻は十八時半の予定だ」

 言いながら立ち上がると、スミスは自らの居城と決めた寝室へと消える。それまで占領していたソファの上に、命に代えてもという勢いで持ち出した端末機を放置して。

 完全にスミスの気配が消えてから、デイヴィットはそろそろとソファに近付くと端末機に手を伸ばし、恐る恐るエンターキーを押して立ち上げる。

──これが『後ろめたい』という感情なのだろうか。

 頭の片隅でそんなことを分析しながら、デイヴィットはまず、メールソフトを開く。表示されたのは、スミスと桐原のやり取りだった。

 予想に違わず、脅迫すれすれの言葉が羅列である。

 桐原に同情の念を抱きながら、デイヴィットは端末を閉じた。


     ※


 コンクリートの基礎がむき出しになった事故現場に、桐原は一人たたずんでいた。すでに日は傾き、空の色は茜がかった紫闇に変わっている。

 未だ紅リゾートに陣取っている集団からの接触はない。『M.I.B.広報』からの連絡も、あれ以来途絶えたままだ。

 リゾート周辺に展開している惑連軍に突入を命じるか、あるいは犯人が自暴自棄となり人質もろとも玉砕するのを待つか。どちらにせよ最悪な結末が目の前にちらつく日々を送っていた彼にもたらされたのは、他でもなく……。

「顔色が悪いですね。かなりお疲れのように見えますが」

 不意に耳に飛び込んできた声に、桐原の心臓は大きく脈打つ。

 恐る恐る振り返る桐原の視界に入ってきたのは、他でもなく彼が今までその所在を探していた、まさにその人物たちだった。

 言葉もなく、無意味に口を開閉する桐原。これで交渉の主導権は、確実に彼の手から離れた。

「あ……貴方達は、一体……」

「だから、テラ惑連職員以外の何者でもないですよ。所属はともかくとして」

 なだめるように告げるデイヴィットに、桐原は無意識のうちに詰め寄っていた。

「監査部ですか? それとも情報局?」

「私は一応後者に属していますが……彼は少々、微妙な立場にあります」

 その追及をはばむように、スミスが二人の間に割って入った。

 サングラス越しに投げかけられる鋭い視線と、どこか謎めいた言葉に、桐原は青ざめながら首を傾げた。

 なにもそこまで追い詰められた人間をいたぶらなくてもいいじゃないか。

『いたたまれない』という心境は、こういう状況なのか。妙に納得しながら、デイヴィットは改めて桐原に歩み寄った。

「自分達の要求は、極めて単純です。貴方と取引がしたい。これは、貴方にとっても有益かと思いますが」

 自らの素性については敢えて触れることなく、だが単刀直入にデイヴィットは切り出した。今更自己紹介する時間的余裕も無いし、何より話したとしても逆効果になるだけだと判断したためだ。

 が、どうやらこの作戦は功をそうしたらしい。桐原の顔に、目に見えて生気が戻ってきた。

「わ、私にとって有益、とは、どういうことですか?」

「貴方が協力して下されば、我々は人質を助けることができる。貴方は惑連職員としての立場を守ることができる。……そして、何よりも」

 意図的にデイヴィットは言葉を切った。

──ここが落とし所だ。

 不安げな桐原の視線と、無感動なスミスの視線。双方を痛いほどに感じながら、デイヴィットは口を開いた。

「……M.I.B.にとっては、組織全体が起こした事件ではなくて一部の急進派が先走った結果だ、と片付けることができます」

 一石三鳥ではないですか。

 言外にそれを匂わせることができたかどうか。デイヴィットはかなり不安を感じていたが、その効果は予想以上に大きかったらしい。

 しばしうつむいていた桐原の口から、細い声が漏れた。

「私は……私は一体、何をすればいいのですか?」

 してやったりの言葉に、デイヴィットは反射的にスミスを顧みる。

 瞬間、試験官氏はわずかに唇の端を上げたように見えた。

「まずは、フォボス支部を通じて、紅リゾート地区に展開している惑連駐留軍に繋ぎをつけて下さい。それからM.I.B.にあることを伝えてほしいのですが」

 サングラス越しに自分の背に注がれるスミスの視線は、未だに力を失ってはいない。正直、デイヴィットは頭の下がる思いだった。

 これが人間が持つ『生命力』の強さなのだろう。内心舌を巻きながら、デイヴィットは改めて桐原に向き直った。

「今後、我々がとる行動に一切関知しない。その代わり今回の一件については、そちらの責任は問わない、と」

 なかなか好条件ではないでしょうか、とデイヴィットは桐原の様子をうかがう。背後に皮肉に満ちたスミスの笑みを感じながら。

 そして、ついに桐原はつぶやくように言った。

「……惑連に対しては、その方向でなんとか進めましょう。……ですが、あちらの方に関しては……」

 この期に及んで、まだ知らぬ存ぜずを通そうとするのか、とでも言うように、スミスは低く笑う。

「付け加えておきますが、今後私達は貴方が彼らと何をしようとも、口を挟むようなことはありません」

 追い討ちをかけるように、スミスは畳み掛ける。

 これから先桐原がと何をしようとも関係はない。加えて口を挟む権利も義務もない。

 だが、万一フォボス支局やマルス惑連がその関係に気付いたとしても、何ら責任は持たない。もっとも重要なその部分に、スミスはまったく触れてはいないのだ。

 無論デイヴィットはその点に気が付いてはいたが、敢えて何も言わなかった。うまくまとまりそうな交渉をみすみすぶち壊すつもりはないし、第一それは桐原個人の問題だ。

 重苦しい沈黙に耐えられなくなったのか、桐原は肩を落としながら言った。

「……解りました。先方には、そのように話をしてみましょう。惑連軍にも、早急に。申し訳ありませんが、一日……いえ、半日時間を下さい。それでよろしければ……」

 ようやく動かないと思われた山が、動き始めた。


     ※


 明けて午前七時を少し回った頃、二人が潜伏している部屋の電話が鳴った。この番号を知っており、かつ接触を計ってくる人物は、現在の所一人しかいない。

 デイヴィットはスミスが軽くうなずくのを確認してから、受話器を取った。

──もしもし……あの……──

 聞こえてきたのは、予想に違わず桐原の細く気弱な声だった。

 傍受の可能性が皆無とは言い切れないので、あまり長話はできない。単刀直入に、デイヴィットは切り出した。

「いかがですか? 首尾は」

──どうにかうまくいきました。主流派は、事件解決後一切関与しないという形で話をつけました。惑連駐留軍にも、不用意に動かぬよう徹底させました。で、これから一体……──

「ご尽力ありがとうございます。では、これから言う物をそろえて頂きたいのですが」

 背後でソファに深く腰をかけているスミスに小さくガッツポーズを決めて見せてから、デイヴィットは『人質解放作戦』に必要な物を手短に告げた。

「……以上です。作戦決行は、本日一六三〇です。それまでに……」

──ですと、時間的に無理です。せめて、出撃場所をフォボス宙港に変更できませんか? ──

 切実な叫びだった。

 一端固まるデイヴィットだが、迷っている時間はなかった。

「解りました。では、くれぐれも内密にお願いします。特にマスメディアには慎重に」

 言い終えて、デイヴィットは受話器を置く。

 一呼吸ついてから、デイヴィットはスミスに向き直った。

「作戦変更です。出撃場所をフォボス宙港にし、一旦エル・フォボスの敵本拠地を攻撃すると見せかけてから周回し、西へ転回します」

「……まあ、ここから直行するよりは違和感は無いだろうな」

 フォボスの宙港は、軍民共用である。そこから『あれ』が飛び出しても、誰も疑問を持たないだろう。

 これで当面の目処はたった。

 これで唯一残された問題は、言うまでもない。自らの目前にいる『頭痛の種』に、デイヴィットは恐る恐る切り出した。

「あの……少佐殿……突入は、なんでしたら、自分が単独で……」

「すべてを見届けなければ、君の合否判定は不可能だ」

 違うかな、と言うように見つめてくるスミスを目の前にして、デイヴィットは押し黙った。

 もっともな言葉である。だが、同行を認めてしまうと最悪スミスの生命を脅かすことになる。

 適切な言葉を見つけ出せずにいるデイヴィット。その様子に、当の『心配される側』は例のごとく唇の片端をわずかに上げて見せた。

「そこまで君が思い悩むことは無いさ。役に立たなくなれば、有無を言わさず処分される。その点は、私も君も何ら差はない」

──何を言い出すのだろう、この人は。

 浮かび上がったその疑問を無理矢理飲みこみ、デイヴィットはまじまじとスミスを見つめる。

 被験者の混乱を知ってか知らずか、スミスは更に笑う。

「何て顔をしている? 役目を終えた『モノ』は最終的に除籍される。君らも、覇研究員も、はたまた艦艇も。役に立たなくなったモノがいつまでも表舞台にしがみついているのは滑稽こっけいだし、何より見ていて悲惨でみじめだ」

 確かにその言葉は正しいのかもしれない。けれども、『ヒト』のそれと、デイヴィット達……厳密に言えば『ヒト』ならざる物に突き付けられるそれは、根本的に違うのではないか。

 果たしてその違和感はどこから発生しているのだろうか。

 デイヴィットは思考回路をフル回転させる。そしてある結論にたどり着いた。

「ですが、我々『Doll』の除籍と少佐殿の除籍は、根本的に異なると思います」

「……どういうことかな?」

 かすかにスミスは、唇の端に微笑を閃かせる。痛いほどに視線を感じながら、デイヴィットは続けた。

「我々は処分されれば、それで終わりです。後には何も残らない。ですが、少佐殿……ヒトが除籍された場合、その痕跡は必ずこの世界のどこかに残ります。……家族や友人を持たないヒトは、いないでしょうから」

 一気に言ってしまってから、デイヴィットは恐る恐るスミスの顔を見やる。そこには、件の笑みはなかった。

 やはり、的はずれなことを言ってしまったのだろうか。

 緊張した面持ちのまま、デイヴィットは返答を待つ。長くて短い静寂を、スミスは静かな声で切り裂いた。

「……なるほど。君らの存在は、どうあがいても『虚無』と言う訳か」

 ようやくの答に、デイヴィットは神妙な表情でうなずく。それを確認してから、スミスは視線を室内に泳がせた。

「しかし、君には一つ失念していることがある」

「どういうことでしょうか?」

 話が見えず、首をかしげるデイヴィット。その反応をどう取ったかは定かではないが、スミスは改めてデイヴィットに視線を固定した。

「首席技術士官殿……君らの名付け親で、産みの親でもある人だが……会ったことはあるだろう?」

「ᒍ……ジャック・ハモンド殿ですか? 起動直後、少しだけお話しさせて頂きましたが、それが何か?」

 首をかしげるデイヴィット。その姿を見つめ、スミスは笑みを浮かべたまま、更に続ける。

「その時、かの御仁が何と言ったか、覚えているだろう?」

 問いかけられ、デイヴィットはあわてて起動直後のやり取りのデータを引っ張り出した。記念すべき一番最初の『記憶』だ。

 褐色の肌に癖毛の白髪頭を持つその人は、厳つい肩書きとは裏腹に人懐っこい笑顔を浮かべ、開口一番こう言った。

──初めまして。君はこの瞬間『デイヴィット・ロー』だ。何かあったら、いつでも来るといい。じゃあ、よろしく──

 そう、確かにあの時あの人はそう言った。デイヴィットがまだ生き残れるかどうか解らないにも関わらず。

 ひじ掛けに頬杖を付きながら、スミスは畳み掛けるように続けた。

「あの御仁は、君らの唯一と言って良い理解者であり、友人であり、親でもある」

「……失礼ですが、何故そんなことを自分におっしゃるんですか?」

 一瞬の沈黙。

 ややあって、スミスは足を組み直しながら口を開いた。

「先ほど君が、『自分の痕跡は残らない』と言ったからさ。少なくとも私は、愛すべきあの御仁に悲しんで欲しくない」

「覇研究員からうかがいましたが……少佐殿は何故、首席技術士官殿と交流があるんですか?」

「まあ、腐れ縁と言って良いだろうな。と……」

 スミスの視線はいつの間にか、壁にかかっている時計に移動している。口元から笑みは、消えていた。

「少ししゃべりすぎたようだな。そろそろ出発だ」

 言いながらスミスは立ち上がる。が、すぐにその手はふらつく身体を支えるため、ソファの背もたれにかけられていた。

 骨折に伴う内出血がかなり激しいのだろうか。

 痛みは薬で抑えることができるが、貧血ばかりはどうすることもできない。

「あの……出撃に関しては、もう口出しはしません。ですが、出撃前に一度、正式に治療を受ける訳にはいきませんか?」

「言っただろう? 少ししゃべりすぎたようだ、と。残念ながらその時間は残されていないし、残されていたとしてもそのつもりは無い」

 試験官氏のあまりの頑固さに、デイヴィットは気付かれないように深々とため息をついた。

 思いの外『除籍問題』について熱く語りすぎてしまったようで、フォボスの空港までの移動時間を考えると、確かにそろそろ出発しなければならない頃合いだ。

 しかしデイヴィットはなんとかスミスを危険にさらさない方法は無いかと、未練がましく再考する。

 仮に、桐原と落ち合う時間に多少の遅刻をしてでもスミスを無理矢理病院へ引きずって行ったとしよう。

 その場合、たとえデイヴィット単独で人質の解放に成功したとしても、上官の命令に違反したのだから下される評価が『不合格』となってしまう可能性がある。

 痛み止めと偽って睡眠薬を服用させて穏便に観覧席に着いてもらったとしても、やはり結果は同じだろう。

 そして、この突入作戦でスミスが今以上の負傷を負ったり最悪死亡した場合には、おそらく『上官の助言を無視し無理な作戦を立案、実行した』として、『不合格』になるだろう。

 どちらにしても彼を待ち受けているのは不合格、ようするに『除籍処分』のみである。

 八方塞がりだ。

 立ち尽くすデイヴィットは、諸悪の根源……もとい頭痛の種である当の本人から肩越しに見つめられていることに気がついた。

 さてどうする、とでも言わんばかりの視線を受け止めながら、デイヴィットは現状を大まかに再分析した。

 試験官氏がこれだけの大怪我を負った時点で、評価はマイナスへ大きく傾いているだろう。だとすると、よほどのことがない限りプラスに持ち込むことはできない。

 どうせ処分されるのであれば、少しでも残された『命』を有効に使いたい。そのためにはやはり、人質解放を成功させるしかない。

 デイヴィットがその結論に達した時、目前のスミスがおもむろに口を開いた。

「結論は出たかな?」

 色の濃いサングラスを通して投げかけられた探るような視線に、デイヴィットは力強くうなずいた。

「はい。ですが、一つだけお願いがあります」

 わずかに首をかしげるスミスに、デイヴィットは淀みなく答えた。

「これは、自分に与えられた課題です。突入から救出までの一切を、自分の一存に任せて頂けませんか?」

「と、言うと?」

「少佐殿には、自分の援護と脱出してきた人質の誘導をお願いしたいのです。前線……内部への突入は、自分一人で行います」

 揺らぐことのないデイヴィットの視線に、スミスの表情はふっとゆるむ。果たして帰ってきたのは、予想外の言葉だった。

「では、ありがたく高見の見物をさせて頂くとするか」

 あまりにもあっさりと自分の意見が受け入れられたことに驚き、デイヴィットは数度瞬く。

 けれどすぐに我にかえると、謝意を示すため深々と頭を垂れた。

 そしてすぐさま台所へ向かうと、スミスの服薬用のミネラルウォーターと、いくばくかの行動食を取り出しバックパックへ詰めた。

 宇宙港へ向かう無人タクシーの中で、食べそびれてしまった食事をとってもらおう、との心遣いだった。

「……準備はできたかな?」

「はい、すぐに行きます」

 すでにスミスは玄関へと移動していた。慌ててデイヴィットは立ち上がり、その後を追う。

 いよいよ『初陣』に向けて、デイヴィットは足を踏み出した。

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