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第5話 潜伏

 連日の超過勤務に、桐原はぼんやりとした頭を揺らしながらデスクに着いた。

 その上には、無数の資料が山積みになっている。

 片付けても一向に小さくならないそれを見つめ、彼は端末機に向かった。

 次々と行方不明者が死者となって発見されているにも関わらず、肝心の人物が見つからない。

 遺体の損傷が激しくなってきたため、歯形やDNAのデータをテラの惑連本部に照会し、取り寄せようとしているのだが、何故か先方から明確な回答が戻って来ない。

──一体自分は、何に関わってしまったのだろうか。

 時間が経つに連れて、不安が日々大きくなっていく。

 しかし、それを吐き出す場所がない。

 暗い視線を端末機に落としながら、桐原はキーボードを叩く。

 アクセス先は、クリムゾン・エクスプレス。言うまでもなく、M.カンパニー資本の大手宅配会社である。

 目的は、行方不明となっている『客人』の荷物の所在を確認することだった。

「……お問い合わせのお荷物は、受け取り済みになっておりますが」

 画面に現れた平均的な美人は、桐原の問いかけに対して機械的かつ事務的に答えた。

 思いもかけない言葉に桐原は息を飲み、寝不足で充血した目を見開いた。

「……受け取り済み……ですか? それは一体、誰が……」

「失礼ですが、そのご質問は、正式な捜査令状に基づくものでしょうか?」

「いえ、それは……」

 思わず口ごもる桐原。

 無理もない。彼は独断で『テラからの客人達』を探していたのだから。

 無論、上申すれば捜査令状は降りるだろう。だが、今回の件に関しては言い知れない後ろめたさを感じ、それができずにいた。

「ですと、これ以上は当社の個人情報保護ポリシーに抵触しますので、お答えできません」

 一方的にそう告げると、女性は深々と頭を垂れる。

 取りつく島もなく、桐原は渋々回線を切断した。

 苛立ちを声に出すことなく、桐原は乱暴に頭をかき回す。

 奇異な物でも見るかのような同僚からの視線に、彼は小さく舌打ちした。

 と、ささくれだった彼の感情を煽るように、内ポケットの携帯電話が震えた。非通知からの着信である。

 悪い予感は的中し、件のくぐもった声が桐原の耳へと流れこんできた。 

──やあ、どうやら一段階ついたみたいじゃないか。警戒体制が一つ下がったところを見ると──

 この会話を聞かれてはまずい。咄嗟にそう判断し、桐原は背中に無数の視線を感じながら席を立ち事務室を出た。

 目指す所は、人気の無い非常階段である。

──一応、三人には釘を刺しておいた。けど、手を下したかどうかまでは、聞いちゃいないけどな──

 その間にも、先方は尋ねてもいないのにべらべらと話し続ける。

 高い靴音を立てながら、桐原は小走りに廊下を移動した。

 目指す場所にたどり着くと、桐原は手すりに体重を預けながら答える。

「いい加減にしろ! 一体貴方がたは、どれだけの騒動を引き起こし、人命を奪えば……」

 切羽詰まった桐原の悲鳴にも似た声に、答えたのは嫌味に満ちた含み笑いだった。

──お言葉を返すようだけど、桐原さんよ。ならあんたらは何なんだ? 特定の企業やテラにばかり媚びへつらって。底辺で苦しんでる人間の声は一切聞かないくせに、仰々しく中立機関だとほざきやがって。少しおかしくはねえか? え?──

 その問いに、桐原は返す言葉がなかった。

 何故なら、その言葉こそ桐原が常々抱いていた答えの見つからない疑問だったからだ。

 唇を噛み、床に目を落とし黙りこむ彼をよそに、声はさらに続いた。

──……ま、とりあえずボスは、今回の件から手を引いた。これ以後は跳ね返りが何をしても、知ったこっちゃない──

「待て! 紅リゾートの人質はどうなる? 彼らは……」

──ボスは出来る限りのことはした。後は当事者次第だな。……あまり無理をすんなよ。それと、これはルナの大ボスからのネタだが、『お客様』はタダ者じゃないみたいだ。じゃあ──

 わずかながら同情の念を含んだ言葉を最後に、電話はいつものごとく一方的に切れた。

 落ち着け、と桐原は心中で繰り返す。

 深々と息を吸う度、冷静さを取り戻す。

 と、ある言葉がまざまざと浮かび上がってきた。

『お客様』はタダ者じゃない。

 彼は確かにそう言った。

 それは一体どういうことなのか。

 新たに生まれた疑問と恐怖とが、桐原に取りついて離れなかった。


     ※


「一つ、頼まれてくれないか?」

 フォボスの惑連支局で桐原が色を失っている頃。

 テラからの荷物に入っていた白いシャツと、折り目が付いたスラックスに身を包んだエドワード・スミス少佐は、テレビニュースをBGMに新聞を見つめるデイヴィット・ロー中尉待遇に向かい、おもむろに切り出した。

 突然のことに首を傾げるデイヴィットに、スミスは淡々と続ける。

「ある人物と接触してほしい。可能であれば、ここに招き入れてもらいたい」

「ですが、ここは情報局の機密施設でしょう? そんなこと……」

「その点は、安心してもらっていい」

 わかりました、と答えてから、デイヴィットはテレビの電源を切り立ち上がった。

 デニムのパンツにフライトジャケットを羽織ったその姿は、一つにまとめた長髪も手伝って『惑連関係者』と思う人間はまずいないだろう。

「で、自分はどこに出向けばよろしいのでしょうか。先方のお名前とか……」

「彼もこちらに来てから日が浅く、地理には明るくない。一番わかりやすい場所を指定してきた」

「わかりやすい場所、ですか?」

「あの事件現場だ。ついでに様子をうかがってきてくれるとありがたい」

「……はあ」

 異議を唱えても、受け入れられることはないだろう。

 顔を隠すようにキャップを目深にかぶると、デイヴィットはさらなる厄介事を命令されないうちに部屋を出た。


      ※


 人通りは少ないが、街は早くも平静を取り戻しているようだった。

 日々テロの恐怖にさらされていると、人間の感覚はここまでマヒしてしまう物なのだろうか。

 そんな分析を行いながら、デイヴィットは脳裏に浮かぶ地図に従って足を進めた。

 どこかすすけた市街地を歩くこと、しばし。高層ビルが建ち並ぶ中、突然ぽっかりと視界が開けた。彼らが滞在していた、あのホテル跡である。

 周囲には非常線が張り巡らされ、まだ関係者しか立ち入ることはできない。が、フォボス駐留の惑連軍や消防、警察が入り乱れて右往左往しているのは、遠目にも見て取れた。

 跡地はというと無数の鉄骨が地表から突き出しており、事件の凄惨さを物語っている。

 よくよく足元に視点を見てみると、そこかしこにコンクリートの破片が転がっていた。

 この様子では、桐原氏はさぞや困っているだろう。

 そうデイヴィットが確信した時だった。

「君が、No.21? もとい、エドの生徒さん?」

 前触れもなく背後から、しかも略称で声をかけられ、デイヴィットは息を飲んだ。その声紋は、自分が今まで接触した人物の中には入っていない。

 恐る恐るという形容詞そのままに、彼はゆっくりと振り向く。そこに立っていたのは、スーツ姿の男だった。短い髪はサボテンの針よろしく逆立てられ、口元には微笑が浮かんでいる。

 が、眼鏡の奥で光る目は笑ってはいなかった。

「……失礼ですが、貴方は?」

 用心深くデイヴィットは問う。が、男は表情を崩そうとはしない。

 はりつめた沈黙が続くこと、数秒。

 ようやく男は内ポケットからIDカードを取り出した。

「失敬。名前聞くならこっちから名乗らなきゃマナー違反だね。僕はこういう者。で、君は〇二一・〇・〇二一であってる?」

 デイヴィットは示されたIDカードを見つめ、そこに記された職員番号と氏名を検索する。

 覇王樹バ・ワンジュ。役職は研究員。

 カードの写真と、目の前にいる本人、そして職員名簿上の顔。

 それらすべて合致するのを確認してから、デイヴィットはうなずいた。

「ええ……。ですが、今は……」

「デイヴィット・ロー。階級は中尉待遇。OK?」

 言いながら、男……王樹はにっこりと笑う。

 スミス少佐とも桐原捜査官とも異なるその行動パターンに戸惑いながら、デイヴィットは尋ねた。

「あの……どうして自分だとわかったんです? それと、少佐殿と貴方は……」

「長い尻尾があるって、エドが言ってたからさ。遠目に見ても、すぐわかったよ。エドとは、ま、古い付き合い。そんな感じかな」

「尻尾、ですか……」

 言いながらデイヴィットは、一つに束ねていた長い髪を背後にはねのけた。

 的確な表現であるだけに、反論はできない。

 しかし、あの得体の知れない試験官氏に、人間関係なるものが形成できるとは。

 そんなデイヴィットの戸惑いを察したのか、王樹は片目をつぶってみせた。

「納得いかない? 僕がエドと知り合いだってこと」

「……ええ、まあ、正直な所……」

「了解。まあ、無理もないね。エドはあんな感じだから」

 詳しくは車の中で、と言いながら王樹はきびすを返し、付いてこいと言わんばかりに歩き出す。

 あわててデイヴィットがその後を追うと、一ブロック先に無人タクシーが止まっている。

 扉に王樹がクレジットカードを通すと、それは音もなく開いた。

「乗って。通行履歴は残らないようにしてあるから」

 引きずりこまれるように助手席に座らされたデイヴィットは、慎重に潜伏先の近くを行き先に指定した。

 扉が閉まると同時に、車は静かに走り出す。

「あの……貴方と少佐殿は……」

「とりあえず、僕がテラ惑連に入局した時にはもうエドは動いていた。ᒍ……君たちの生みの親、情報局主席技術士官ジャック・ハモンド氏を介して知り合ったんだけどね」

 先回りして答える王樹に、デイヴィットはうなずいた。

「じゃ、研究員っていうのは……」

「そ。一応情報局勤務。今回は君たちのサポートで入っていたんだけど、まさかエドから救難信号がくるとは思わなかった」

「救難信号、ですか? それは一体……」

 どういうことですか、と言おうとしたデイヴィットの口に、王樹の人差し指が突き立てられる。

 口ごもるデイヴィットに、王樹は今までの笑みを消し、神妙な口調で告げた。

「僕が情報局付き研究員で、かつᒍの部下だと言えば解ってもらえると思うけど。ヒントとして、僕は医師免許を持ってる」

「では……」

「エドの具合は、どうなのかな?」

 すい、と目を細めて問いかけてくる王樹の顔を、デイヴィットは正視できなかった。

 行き場を失った視線を窓の外にそらしながら、デイヴィットは小声で答えた。

「……軽く見積もって、複雑骨折です。正直、自分は、廃棄処分されるのを覚悟しています」

「エドがそう判断してたら、君はとっくの昔に頭を撃ち抜かれてるよ。救いようの無い奴に付き合いほどエドは気が長くないし、未練がましく退避してまで生き残ろうなんて、まず考えない」

 確かにそうかもしれない。今までのスミス少佐の発言及び行動パターンを再構築し、デイヴィットは納得した。

 無意識のうちに変化する表情を読み取ったのか、王樹は再び微笑を浮かべる。

「君の今までの行動を見る限り、及第点に達してると思うよ。もっともこれからどうなるかは、君の行動とエドの判断次第だけどね」

 明るくそう告げられて、デイヴィットは自分の思考回路が暗い方向に落ちて行くのを理解した。

 まだ何も終わっていない。早い話がそういう訳だ。

 そうこうするうちに、車は静かに止まった。

 扉が開くや否や、王樹は飛び出すように路上へと降り立った。

「さ、着いたみたいだよ。案内してくれるかな?」

 そうにっこり笑う王樹が持っているのは、純白の翼なのか、はたまた先の尖った黒い尻尾なのか、デイヴィットにはまだ、見えてこなかった。


     ※


 招き入れられた部屋に一歩足を踏み入れるなり、王樹の顔から笑みが消えた。

 再会の挨拶もそこそこに王樹は医師の表情を顔に貼り付けて、スミスの様態を見ている。

 しばらくの間難しい顔をしていたが、その視線が戸口に立つデイヴィットのそれとぶつかると、サボテン頭に手をかけながら王樹は告げた。

「見事なまでの粉砕骨折だね。仮に骨が固まったとしても、切れた神経つなぐの面倒だから、丸々腕移植したほうが手っ取り早いかも」

 そうですか、とうつむくデイヴィットに対し、当の本人は予想していたのだろうか、いつもの斜に構えた笑みで応じた。

「それで……後どのくらいごまかしがききますか?」

 その言葉に、デイヴィットははっとして顔を上げて王樹を見つめる。

 相変わらず難しい表情を浮かべたまま、王樹は口を開く。

「うーん、僕が見る所、長くて一週間もつかどうか、だね。長期戦になると厄介だから、早い所動いた方が良いね」

 今僕にできるのはこれだけだけど、と言いながら、王樹は何種類かの薬と人造皮膚の手袋を取り出した。

 錠剤は鎮痛剤と抗生物質、手袋は万が一壊死が始まった場合に対応する物であることは、デイヴィットにも理解できた。

 言葉も無くじっと床を見つめるデイヴィットに、王樹は苦笑を浮かべながら言う。

「そんな顔をしなさんな。あの惨状、さっき見ただろ? とりあえず生きていただけめっけもんだよ」

「確かに研究員殿の言う通りだな。我々は運が良かったようだ」

 珍しく優しい試験官の言葉に、デイヴィットはあわてて首を左右に振った。

「我々、ではなくて、貴方の運が良かったんですよ。……自分は所詮『作りモノ』ですから、『運』なんてあるはずがないでしょう」

 だが、自嘲にも似たデイヴィットの言葉に、返答はなかった。

 そのまましばしの間、沈黙が続く。

 それを打ち破ったのは、陽気な研究員の声だった。

「で、これからどうしようか。敵さんの動き、どのくらい解ってるの?」

 投げ掛けられたその言葉に、デイヴィットはあわてて姿勢を正した。

「……犯行声明は、まだ出ていません。三つの分派のうちどこが動いたのかも、現時点では推定不能です。後、籠城している部隊も動く気配はありません」

 確認を求めるかのような視線をデイヴィットから向けられて、スミスは右手を顎にあて、しばし考えこむように足を組み直す。

 そしてふと何かを思い付いたのか、視線を王樹に転じる。静かな威圧感に、さすがに王樹の顔から笑みが消えた。

「何? 怖い顔して」

「『星をまたぐ医師団』は、今回どう動きますか?」

 耳慣れない単語に、デイヴィットは両者を交互に見やった。

『星をまたぐ医師団』。それは、政治や思想に捕らわれることなく、傷病者がいる所──主に内戦地帯や災害現場──に医療スタッフを派遣する、という非営利団体である。

 果たしてそれが、王樹とどう関係があるのだろうか。

 訳が解らない、とでも言うように王樹を見つめるデイヴィット。それに対し、王樹は肩をすくめて見せた。

「あ、それ、僕の裏の顔。惑連職員って名乗ると、入管で色々まずいことがあるからね。仕事休んで活動参加の為来ましたって言う方が、チェックが甘口になるんだ」

 言いながら片目をつぶって見せると、王樹はスミスに向き直った。

「今、最終的な参加者の調整付けてるとこ。先方と折り合いが付き次第入る手筈てはずになってる」

「研究員殿は、どうされます?」

「もちろん同行するよ。陣頭指揮取るはずの奴が、本業の都合で来られなくなって。ま、こっちにしてみれば、棚ボタだけど」

 明らかにこの研究員殿は状況を楽しんでいる。

 その事実に気が付いて、デイヴィットは気付かれないように深々とため息をつく。

 そんな彼をよそに、得体の知れない捜査官と陽気な研究員は、勝手に話を進めていた。

「……と言う訳だ。明日、改めて接触を頼むとしようか」

 突然話を振られて、デイヴィットはあわてて顔を上げる。

 視線の先には、いたずらっぽい笑みを浮かべた王樹と、無表情なスミスの顔があった。

 どうやら、もう手に負えない事態になってしまったらしい。

 腹をくくるとは、こういう事なのか。

 デイヴィットは、妙に納得していた。


     ※


 そして二日後、デイヴィットは人通りの少ない繁華街を一人歩いていた。

 今回王樹から指定された待ち合わせ場所は、フォボスのガイドブックに載るほど有名なカフェだった。

 隠密行動を取らなければならない時に、いかがなものか。加えて、果たしてこのような状況で営業しているのだろうか。

 けれど浮かび上がった疑問は、杞憂に終わった。白い大きなパラソルが広げられたオープンテラス席に陣取っていた王樹は、デイヴィットの姿を認めると、立ち上がって大きく手を振った。

「どうしたの? 元気ないじゃない」

「……この状況下で元気を出す方が難しいですよ」

 ため息混じりにそう言うと、デイヴィットは椅子を引き深く腰をおろし、テーブルの端末にオーダーを打ち込む。

 無人の電動カートが運んできたコーヒーを受け取るデイヴィットを、王樹はまじまじと見つめる。

 何事かと首を傾げるデイヴィットに、王樹は頬杖を付きながら言う。

「ごめんごめん。本当、君の素性を知ってるのに、どうしても信じられなくて。僕らとまったく同じように見えるから」

「ですが……自分たちを造ったのは、紛れもなく貴方がたではないですか?」

「僕? 悪いけど、僕はメンテ専門なんだ。ちょっとヘマをして、開発製作部門からは外されちゃって」

 ヘマ、という単語を耳にして、デイヴィットは眉根を寄せる。その反応に王樹は苦笑を浮かべる。

「エドの事なら大丈夫だよ。心配しないで。ᒍに恨まれたくないし、何よりエドは尊敬すべき先輩だから」

 言ってしまってから王樹はあわてて口をつぐみ、視線をそらす。だが、時既に遅し。

「失礼ですが、今何て……? 少佐殿は、一体……」

 じっと王樹を見つめるデイヴィット。

 どうやらあきらめてくれそうにない。そう王樹は観念したらしい。

 決まり悪そうに視線を外したまま、口を開く。

「僕もあまり詳しくは知らないんだけど、元々は研究員だったらしい。でも、医療スタッフじゃなくてプログラミング畑の方。……本人がいない所であれだから、ここまでで許してくれるかな」

 珍しく真剣な様子の王樹に、デイヴィットはうなずいた。

 確かに今の状況は、あまり行儀の良い物ではない。

 しかし、黙として動かないデイヴィットに、王樹は両手を挙げて見せた。

「僕がやらかしたヘマは、君の先輩の性格設定。ちょっとした好奇心で基本設定に手を入れたら、不具合が発生しちゃって。作戦が一つ、おじゃんになりかけたんだ」

「……はあ……」

 あまりにも明るく告白され、デイヴィットは返す言葉を失う。あきれ果てると言うのは、まさにこんな状況のことなのだろう。デイヴィットは口には出さず、そう分析した。

 とりあえず場をとりつくろうために、コーヒーを口元に運ぶ。そのタイミングを見計らって、王樹は改めて切り出した。

「敵さんと折り合いが付いたんだ。今日の夕方に入ることになる」

 突然の展開に、デイヴィットはコーヒーをテーブルに戻し、まじまじと王樹を見つめる。その顔には、いつもの茶化したような笑みはない。反射的にデイヴィットは、背筋を伸ばす。

 自らのカップを口許に運んでから、王樹は続けた。

「中に入ったらすぐ、僕の居場所を君に知らせる。確認したら頃合いを見て、エドと一緒に突入してほしい」

「ですが、どうやって? 外部とはそう簡単には連絡取れないですよね」

「君は、セカンドナンバー以降の『仲間』の居場所をサーチできるんだよね?」

 探るように見つめてくる王樹に、デイヴィットはうなずいた。

 セカンドナンバーとは、デイヴィットと同じく遺伝子工学を用いて作製された『人工生命体』である。

 初期には脳死体を用いて作製された『ファーストナンバー』と呼ばれる物も存在するが、現存しているのは僅か一体なので、ほぼ全ての『Doll』の居場所を把握できると言っても過言ないだろう。

 しかし、こんな時に何故そんなことを気にするのだろうか。

 割り切れない物を感じながら、デイヴィットはうなずいた。

「ええ、特殊な周波数を使って。ですが、それと今回の件が、何か……?」

「僕は今回、こんな物を借りて来た」

 言いながら王樹は、自らの左腕を指差した。その手首には、無骨な腕時計が鈍い光を放っている。

 何事かと目を丸くするデイヴィットの前で、王樹はおもむろに龍頭りゅうずを押す。その刹那、デイヴィットの顔に緊張が走った。紛れもなく『仲間』の存在である。その座標が示すのは、彼の真正面。無論そこでは、王樹が笑みを浮かべている。

「一体……?」

「発信器。とりあえずこの星には、この周波数を拾えるのは君しかいないし、発信できるのは僕しかいない」

 事も無げに種明かしをしてから、王樹はにっこりと笑った。

「……これが最後の確認になるけど、この行動は今回君に課せられた命令からは外れてる。仮に失敗すれば、犠牲者が出るのはもちろんのこと、『君』は確実に終わる。それでも決行する?」

 わずかに細められた瞳は、まっすぐにデイヴィットに向けられている。

 やや、間を開けてから、デイヴィットは噛み締めるように言った。

「ホテルが崩壊した時点で、自分の命運は終わっていると理解しています。ですが、一つだけ……」

「エドの事なら、心配ない。彼はあらゆる可能性を想定した上でこの任務についているんだから。それに……」

「それに?」

 聞きとがめ、デイヴィットは首をかしげる。が、王樹は何故か視線を泳がせた。

「いや、何でもない。今回の一件は、君のヤマだ。君がそう決断したなら、僕があれこれ口出しすることはないよ」

 彼にしては少々歯切れの悪い言葉を口にして、王樹はおもむろに席を立った。

 が、テーブルの端末にカードを通して二人分の精算をすませると、茶目っ気たっぷりに片目をつぶって見せた。

「じゃ、そういう事で。絶対に拾ってね。僕はまだ死にたくはないから」

 言いながら王樹は、紙袋を取り出しテーブルの上に置く。

 何事かとそれをのぞきこむデイヴィットに、王樹は決まり悪そうに言った。

「悪いけど、これ、エドに渡してくれないかな。時間的にそろそろ限界だと思うから」

 紙袋の中身は、ゼリー状栄養補助食と、色の濃いサングラス。

「待ってください! あの……」

 中身に気を取られていた間に、王樹は歩み始めていた。あわててデイヴィットはその背中に声をかける。

 が、その姿は人波に飲み込まれ、見つけ出すことはできなかった。


 そして、日は暮れた。

 テレビはどこを見ても、大々的に『星をまたぐ医師団』が紅リゾートホテルへ吸い込まれていく様子を繰り返し流している。

 その一団の中に、件のサボテン頭を見つけたデイヴィットは反射的に息を飲んだ。

「どうかな? 予定通り進んでいるようだが」

 頭上を通過していく突然の声に、デイヴィットはテレビから視線を転じる。

 戸口には、見る者に冷たい印象を与える笑みを浮かべたスミスが壁に体重を預けた姿勢で立っていた。言うまでもなくその顔には、王樹からの差し入れであるサングラスが光っている。

 事件発生以来、一見穏和な素顔を見慣れていたため、改めてその印象の変化にデイヴィットは驚かされた。

 もっとも、これから不幸で気弱な捜査官氏と交渉を一つまとめなければならないので、どちらかと言えば喜ばしいことなのかもしれないが。

「先程、入っていく所を確認しました。直接連絡は、まだ受けていませんが」

 そう答えながらデイヴィットは紙袋から取り出した栄養補助食のパックを開け、歩み寄るスミスに差し出した。

「これも研究員からの差し入れです。少しでも召し上がって下さい。それから薬を……」

 その言葉をスミスは手を上げて、やんわりと制する。中途半端な体制で固まったデイヴィットの手からパックを受け取ると、スミスはそれに口をつけながらソファに腰をおろし足を組む。

 一連の動作は流れるように自然で、淀みは無い。

 安堵の息をつき、デイヴィットは積み上がっていた資料の中から、病院の図面を引っ張り出す。いつ王樹から連絡が来ても良いように。

 そして……。

「着信、来ました。場所、最上階展望レストランです!」

 その言葉に、スミスは唇の片端を上げた。

「作戦開始、だな」

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