「まだ見つからないのか?」
轟音と振動を立てて瓦礫を破壊し、移動させていく重機を見やりながら、桐原捜査官はいらだった声を上げる。
普段のおどおどとした様子からは想像できないその声に、現場担当者は恐縮したように頭を下げる。
本部からの緊急命令が届くよりも早く凄まじい爆発音を聞き、それが何であるのかを理解して以来、彼は恐れていた。周囲からは、過度に焦っているように見えても仕方ない。
「ですが、建物がこの状態では……。お二人とも絶望的、と考えていただいた方が……」
「ならばその根拠を持って来い!」
不機嫌を隠そうともせず怒鳴りつけてから、桐原は煙草に火を付け、その煙を深々と吸い込んだ。
次第に彼は落ち着きを取り戻してきたが、それと入れ替わるように今度は言い知れない不安が頭をもたげ始めた。
──誰が……いや、どの分派が、こんなことをしでかしたのだろうか……。
そこまで考えが及んだ所で、彼は周囲をゆっくりと見回し、大きく息をつく。
自らの心の内が漏れ聞こえていないことを確認すると、吸いかけの煙草を落とし乱暴に靴で踏み消した。
※
M.I.B.と自ら称するこのテロ集団は、母星マルスからの独立を大義名分を掲げて各地で武力闘争を繰り広げており、正確な構成員や命令系統は、惑連でも把握しかねていた。
その細かい分派の中でも最も危険視され、今回の件に関与しているのではないかと推測されているのは、次に上げられる三つのグループだった。
まず、旧首都エル・フォボスを事実上支配下に置き、M.I.B.最大の勢力を持つ部隊。
次に、都市部で単発の爆発テロを主な活動としている部隊。
そして、マルスに搾取されているプランテーション農家と密接な関係にあり、局地的戦闘を仕掛けてくる部隊。
三つの部隊の指揮者は、いずれもルナに本拠地を置く伝説的テロリスト『ドライ』に心酔していた。
そして、ドライの命令を受けフォボスに潜伏しているという人物を
桐原が再び煙草を取り出そうとしたとき、胸ポケットの電話が震えた。
この最悪なタイミングで桐原に接触してきたのは、いずれの分派にも属さない、言わば『M.I.B.直属の広報係』と目される人物だった。
──ずいぶんと忙しそうじゃないか、え? 桐原さんよ──
機械的に加工された聞き慣れたその声に、桐原は小さく舌打ちした。
「……話が違うじゃないですか? 一体これは、どういう……」
身をかがめ、押し殺した声で苛立たしげに言う桐原に対し、電話口から漏れ聞こえてきたのはくぐもった笑い声だった。
──どうやら、血の気が多い奴らが暴走したらしい。各分派の司令官級もかなりご立腹だ。もっとも……──
意味あり気に間を置いてから、声は告げた。
──今回の立てこもりの件も、ホテルへの攻撃も、ルナのボスは関与していない。これは事実だ──
何という事だ。
口には出さず、桐原は心の中で毒づいた。
深く息をつき、高ぶった精神をしずめてから、彼は注意深く周囲に視線を巡らす。
誰も自分に気を留めていない事を確認すると、気弱な捜査官は囁くような声で尋ねた。
「ちょっと待て? 一体どういう事何ですか!? 確かに犯行声明文は貴方がたの……M.I.B.公用の形式で……」
──行動を起こしたのは我々組織の 一員であることは確かだ。だが、計画を実行するに当たり事前にボスの許可は得ていない。事後承諾って所だな。それで、あいつらが……──
言葉の後半部分は、桐原の耳に入っては来なかった。
茫然として電話を握りしめ立ち尽くす桐原を、周辺の関係者達は何事か、と遠巻きに様子をうかがっている。
ほぼ白紙の状態になった桐原の脳裏に、広報の男はさらに続けた。
──まあ、ボスにしてみれば、どっちに転んでも良かったんだ。成功すりゃ、多額の活動資金が転がり込む。失敗しても、俺らに恐怖を抱いた奴らの足は遠のき、Mカンパニーは痛手を受ける──
面白くてしかたがない。そう嘲笑うかのような笑い声が響く。
その声に、ようやく桐原は正気に返った。
「そんなことはどうでもいい。……人質は……約束通り、無事に……!?」
──さあな。跳ね返りが勝手にやった事だから、俺にゃ解らん。じゃ、桐原さん、無理すんなよ──
そして電話は一方的に切れた。
桐原はうつろな視線をホテルの残骸に向けることしかできなかった。
※
地上で桐原が事実を知り茫然としているころ、テラからの来訪者達は移動を開始していた。
通路から排水溝へと潜り込み、ホテルを離れる。
目指すは、ブロック二つ先にある『アジト』だった。
が、地下の移動はデイヴィットの予想に違わず困難な物だった。
地域の中央を貫く集中排水管に到達するまでは、狭い管の中を這うように進む事になる。
重傷を負った人間には過酷すぎる。そう判断したデイヴィットは始め、駐車場通用口から地下商店街を経由するルートをはじき出した。
が、試験官氏は頑としてその案を拒んだ。
わずかに顔を曇らせるデイヴィットに、スミスは相変わらずの口調で言った。
「我々に求められるのは、無事帰還することではなく、任務を遂行することだ。その邪魔になるようならば、私を切り離しても構わない」
取り付く島もなく、やれやれとデイヴィットは溜め息をつく。
かくして両者はもっとも困難で、もっとも不潔な道を通ることになった。
じめじめとした真っ暗な水路を、服を濡らすこともいとわず進むことしばし。
轟音と振動が完全に感じられなくなった時、二人はようやく普通に立って歩ける地下迷路に到達した。
「……上の警備を強化しても、これでは意味がないな」
言いながらスミスは、目を細め視線を巡らせた。
その言葉に、デイヴィットはうなずかざるを得なかった。
ここに到達するまで、道のりは決して楽な物ではなかったが、それはあくまでも物理的な障害によるものだ。
つまり、監視カメラなどの警備設備の設置が皆無だったのだ。
この街の主要施設全てにつながっているにも関わらず。
「……他の星も、こんな状況なんでしょうか?」
「幸いにもここまで危ない橋を渡ったことがないから、何とも言えないな。無事戻れたら、早々に配備状況を確認するべきか」
「まあ、持ち込める武器はたかがしれていますが……」
「何もミサイルを持ち込まなくても、制圧はできる。お偉方の喉元に銃口を突き付けてやれば、事足りる」
確かにそうですがとつぶやいてから、デイヴィットは話題を変えた。
「この先直進十メートルの所を右折、三メートルです」
「出口はどの辺りになる?」
「目的地真裏のマンホールです」
──これでは、単なるナビゲーションシステムだな。
果たして、その場の勢いで大見栄を切ってしまったが、本当に大丈夫なのだろうか。
言葉には出すことなく、デイヴィットは先に立って歩き始めた。
やがて、目の前に貧弱な梯子が姿を現す。
見上げると、マンホールの隙間から僅かに光がもれてくるのが解った。
「先に上がります。とりあえず、出口を確保しないと」
無言でスミスがうなずくのを確認してから、デイヴィットはそこに手をかける。
頭上をふさぐ丸い金属の塊をわずかに持ち上げると、デイヴィットは隙間から周囲の様子をうかがう。
異常無し。そう判断すると、デイヴィットは鉄の塊を脇へずらし、地上へと身を踊らせる。
そして、暗がりの中にいるスミスに手を差し伸べ、一気に引き上げる。
目の前に現れたのは、どこにでもあるビルが建ち並ぶ都会の街並みだった。
露出補正が間に合わず『ヒト』の言うところのまぶしさに目を細めてから、デイヴィットは改めて周囲をうかがう。
突然下水道から現れた、薄汚れた二人の男。どこからどう見ても怪しい。
道行くギャラリーから奇異の視線を向けられ、通報されるのではないか。
だが、それはデイヴィットの杞憂に終わった。
折からの爆破事件で非常事態宣言の段階が引き上げられたせいか、人通りは皆無だった。
が、油断は禁物だ。
二人は慎重に斜め向かいに見えるビルへ走る。
ドアに張り付くなり、スミスはオートロックのテンキーを素早く押す。
次の瞬間、扉は音もなく開いた。
「十一階だ」
エレベーターに乗り込むなり、スミスは簡潔に告げる。
「あの……ビル内のセキュリティは、一体……」
上昇する箱の中で、デイヴィットは不安気に視線を巡らせる。
監視カメラの存在に気が付いての行動だ。
しかし、スミスは表情を動かすことなく告げた。
「今私が打ち込んだのは、特殊利用専用暗証番号だ。警備会社にはダミーの画像が流されているはずだ」
そう言いながら、スミスは体重を壁に預けていた。
明るい光の下で見ると、その顔は心無しか青ざめている。
内出血による貧血が原因であることは明らかだった。
これは予想以上に悪い状況かもしれない。
そこまでデイヴィットが分析した時、鈍い衝撃と共にエレベーターは停止し扉が開く。
建物は通路を挟んで部屋がある作りのため、外部から行動を見られる余地もない。
おそらく細かい条件をクリアした物件を更に絞りこんで、当局が秘密裏に押さえているのだろう。
すい、と歩み出したスミスの後を、デイヴィットはあわてて追った。突き当たりの部屋の前で、スミスは足を止め、I.D.カードを扉へキーのように差し込んだ。
「早く中へ。閉まると同時に、セキュリティは通常に戻る」
うなずくのももどかしく、デイヴィットは室内に滑り込む。そして、内部を注意深く観察した。
小さなキッチンに、ベッドルームが二つ。
リビングに据え付けられているテレビの他にも、生活に必要な最低限の電化製品や家具類は揃っている。
どこにでもある、短期滞在型マンションの一室だった。
「ここの資本はテラの大会社で、大株主にはテラ惑連OBが名を連ねている。少なくとも、あの地下にいるよりは安全だ」
そうですか、とうなずくデイヴィットをよそに、スミスは端末機が無事か確認してくれ、と言い残しベッドルームの一つへと消える。
解りました、と答えてから、デイヴィットはとりあえずリビングのテーブルに鞄を置き、中身を丁寧に取り出した。
電源が入る所までは確認できたが、そこから先はパスワードの入力画面が表示されて先へと進めない。
さすがにあの御仁だ。
呆れながら彼は、情報統制の有無を確認するという口実で、テレビをつけた。
時間は昼下がり。昼休みのビジネスマン向けのバラエティー番組や、昼食中の主婦層を狙ったワイドショーが並ぶ頃合いだ。
しかし、予想に反してどこのチャンネルを回して見ても、ホテル爆破事件一色に染まっていた。
各社によって数字こそ異なるが、少なからず死者が出、彼ら以外にも行方不明になっている人が存在するらしい。
「……可能性として、組織内の意見不一致かな。急進的な分派の一つが、主流派の動きに業を煮やし暴発した。それが無難な所だろう」
隣のベッドルームから、スミスの声が聞こえてくる。
壁と扉を隔てた会話を妨げぬよう、デイヴィットはテレビの音量を絞った。
「すべてがM.I.B.の手の内で行われた、という訳ですか? だとしたら、我々は茶番に付き合わされたようなものですね」
「まったく良い道化だ。どう転んでも、奴らが消える訳ではないからな」
相変わらずの毒舌に、デイヴィットは閉口する。
が、ふと彼はあることに気がついた。
「世間の目が、こちらに向いているみたいですね、いつのまにか」
そう。もともと彼らが派遣された理由である『立てこもり事件』に関する報道は、まるで忘れられたかのようだった。
例えるならば、『ホテル爆破事件』という新たな情報が上書き保存、という形で『立てこもり事件』を消してしまった、という形になる。
「……それに関する考察は後回しにするとして、端末は無事だったかな?」
そういえば、そうだった。
あわててデイヴィットはテレビの電源を落とし、テーブルに放置していた端末を手に立ち上がる。開け放たれたままの扉を二度叩いてから、彼はスミスのいるベッドルームに足を踏み入れた。
「失礼します。どうやら無事みたいですよ」
「その頑丈さを、少しでも分けてもらいたいな」
ベッドに腰をかけ皮肉を言いながら苦笑するスミスに、デイヴィットは端末を示した。
「いえ、パスワードがかかっていたんで、どこまで無事かは定かではありませんが」
「……ロッククリアしなかったのかな?」
いぶかしげに向けられてくるスミスの視線に、彼はぶんぶんと首を左右に振ってみせる。
「まさか。惑連の機密が入っているんでしょう?」
「……君自身がそれなんだがな」
呆れたように言うスミスに対し、デイヴィットは肩をすくめつつ答える。
「……それは、そうですが。正式配備されていない自分が触れる訳にはいかないと……」
「では、許可しよう」
見上げてくるスミスに、デイヴィットは息を飲む。そして、自分に向けられた端末を改めて眺めやった。
「とりあえず、制限時間を設けても良いかな」
「……困ります」
そう言うと、デイヴィットはひざまずき端末の画面を正面から睨み付けた。
パスワードにしばしば使われるのは、使用者の個人情報が多い。解りやすく言えば、生年月日や電話番号、家族の名前を組み合わせる、などである。
果たして、この人の場合にはそれが当てはまるだろうか。答は否、である。
何より『試用期間中』のデイヴィットには、未だ無制限に職員の個人データベースにアクセスする権利を与えられてはいなかった。
さて、どうしたものか。
凍りつくデイヴィットの頭上を、時間は無情に流れていく。
自分に向けられている試験官の視線を、これ以上ないくらい感じる。
けれど、何とかしなければ。
苦し紛れに彼は、キーボードの上に手を置く。
そして、あるものを打ち込んだ。すなわち『自分の個別識別番号』を。
エンターキーを押すと同時に、冷たい電子音が室内に響く。
失敗した。
反射的に、彼は固く目を閉じた。
沈黙が室内を支配する。
「……どうやら無事のようだな。やはり頑丈だ」
低い笑い声の後、スミスの言葉がそれを破った。
恐る恐る、デイヴィットは目を開けると、果たしてそこには、何事もなかったかのように通常起動している端末があった。
「……は?」
何とも間抜けな声を上げてそれを見やるデイヴィットの様子に、スミスは人の悪い笑みを浮かべてみせた。
「始めからパスワードは設定していない。適当な文字列を入力すれば、普通に起動する」
「でしたら、何で……」
未だ納得がいかないと言ったように端末を見つめるデイヴィット。
その頭上を、スミスの声が通過していく。
「簡単な心理操作だ。パスワード入力画面が出れば、ほとんどの人間はその先に進むことを諦める」
「……はあ」
また試されていたのか。
言葉を失うデイヴィットをよそに、スミスは端末を引き寄せ何やら操作を始めた。
キーボードを叩く乾いた音が、静かな室内に響く。
自分の評価報告を入力しているのだろうか。だとすれば、また大きなマイナス査定だ。
そんな分析をしているデイヴィットに、スミスは穏やかな瞳を向ける。
「すまないが、今、非常事態宣言はどうなっている?」
思いもかけない言葉に、デイヴィットはあわてて顔を上げる。
そして、惑連情報システムにアクセスを試みた。
「最高レベルではありませんが、まだ外出は控えた方がいいかと……」
ですが何故、と首をひねるデイヴィット。
が、スミスは端末に向かったまま返答する。
「いや、頼まれ事を一つしようかと思ったのでね」
「頼まれ事、ですか?」
ますます解らないとでもいうようなデイヴィットに、スミスは端末を示した。
見ると、画面には大手配送会社の案内が表示されていた。
「荷物の受取りさ。別便で送られて来たのはいいが、宛先がなくなってしまった。この近くにある営業所留めに変更をした」
「そこから足がつく危険性は……」
その言葉に、スミスはすい、と目を細める。
瞬間、言い難い圧迫感を感じ、デイヴィットは思わず口ごもる。
「……あ……申し訳……」
「いや、確かに君の言う通りだ」
こちらの足取りを相手に知らせてしまったかな、と、スミスは小さくつぶやく。
一瞬の空白の後、スミスは何かを決断したようだった。
その命令が下されるのを、デイヴィットは無言で待つ。
「いや、やはり受け取りに行って貰おう。その方が確実だ」
「解りました。で、その内容は……」
「単なる荷物だ。それこそ本当の」
そう告げると、スミスはわずかに唇の片端を上げる。
そこから受ける印象は、『冷静な捜査員』ではなく、『いたずらっ子』だった。
「いい加減、泥まみれのこの格好をどうにかしたいからな。レベルが下がったら早々に受け取りに行って貰おう」
怪我さえしていなければ、シャワーを浴びたいくらいだな、と笑うスミス。
果たして、とんでもないことになってしまったらしい。
デイヴィットは、先の見えない不安とはこういうことなのか、とため息をついた。