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第17話 花束①

嵐山龍馬の手にはクリアファイルに挟んだ住民票があった。


「離婚届のコピーは頂けませんか!」

「お引き取り下さい」

「こっ、戸籍謄本は!」

「1週間後にお越し下さい」


 本来ならば戸籍謄本を持参したかったのだが戸籍住民課の窓口で取得まで1週間を要すると言われた。そこで苦肉の策、住民票にの名前が無い事を証明する為、世帯全員の住民票謄本を取得した。


「はっ、花屋!」


 タクシー待機場の後部座席の窓をノックし由宇の住むマンションへと向かったが途中花屋に立ち寄り49本の花束を作って貰った。


「お客さん、凄いですね。誕生日ですか」

「いえ、プロポーズです」

「そりゃ良いや!今日は大安吉日ですよ!」

「そ、そうですか」


 そうですかと言いつつ脇には汗が滲んでいた。昨日の今日で「はいどうぞ」と部屋に上げてくれるとも、言葉に耳を傾けて貰えるとも思えなかった。それでも源文もとふみの言うようにあれこれと考えている場合では無かった。


(どうか、どうか神様!)


心の声A(キリスト教信者でも無いのに)

心の声B(こんな時だけお祈りされても)

心の声C(神様も困るわ)

心の声D(門前払いされたら如何すんねん)


心の声一同(考えて無かったわーーまじ馬鹿だわーー)


 犀川大橋さいがわおおはしを渡る頃、ポツポツと雨がフロントガラスに打ち付け始めた。


「ーーーあ、雨」

「お客さん、雨降って地固まるですよ。気合い気合い」

「そ、そうですか」


 急勾配の竹林の向こうにプラザ寺町由宇のマンションが見えて来た。一番端の部屋には灯りが点いていた。


 タクシーの扉が閉まる音で身体が飛び上がった。激しい動悸、息切れは52歳の3大疾病に依るものではない。健康診断では正常値、ただ今年になってコレステロールの値が増えた。


(そんな事は如何でも良いんだ、落ち着け自分)


 エレベーターのボタンを押す指が小刻みに震えた。エレベーターのランプは5階から降りて来た。鼻から大きく息を吸い込み深く息を吐いた。2、3、4、と灯るボタンを押して逃げたい衝動をなんとか堪えた。


心の声一同(こいつちっさ、器ちっさ)



ぽーーーん



 左右を見回すとベビーカーが置かれた501号室、その反対側に由宇の部屋がある。


(ーーーん?)


 ただそこには先客が居た。


 その先客は中肉中背でやや小柄だが見覚えのある顔の男性だった。一文字の整った眉、通った鼻筋には誰かの面影があった。


(ーーー源文もとふみくん?)


 実際に会った事はないが薄暗闇のその顔は由宇のであると思われた。その男性は玄関の扉を両手で激しく叩きドアノブを上下させながら何かを叫んでいた。


(如何いう事だ)


 その扉を叩く音は廊下に響き住人が顔を出して覗き見ている。その声色は決して穏やかなものでは無く不満に満ちていた。


「由宇、開けろ!開けてくれ!」

(・・・・・!)


 玄関扉の向こうの由宇の声はこちらからでは聞き取れなかった。


「やっぱりおまえしかいないんだよ!」

(・・・・・!)

「開けてくれよ!あいつとは別れた!由宇、やり直そう!な!」

(・・・・・!)


 元夫が元妻に復縁を迫り元妻は部屋に招き入れる事を拒否していた。


心の声一同(早ぅ助けんか!ごるあ!)


 これは明らかにおかしい状況で嵐山龍馬は由宇の携帯電話に連絡を入れた。着信音が3回鳴ったところで涙声が飛び込んだ。


「たっ、助けて!嵐山さん助けて!」

「如何しましたか」

「夫が、夫が訪ねて来て暴れているんです!」


 やはり思い違いでは無かった。


「理由は!」

「もう1度やり直そうって、玄関で、玄関のドアを開けようとして!」

「やり直すつもりはありますか!」


 由宇は怯えながらも力強い声で言い切った。


「ありません!」

「分かりました!」


 嵐山龍馬は携帯電話の電源を切ると男に歩み寄り眉間に皺を寄せ厳しい面持ちで見下ろした。


「な、なんだよあんた」

「ご近所迷惑ですやめて下さい」


 もう一歩近付いた。


「結城さんはあなたと復縁する気はないと仰っています」

「あ、あんたに関係ないだろう」

「お帰り下さい」


 少しばかり屈み込むとその間抜けな顔を睨み付けた。


「おまえこそ帰れよ」

「お帰り下さい」

「な、なんだよ関係ないだろ!あっち行けよ!」

「お帰り下さい」

「なんだよてめぇは!」


 嵐山龍馬は男のワイシャツの襟首を掴んで凄んで見せた。


「婚約者だよ」

「な、誰のだよ!」

「由宇さんに決まっているだろう!帰れ!2度と来るな!」

「ゆ、由宇にそんな男がいるなんて聞いてねぇぞ!」

「言う必要ないからな!」


 怯んだ男は捨て台詞を吐き小走りにエレベーターホールへと向かった。


「くっ!くそ!誰があんな枯木女に!」

「もう2度と来るな!」

「来るかよ!」


心の声E(あー、花が勿体無い、すっごく高かったのに)

心の声一同(誰?)

心の声E(てへ♡)

心の声一同(てへ♡じゃねーよ!)


 玄関の扉が恐る恐る開いた。


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