タクシーは金沢城址公園の裏手に建つマンションのエントランスに横付けされた。見上げる外観は大理石だろうか、ダウンライトに照らされた名称は
「こんな、こんな立派なマンション」
由宇の足は
(これからお別れを言われるかもしれないのにお洒落して馬鹿みたい)
エントランスにはインターフォンが有り部屋で開錠されないと中に入れない仕組みだった。由宇はメモ書きにある510号室の番号を押した。ボタンを押し「ーーあの」と声を掛けたところで自動ドアが開いた。
(モニターが付いているのね)
エントランスフロアは心地よい香が漂い中央に置かれた本革張りのソファの脇には見事な枝葉の観葉植物の植木鉢が置かれていた。天井には煌びやかで上品なシャンデリアが揺れ、大理石の床に由宇の姿を映し出した。ため息が漏れた。
(突然連絡も無しに来るなんて呆れるわよね)
ガラス張りのエレベーターからは金沢城の天守閣と遠くに兼六園の緑が見渡せた。15階、この最上階に住んでいる男性が自分の恋人であるとは到底思えなかった。セカンドバッグの中には白いハンカチに包んだ高級時計、そのムーヴメントが回る毎に心臓が破裂しそうになった。
エレベーターを降りると草月流の気品を感じさせる花が生けられていた。ホールから見遣ると部屋の扉が左右両側へと続いていた。510号室は右側、ひとつふたつと扉を数えると脚が震え喉が渇くのを感じた。
(角部屋、お家賃も高そうね。ううん、分譲だわきっと)
インターフォンを押すと女性の声がした。
「結城と申します、嵐山さまはご在宅でしょうか」
「はぁいちょっと待ってね」
嵐山龍馬の部屋にはやはり女性が居た、由宇は膝から崩れ落ちそうになるのを堪えた。解錠される音、ドアノブが下がり逆光の中に立っていたのは繁華街で見かけた栗色巻き髪の女性だった。歳の頃は40代後半、由宇と同年齢だと思われた。その面立ちは艶めき、妖しい微笑みを
「あら、どちら様?」
「私、嵐山さまにお世話になっております結城と申します」
「ふぅん、結城さん」
それよりなにより驚いた事はその女性が半裸、黒いロングキャミソールにインナーという姿だった。そして背後からは嵐山龍馬の声がした。
「おまえ、そんな格好で出るなよ」
「だってぇ、龍馬シャワーしてたじゃなぁい」
奥から顔を覗かせたのはTシャツにハーフパンツ、湿り気のある前髪を垂らした
「なに、宅配便?」
「うん、結構美人な宅配便屋さん」
「荷物は?」
「はい、これ」
女性が腕時計を嵐山龍馬に手渡すとその顔色が変わった。
「名前は!」
「んーーと、ゆう、結城さん?」
「馬鹿!なんで勝手に出るんだよ!」
「あらぁ、この部屋の半分はまだ私の家なんだから自由じゃない」
嵐山龍馬は慌ててジーンズに着替えると部屋を飛び出した。エレベーターホールのボタンは既に1階に降りていた。
「くそっ!」
部屋に戻り携帯電話を握ったが由宇がその呼び出し音に応える事は無くそれは虚しく響くだけだった。
「くそっ!」
「なぁに、今の人が新しい恋人なの?」
「そうだ!」
「ごめんなさいねぇ」
「くそっ!」
ーーー2週間前の金曜日
2番目の妻は高級クラブのオーナーだった。嵐山龍馬はクラブの黒服に金を渡し、
「私たちまだ夫婦なのね」
「そうだ」
「じゃあ暫く付き合ってよ、付き合ってくれたら離婚届にサインするわ」
妻は唇を尖らせて頬を膨らませた。
「新しい相手はどうしたんだ」
「それがさぁ、若い男って
「別れたのか」
「やっぱり龍馬が良いわ」
「そ、そうか」
元来、憎しみあって離婚話に至った訳ではない男と女が酒を飲めばその勢いでベッドに倒れ込んでも仕様がない。嵐山龍馬もひとりの男、据え膳食わぬは男の恥とばかりに由宇に指南され身に付けた技術を駆使して2番目の妻を虜にした。
「恋人がいるんでしょ」
「なぜ」
「そんな気がする」
「そ、そうか」
「セックスが上手くなったもの手放すのが惜しいわぁ」
「なにを言っているんだ」
そして2番目の妻は駄々をこね始めた。
「ねぇ離婚前に他に女を作るのってどうかと思わなぁい?」
「そ、それは!」
「い・け・な・い事よねぇ」
「そ、それは!」
結果、嵐山龍馬は慰謝料300万円から50万円を返金する羽目になった。そして印鑑を捺すからと彼女はブラウスのボタンを外した。
「じゃぁもう1回しましょ♡」
「あと1回だけだぞ」
そこにタイミング悪く由宇が訪ねて来た。これはもう言い逃れが効かない状況だった。嵐山龍馬は動揺し頭を掻きむしった。